第3931回 『福沢諭吉伝 第三巻』その579<第七 先生の私金義捐(4)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第七 先生の私金義捐(4)

 

 (福沢の「時事新報」記事)つづき2

 前年海防費獻金などに就ても、老生は當時政界の事情を視察して自から持論あるが故に、之に反對して自分に獻金せざるのみか、友人等の進退に關しても竊に喙を容れたることさへ少なからざりしが、今日は其獻金嫌ひの福澤諭吉が私金を義捐せんと云ふ、諭吉決して狂するに非ず、唯日本國民なるが故に、國事の前後緩急を思案して此義に及びたるのみ。

 左れば今囘の義捐は尋常一様の場合に異なり、彼の紀念建碑等なれば僅に有合の數圓數十圓、多くも數百圓を投じて之が爲めに家計を動搖せしむるにも非ず、今日出金して明日は之を忘るゝ程のことなれども、今度の事は我國民に於ても能く能く熟考の上、現在の家計に多少の波動を生ずるまでの覺悟こそ願はしけれ。如何となれば今日は是れ東洋文明の先導者たる我日本國が、文明の戰に大波動を被り、榮辱浮沈の危機に迫まりたることなれば、其波瀾は自から日本國民の家に及ぼして、共に動搖せざるを得ず。當然の數なればなり。

 言少しく私に亙りて讀者の爲めには聞苦しき次第なれども、世間或は老生と境遇を同ふして其感情自から相似たる人もある可ければ、私家の内幕を打明けて人々の參考に供せんに、諭吉は一個の老書生、從來月給を貰ふたることもなく、商賣したることもなく、唯一本の筆を便りに生計を營み、幸に不自由もなく年月を送る中に、次第に老境に入るに付ては、子孫の謀も匆々にして、能きほどに方向を定め、自分は老妻と共に殘年を安くせんとて、家計の内より幾分をば老餘の用に充る積りにて、既に本年は馬齡六十一歳に達し、大勢の子孫も無事繁昌なれば、還曆の祝典に新に衣装をも作り、家に手入れなどして、知己朋友を招待せん、秋涼にならば子供を伴ひ、伊勢參宮もせんなど色々の胸算もありしかども、今は祝典參宮の場合にあらず、一切これを思止まり、尚ほ此外に夫れ呉れと家計を取縮めて、一萬圓を得たることなり。

 扨右の如く決定したる處にて、老生は老餘の樂事を奪ひ去られて、更に家計上の心配を作りたるが如くなれども、樂事と云へば文明世界に我本國の勢力を増して随て吾々國民が外に對して肩身を廣くするの愉快に優るものはある可らず、既に過日の地震にも拙宅にては煉瓦の土藏一棟を失ふたりしが、是れも災難と云へば災難なれども、或は家の大幸なりと言ふも妄言に非ず、若しも彼の地震をして少しく劇しく今少しく長からしめなば、土藏の破損は扨置き、住宅までも潰れて、家内の者を皆殺したるやも計られず、之を思へば土藏破損の歡びの爲めに軍費を醵出すと云ふも妨なきが如し。

 

<つづく>

(2024.5.24記)