第3779回 『福澤諭吉伝 第三巻』その427<第五 信越地方旅行(5)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第五 信越地方旅行(5)

 

 (時事新報社員北川禮弼、随行記)つづき2

  諸君は後來此學校を出でゝ各々子弟敎育の任に當ることならん、若し右の如き説を唱ふる者あらば一言にして説破すべし。然れども今は舊より新に遷り變りの時代なれば、特に言論擧動を慎みて世間の擯斥※1を受けざるやう注意すること肝要なり。嘗て尊王攘夷の論盛なりしとき、其熱に熱して足利尊氏の木像を斬りたるものあり。木像を斬りたりとて何の用を爲す可きや、恰も薪を割ると同様にして、只識者を顰蹙せしめたるのみ。

  學生諸君も、文明の學に熱して漫に奇矯※2の言論を弄し突飛の擧動して自から損することある可らず。序に一言す可きは敎育費の事なり。敎育は敎育家の説くが如く無限の功能あるものに非ず、然れども金錢も亦人の思ふが如く大切の物に非ず。衣食住に必要の錢は僅かの高にして、夫れ以上の金錢は思ひしほど其人に愉快を與ふるものにあらず。貧乏人が金持を想像すれば如何にも愉快らしく思はるれども、事實は然らず。既に金圓は思ひしほど大切のものに非ずとすれば、思ひしほど效能なき敎育に之を投ずるも愛むに足らず。  

 演説中往々奇警※3の語を交え靜肅に謹聽する學生をして思はず笑を催さしむることも屡々なりき。師範學校を辭して城山館に至れば、館の入口には大なる緑門※4を築て上に國旗を交叉し、赤き木の實を以て「歡迎福澤君」の五大文字を現はせる扁額※5を掲ぐ。僅か一日の間に斯くまで用意の行屆かんとは、有志諸氏の配慮思ふべし。樓上に登れば轟然※6一發、中空に時ならぬ花を散らせしは、先生の臨場を祝せんが爲めの煙花なり。頓て樓下なる宴席に入れば、百二十名の會衆拍手して之を迎ふ。

 

 ※1■擯斥:(ひんせき)のけものにすること。排斥

 ※2■奇矯:(ききょう)言動が普通と異なって異様なこと。奇異。奇抜。突飛

 ※3■奇警:(きけい)思いもよらない奇抜なこと

 ※4■緑門:(りょくもん)祝賀の際などに建てる。杉や檜などの常緑樹の葉で包んだ弓形の門。グリーンアーチ

 ※5■扁額:(へんがく)門戸や室内などの掲げる横に長い額

 ※6■轟然:(ごうぜん)大きな音のとどろき響くさま。轟轟(ごうごう)

 

 <つづく>

 (2023.12.24記)