第3855回 『福沢諭吉伝 第三巻』その503<第六 同窓會と先生の招宴(6)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第六 同窓會と先生の招宴(6)

 

 (「時事新報」掲載、「福澤の宴會」の挨拶)つづき

 或はリッショクと字音で讀まずに、むかし我身に覺えあるタチグヒと思へば、却て興味ある可し。飲食談は扨置き、此席は都鄙老少書生の會合にして、兎も角も互に相見れば自から樂からざるに非ず。來賓中去年以來掛違ふて逢はざりしもあらん、一別十年初めて再會もあらん。會して何も用談はなけれども、互に面を見れば、老者が曾て青年書生と思ひし者も今は四十の分別盛り、決して昔日の輕卒粗暴漢ならずして立派に事に堪へ、其身は早く既に妻を娶て子あるのみか、孫も産たりと聞て、是れには驚くことならん。

 壯年生は彼の老大先生も最早白首※1唯殘年を樂しむの一方ならんと思ひの外、むかしの地金堅固にして若者と腕押しせんなどゝ云ふ者もある可し。都下の紳士案外着實にして、地方よりの來賓大に時事に明なるの談もある可し。之を語り之を聞き之を笑ひ之を驚く、正に是れ人事忙中の快樂にして、私の最も面白く思ふ所なれば、何卒皆様も亦共に此快樂を與にせられんこと呉々も懇願に堪へず、之を要するに今日の集會に政治などの臭氣なきは勿論、宗教にもあらず、學問にもあらず、又近時流行の實業談にもあらずして、眞實紛れもなき書生の雜談會なれば、其無味淡泊恰も水の如し、何かの用意も亦これに同じく、無味粗薄水の如き立食にて寬る寬る(ゆるゆる)御心置なく御話を願ふのみ云々

 先生の挨拶濟や、海軍中將伊東祐亨氏は來客一同に替りて答辭を述べ、終りに臨んで軍人流の大聲を發して先生の萬歳を祝したれば、一同之に和して福澤先生萬歳を三呼し、又伊東中將萬歳を唱へし時は、堂中動搖めき渡りたり。夫より酒漸く酣(たけなわ)にして談話益々佳境に入り、或は皿を抱へ椽側(えんがわ)の卓子に倚(もたれ)るあれば、或は後庭の電氣燈に對して人造の寒月に韻を尋ぬるものあり、三々伍々※2袂を連ねて堂内の人漸く薄く爲りしは午後九時頃にてありしならん(下略)

 三十年三月茶話會と稱して二百餘名の人々を自宅に招がれた其會の趣向は、普通の宴會のやうに一々食膳を具ふる風にすれば多數の客をすることが出來ないから、家中を開放して遊戯酒茶勝手次第とし、ただ來客の腹を滿すため一室に食物を具へおき、恰も屋内の園遊會ともいふべきものである。當日の模様は左の如く「時事新報」に書いてある。

 

 ※1■白首:(はくしゅ)しらがあたま。老人

 ※2■三々伍々:(さんさんごご)三人、五人というような少人数のまとまりになって、それぞれ行動するさま

 

 <つづく>

 (2024.3.9記)