第3929回 『福沢諭吉伝 第三巻』その577<第七 先生の私金義捐(2)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第七 先生の私金義捐(2)

 

 八月十三日付にて先生が堀越角次郎に與へられた書翰に其時の事情が述べてある。

 雨後は大に凌能く相成候。益御清寧奉拜賀候。陳者報國會の義も何か色々の事情を生じたる様子にて、今以て趣意書さへ發表不致、さりとは世間の人氣も如何と聊心配なきにあらず。就ては老生は有合の時事新報を利用致候積にて、明日の紙上に老生の私見をも記し、且兼て御話申上候義捐の金も、兎に角に一應時事新報に托して差出候事に取極め候。實は過日來遠國の友人共より、今度の義捐金に付其趣意書を一見致度とて、毎々交通も有之候得共、返事の致し様もなく困り候に付、報國會は報國會として、時事新報に老生丈けの意見を記して趣意を示し候積りに付、明日の時事新報は御覽にも可相成、何卒此趣意に從て日本橋邊御同感の方々御申合、醵集思召立の程呉々も奉願候。其集りたる金は必ずしも新報社より政府へ納るに不及、報國會へ托しても苦しからず、何は扨置き金さへ集まれば其上の取扱は譯もなき事と存候。唯幾重にも御盡力奉願候。

 右要用のみ申上度、實は參上色々御相談も支度存候得共、明日の紙上記事萬端殊の外多忙にて不能其義、乍略書を以て申上候次第、あしからず御承引可被下候。匆々頓首。

 八月十三日        諭吉

   堀越様  梧下

 右書中に「老生丈けの意見を記して趣意を示し候積りに付云々」とある其意見は、前掲「大に軍資を醵出せん」の趣旨と大同小異のものである。而して先生はこれと同時に表誠義金の中に一萬圓を義捐し、其次第を「時事新報」に左の如く書かれた。

   私金義捐に就て

 凡そ海外に旅行したる人々は必ず記憶せらるゝことならん、旅行中又は在留中、公に私に外國人に接して事を談じ事を謀るに、其利害は暗々裡に本國の勢力如何に由るもの多きのみならず、茶話の端にも榮辱を異にして無勢力の國民は人の知らざる所に苦勞し赤面し慷慨し憤怒するの常なり。之に反して英國人の如きは世界到る處に横行し、常に他國人の上流に位して、不言の間に一種の權威を逞ふし、甚だしきは英人に非ざれば愚なり、英語を語らざるは啞なり、英衣に非ざれば暖ならず、英食に非ざれ旨からずなど漫語戯言して、人の之を咎るものなし。

 

 ※■慷慨:(こうがい)道理に外れたことに対して激しく怒りなげくこと(=「悲憤慷慨」)

 

 <つづく>

 (2024.5.22記)