第3857回 『福沢諭吉伝 第三巻』その505<第六 同窓會と先生の招宴(8)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第六 同窓會と先生の招宴(8)

 

 又同年十月廣尾の別邸に催された園遊會の狀況は左の如く「時事新報」に記してある。

     福澤先生の園遊會

 福澤先生は一昨廿四日午後一時より其別邸なる麻布古川端なる舊狸そばに知人を招ぎて園遊會を催したり。當日は雨後の道路惡しく空合も兎角曇り勝ちなりしかども、定めの時刻より續々來會せる人々は木村芥舟、宇都宮三郎、田中不二磨、小村壽太郎、奥平伯兄弟、三井八郎次郎、同三郎助、同高保、同守之助、中上川彦次郎、松方巖、同正作、長與専齋、北里柴三郎、小幡篤次郎、松山棟庵、高木兼寬、大倉喜八郎、鶴原定吉、山本達雄、麻生武平、仲定勝、犬養毅、尾崎行雄、鈴木充美等の諸氏を始め都て三百餘名もありて、中には學者あり政治家あり醫者あり實業家ありしのみならず、ナップ、ドロッパース、兪吉濬、張博、權榮鎭等外國の名士もあり。以て先生の交際廣きを察す可し。

 園も亦甚だ廣くして逍遙に宜しきのみならず四圍の風光また愛す可し。池邊の小丘上には向島の言問團子、櫻餅など備へたる茶店あり、餅を食ひ團子を喫しながら天下の形勢を談ずるも面白し。又西隅の高臺には狸そばの名殘を寫して蕎麥屋の設あり、其器物に更科の文字あるを見て、狸そばと云ひながら更科の文字は如何と問ふものあれば、其所が即ち狸の狸たる所以なりなど戯るゝもあり。又中央の楓樹の下にビール、ブランデー、ラムネなどを備へたるが林間に酒を温むるの風情なくに非ず。

 酒を侑(すす)むるもの、蕎麥屋、餅屋の店頭に周旋するもの、孰れも學生塾樸等にして、一名の婦人をも交へざりしは、清淡にして却て趣味あり。斯くて三々伍々相携へて逍遙し或は鼎坐して時事を談ずる内に、時刻移りて立食場を開くや、美味山の如し、各々好に任せて食ひ且つ飲み、談笑戯譃(じょうだん)ますます賑なり、日將に暮れんとする頃には、早や既にカンテラの園内に輝くを見る。夜色更に妙なり。歡を盡して各々退散したるは六時前後なりしと云ふ。

 それから同三十二年十一月十一日、廣尾の別邸に於て園遊會を催され朝野の紳士數百名を招待したが、此會は前年大患に罹られたときの見舞に對する挨拶の意味で催されたものであるから別に記す。

 

 ※■言問團子:(ことといだんご 言問団子)創業は江戸時代末期。植木商を営んでいた初代外山佐吉が考案した団子

 

 <つづく>

 (2024.3.11記)