第3916回 『福沢諭吉伝 第三巻』その564<第六 日清開戰と先生の活躍> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第六 日清開戰と先生の活躍(1)

 

     軍費醵集の發起

 先生は其頃「福翁百話」の起草中にて、「時事新報」の論説は著者等に意を授けて書かしむることが多かったが、朝鮮事件の切迫するや日々出社し非常の意氣込を以て自から社説の筆を執られ、朝鮮の弊政※1改革問題幷に支那政府の態度に對し曠日彌久※2の不得策なるを論じて政府の勇斷果決を促し、前掲の如く清韓兩國に向って宣戰すべしと極論せられたのであるが、時局進展していよいよ戰爭の幕が開け豊島沖海戰の捷報※3が達したとき、

 「開戰第一に我軍の勝利は固より日本國の大名譽として祝すべきも、我軍人の勇武に加ふるに文明精鋭の兵器を以て彼の腐敗國の腐敗軍に對するのであるから、勝敗の數は明々白々毫も驚くに足らぬ。扨日清間の戰爭は世界の表面に開かれた。文明世界の公衆は果していかに見るであらうか。戰爭の事實は日清兩國の間に開かれたれども、其根源を尋ぬれば、文明開化の進歩を謀る者と其進歩を妨げんとする者との戰爭であって、決して兩國間の戰ではない。本來日本國人は支那人に對して私怨もなく敵意もなく、世界の一國民として人間社會に普通の交際を欲するも、如何せん彼等は頑迷不靈※4にして普通の道理を解せず、文明開化の進歩を見てこれを喜ばざるのみか、反對に其進歩を妨げんとして無法にも我に反抗の意を表したるが故に、止むを得ず事の茲に及んだのである。

 即ち日本人の眼中には支那人なく支那國なく、たゞ世界文明の進歩を目的としてこれを防ぐる者を打倒したまでのことであるから、人と人、國と國との事でなくして、一種の宗敎爭ひとも見るべきものである。苟も文明世界の人々は事の理非曲直を言はずして、一も二もなく我目的の所在に同意せんこと、我輩の決して疑はないところである。即ち日清の戰爭は文明と野蠻の戰爭なり」

 と喝破せられ、時事新報社は當日高く國旗を掲げ社屋を盛装して祝意を表し、夕刻から社員一同新橋の花月樓に祝宴を開いた。

 

 ※1■:弊政:(へいせい)弊害の多い政治。悪政

 ※2■:曠日彌久:(曠日弥久 こうじつびきゅう)むなしく日月を費やして、久しきにわたること。むだに時間を過ごして事を長引かせること(「曠日」は、多くの日を経ること。「弥久」は、長い時間を経ること「弥」は時間を経る意(「日を曠(むなしく)して久しきに弥(わた)る」と訓読する)

 ※3■:捷報:(しょうほう)勝利の知らせ

 ※4■:頑迷不靈:(頑迷不霊 がんめいふれい)頑固で無知なこと

 

 <つづく>

 (2024.5.9記)