<前回より続く>
第五 信越地方旅行(8)
(時事新報社員北川禮弼、随行記)つづき5
其要旨に曰く、
越後は米の産地にして其産額少なからざるが如し。此少なからぬ米の價は嘗て甚だ廉にして六圓の上に出でず、七八圓にも爲らば大幸なりと云ひしほどなるに、七八圓は愚か今は十圓以上にも騰貴して復た下落の模様なし。加ふるに交通の道開けて運輸の費用少なし、此地方の富有想ふ可し。扨人民は既に富めり、退て之を守らんか、更に進で大に取らんか、此處一考す可き所なる可し。退て守るも一法なり、進で取らんには危險なきに非ず。
然れども今の世に退守は甚だ困難なり、世間の物情は日に變じて風波高し、此間に處して獨り自から守らんとす、無理と云はざる可らず。假令ひ身に一の失策なく、所有の財産は堅く守て一物をも失ふことなしとするも、物價の高低、金銀の昇降は免る可らずして、何時の間にか身代の半減を見ることもある可し。左れば守るが爲にも進で取るの工夫肝要なりとして、扨事の實際に臨み、最も注意す可きは鐵道の影響なり。其影響は案外大にして沿道の地價を高低せしむるが如きは一些事のみ、或は物貨集散の中心を動して商工業の趣を一變し、或は一寒村を化して繁華の都會たらしめ、都會をして寒村たらしむ。現に信越鐵道は高田の繫昌を直江津に移しつゝあるに非ずや。
北海の魚は此鐵道に依て信州の山奥にも行き、東京の市場にも上る。米其他の産物皆同様にして、從來東京より商品を仕入るゝに數十日を要せしも、今は電信一發直ちに幾許の品物にても取寄するを得べし、商況變ぜざらんと欲するも得可らず、僅に一鐵道の影響斯くの如し、今後いよいよ延長して縱横に敷設せらるゝに至らば、其效果實に測る可らざるものある可し。若し巧に之を利用すれば産を興すること易しと雖も、若しも一たび此大勢力に打たれなば、家を亡ぼすは一轉瞬の間に在る可し。盛衰興亡は實に之を利用すると否とに在り、其利用の細目に至ては銘々の工夫次第にして、傍より忠告の限りにあらず、諸君の注意此邊に細かならんことを望む。
斯くて獻酬の間に種々の話あり、主客歡を盡して散會す。
<つづく>
(2023.12.27記)