第3783回 『福澤諭吉伝 第三巻』その431<第五 信越地方旅行(9)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第五 信越地方旅行(9)

 

 (時事新報社員北川禮弼、随行記)つづき6

 九日には佐久郡の歡迎會に臨むの約束なれば、早起、出立の用意を整へ、多人數の有志者に送られて停車場を發す。長野を經て小諸停車場に着すれば佐久郡有志者の出迎ふるもの多し。導かれて停車場より程遠からぬ小諸城趾の一茶店に入り、暫時休憩の後車を連ねて本日の會場なる野澤村に向ふ。三里餘りの平原を馳せて同村の並木和一氏方に入る。氏は當地方の富豪にして、一行を遇すること甚だ厚し。休憩の後歡迎會場なる城山館に至れば、入口には緑門を設けて歡迎の二字を記したる額を掲げ、數多の球燈を蛛手(くもで)に吊して、光景甚だ壯なり。今しも幾百の人々は樓上の廣間に集て先生の臨場を待つ。當所に於ける先生演説の大意は、

 當地方に漫遊して圖らざる歡迎を愛く、感謝の外なし。挨拶かたがた一言せんに、當地方は養蠶の盛なる所なり、今後ますます其盛ならんことを望む次第は、天下製して以て衣服と爲す可きもの多しと雖も、輕暖にして膚に快きもの絹に若くなし、一たび絹の味を知れば木綿毛織共に用ふるに足らず、世界の人々未だ多く其味を知らず、之を用ふるは有數の人々に限れども、其富は年々増加し、贅澤は日々に増加して止まる所を知らず、遂に絹を着するに至るは明白なり、若し米國人のみにても日本人の如く絹を着するに至らば其需要甚だ大にして、絹絲の産出今日に幾倍するも賣口に窮することなきは勿論なり、養蠶の前途多望なりと云ふ可し。

 只憂ふ可きは支那人の製絲なり、今は只不器用なる手を以て製するのみなるが故に恐るゝに足らざれども、彼等が追々利のある所を發明し、又は外國人に敎へられて器械を輸入し、西洋向きの絲を製して輸出するに至らば、我に取て由々しき競争者なる可し。然れども鈍き支那人が徐々歩を進る間には、世界の需要は長足の進歩を爲して供給の過剰に苦むことなきは明なり。又一つの心配は人造生絲の事なり、是は近頃の談にして恐くは信州人の耳を驚かせしことならん。天然の蠶絲に比するに光澤輕暖とも同様にして價は廉なりと云ふ。

 

 <つづく>

 (2023.12.28記)