第3914回 『福沢諭吉伝 第三巻』その562<第五 我國の朝鮮出兵(4)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第五 我國の朝鮮出兵(4)

 

 (「時事新報」掲載記事)つづき

 政府に於ても其邊の決心は既に熟したることゝ見え、過般大鳥圭介公使より朝鮮政府に向て政治改革に關する數個條の要求を爲したるに、然るに彼の政府は一旦は異議なく其求に應ずる旨、囘答したるにも拘はらず、後數日を出でずして忽ち前言を取消し、都合に依り我申出の箇條には一切應じ難しとの次第を通牒し來りしこそ奇怪なれ。韓廷の有司如何に頑迷なりとはいへ、眼前に日本の大軍が戰備を整へて京城の内外に充滿するを見ながら、傲然恐るゝ氣色なく、既に諾したる約束を無視して、我正當なる要求を拒絶するとは、如何にも大膽千萬の仕打にして、殆んど本氣の沙汰とは思はれざれ共、又退て考ふれば、朝鮮政府をして此向ふ見ずの處置に出でしめたるものは、彼れの胸中自から頼む所のものあるが爲めなり。

 其頼む所のものとは何ぞや。云ふまでもなく支那政府の後楯、即是れなり。抑も支那は世界に類なき頑固守舊の腐敗國にして、之を朝鮮に比較すれば、國土の大小こそ異なれ其腐敗の加減は正しく同様にして、支那人の眼を以てするときは朝鮮の國事に改革す可きものなく、強ひて改革と云へば夫子自から改めざる可らざる程の次第なれば、此際日本の擧動を見て心に快しとせざるは分り切ったることにして、今は公然日本に向て諭ず可き議論もなく、又これを論ずるの氣力もなく、唯陰に同類の朝鮮政府を教唆煽動して以て日本の政略を妨げんとするのみ。

 其證跡の既に事實に顯然たるものを擧れば、例へば彼の李鴻章より朝鮮政府に送りたりと云ふ電文中に「内修徳政、勿皇恩、倭寇放肆、敢恃狡毒、第視天兵一擧、無石壓一レ卵也」云々の語の如きは、日本に對し無禮千萬なる言葉にして、朝鮮人を教唆するの手段なりと認めざるを得ず、尚ほ此類の證據を尋ねたらば、之を見出すこと決して難からず。左れば支那政府が日本の方針を妨ることに盡力して、遂に朝鮮政府をして我要求を拒絶せしめたるの事實は疑ふ可きに非ざれば、最早や彼れは日本の朋友として見る可らず。

 

 ※■:傲然:(ごうぜん)おごり高ぶって尊大に振る舞うさま

 

 <つづく>

 (2024.5.7記)