第3856回 『福沢諭吉伝 第三巻』その504<第六 同窓會と先生の招宴(7)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第六 同窓會と先生の招宴(7)

 

    福澤邸の茶話會

 福澤先生は一昨十四日の日曜日午後一時より、三田の自宅に於て茶話會を開きたり。當日の來客者は豫て先生より案内を受けたる人々無慮※1二百餘名にして、先生及び一太郎捨次郎兩氏は玄關に出でゝ一々客を迎へたれば、客は案内に從ひ二階の廣間に到るもの三々伍々相續きて、遂には滿堂膝と膝と相接する迄に充滿し、長崎の人、函館の者と十年振りの出會を喜ぶものもあれば、日頃嚴格の老紳士、再び當年の書生と爲りて得意に舊を談ずるあり。

 碁を圍むもの、將棋を好むもの、岡目八目の助言を爲すもの、健腕を振って黑痕淋漓※2、紙上に雲霓※3の氣を吐くものもあり、談笑酣(たけなわ)にして興益々深からんとするの頃、樓下の室には來客の藝盡し始まりて、松山棟庵氏の淨瑠璃「岸之姫松」は聽衆をして只管(ひたすら)驚歎せしめ、森村市左衞門氏の一中節※4には黑人跣足(くろうとはだし)との評判あり、福澤先生得意の居合は、三尺の太刀風に空を掠(かす)むる石火の捷業(はやわざ)、見る人をして歎賞置く能はざらしめ、隈川宗悦氏の座り相撲、高島信氏の一人相撲には座中手を拍(う)ちての喝采あり、樓上樓下とも笑聲割るゝ許りにして、斯く談笑藝盡しの間には又樓下の一室に設けられし立食の席に到りて盃を傾け茶を喫するものあり、酒仙※5を氣取る人、滿を引きて泰然たれば、下戸の大將、一盆の菓子を嘗め盡して氣益々豪なるも可笑しく、先生座上即吟の詩あり、

   偶坐花陰笑語頻

   樽前又見酒仙嚬

   主人非主客非

   自是書生得意春

とは、能く當日の情況を寫したりと云ふ可し。來會者の重(お)もなるものは、沙門興然、宇都宮三郎、三好退藏、小幡篤次郎、森村市左衞門、中上川彦次郎、莊田平五郎、近藤廉平、岩崎彌之助の諸氏、及び貴衆兩院の議員等にして、午後六時頃より興を殘して皆散會したり。

 

 ※1■無慮:(むりょ)おおよそ。ざっと

 ※2■黑痕淋漓:(ぼっこんりんり「墨痕淋漓」

?)筆で書いたものが、生き生きとしてみずみずしいさま(「墨痕」は墨のあと、墨を使って表現したもの。「淋漓」は水や汗や血が流れ落ちるさま。また、筆の勢いが盛んなさま

 ※3■雲霓:(うんげい)雲と虹

 ※4■一中節:(いっちゅうぶし)浄瑠璃の一種。中棹の三味線を用い、三味線に合せつつ、浄瑠璃を語るスタイルをとる。初代都太夫一中(1650~1724)が元禄から宝永ごろにかけて京都において創始した

 ※5■酒仙:(しゅせん)世俗の事にとらわれず、酒をこの上なく好み楽しむ人

 

 <つづく>

 (2024.3.10記)