第3781回 『福澤諭吉伝 第三巻』その429<第五 信越地方旅行(7)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第五 信越地方旅行(7)

 

 (時事新報社員北川禮弼、随行記)つづき4

 城山館を辭して旅宿に歸れば、高田より來れる野口孝治、宮澤俊治の二氏あり。切に先生の越後に再遊あらんことを請ふて曰く、新聞紙に據れば先生は明日直江津を一覽せらるゝとの事なれども、直江津にての風聞には先生の一行らしき人々今朝直江津に來られしと云ふ、依て吾々は遍く同所の旅店を尋ねたれども見えず、匆々に長野に來りて是非とも高田に再遊せられんことを請はんとて、同志の總代として參上して聞けば、先生は今朝既に直江津を一覽して直に長野へ引返されしと云ふ、遺憾極りなし、再度の來遊御迷惑とは存すれども、必ず先生をお連れ申す可しと誓て兩人が參上したる譯にて、若し御承諾を得ざれば吾々兩人は昔ならば切腹せねばならぬ場合に迫る次第なれば枉(ま)げて再遊を辱(かたじけの)ふしたしと、懇請して止まず、佐久郡の人々は又、高田に再遊せらるゝほどならば佐久にも是非再遊を請はざる可らずと主張す。

 先生は始めより明日歸京の豫定なれば容易くは承諾されず、夫人にも相談せられぬ。夫人方は用事もあれば是非とも明日歸らざる可らずとの事なり。左れど諸氏の好意も亦默止し難し。乃ち夫人令嬢は明日一番汽車にて歸京せられ、先生、一太郎君、及び随行者二人は留て高田に行き、又佐久へも赴くことに議一決せしは夜十時半頃にして、高田の使者は欣然として喜び、電報を發して此趣を越後に急報し、佐久の有志も翌朝急ぎ歸りて歡迎の準備に取掛りぬ。

 八日夫人方は豫定の如く一番汽車にて歸京の途に就かれ、先生の一行は二番汽車にて再び高田に赴かん爲め停車場に至れば、師範學校の生徒職員等、場の前面に整列して慇懃に一行を送る。車中には前日先生を迎へんが爲めに來りし野口孝治氏あり、又先生に謁せんとて今朝態々高田より一番汽車にて上りし笠原恵氏ある、共に越後の豪農なり。程なく高田に着すれば歡迎するもの多し。一行の案内せられしは高陽館とて宏壯雄大なる料理店なり。門には國旗を交叉し、福澤先生歡迎の標を樹(た)つ。先生は來訪の人々に接して古今の談に時を移せし後、樓上の宴席に臨み、徐に一場の談話を試む。

 

 <つづく>

 (2023.12.26記)