第3780回 『福澤諭吉伝 第三巻』その428<第五 信越地方旅行(6)> | 解体旧書

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 石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<著者が編纂上の困難を冒し、健康上の支障を忍び、然も七年の長きに亙りて、一意専心、刻苦勉勵し、遂に此大作を完成したのは、其の勞誠に多とすべく、吾々の深く感謝する所である>慶應義塾長 林 毅陸

<前回より続く>

 

第五 信越地方旅行(6)

 

 (時事新報社員北川禮弼、随行記)つづき3

 先生起て一場の談話を試む。其摘要左の如し。

 余の信州に來りしは今囘を以て始めと爲せども、平生は信州の人に接すること少なからず、聊か其氣風を知る。余の見る所を以てすれば、信州の人は氣骨あり、士風を帶びて品位卑しからず、類例を求むれば大阪人に似ずして寧ろ江戸子に類するが如し。是を以て往々論爭を好み、損得を爭はずして勝敗を爭ひ、曲直を爭ふて利害を忘るゝことあり、氣品の高きは甚だ善し、勝敗を爭うふ亦可なりと雖も、富を作るには損得を忘る可らず、信州は養蠶の盛なる地方にして、年々之が爲めに此地に入る金錢は一千萬圓を下らざる可し。

 而して當地方の人々未だ甚だ富めりと云ふ可らず。現に製絲家の如きは未だ自分の資本を以て業務を營むの場合に至らず、横濱東京などの資本家に依頼し、高利の元手を借り來りて漸く原料を仕入れ、絲を製する始末なりとは遺憾にあらずや。思ふに資本の獨立を計らんには營業と暮向とを嚴重に分たざる可らず。去年は養蠶面白からざりしが故に料理屋其他とも甚だ不景氣なりしかども、今年は生絲が當りしを以て到る所繫昌なりなどゝは毎度聞く所にして、即ち營業の損得を以て暮向きを伸縮するものなり。營業上に利益を得たればとて俄かに贅澤を極め家の生計を膨脹せしめなば、一たび膨脹したる家計は容易に収縮す可らずして何時までも資本の獨立を得べからず。營業上に於ては大に損することもある可く又得することもある可しと雖も、之を三年に平均し五年に平均し若しくは十年に平均すれば、利益の大なるは爭ふ可らず。

 若し營業は營業、家計は家計として嚴重に經濟を分ち、營業の損得に拘はらず、別に家計を立て利を得たればとて浪費することなくんば、數年の後には裕に資本を得んこと疑ある可らず。是れ余の諸君に勸告する所なり。

 演説了るや又煙花を打揚げ舞曲を催して興を添へ、高談四方に起る。歡を盡して後先生の一行將に辭し去らんとすれば、先生萬歳の聲雷の如し。

 

 <つづく>

 (2023.12.25記)