昭和44年夏の甲子園大会準々決勝、平安対三沢戦
三沢のエース太田幸司が活躍する中、飛雄馬と伴も
この試合を見ていた
そんな中、伴は飛雄馬に大リーグボール2号の
正体は何なのか尋ねた
すると飛雄馬はズック製の薄汚れたボールを取り出す
それが大リーグボール2号のヒントだと言う
その頃、同じ試合をテレビで観ていた一徹は
戦時中に戦場で甲子園の大投手嶋清一と会った時の
事を思い出していた
「いやいや、君は本当にたいしたものだったよ
今でも忘れはしない・・・」
「今から6年前になるか・・・・昭和14年夏の
甲子園の決勝戦!」
という事はこれは太平洋戦争末期の昭和20年か
昭和14年当時、一徹は会社員だったらしい
甲子園での嶋の快投にいても立ってもいられず、会社を
サボって甲子園に
嶋はこの大会、ここまでの4試合全て完封
しかも準決勝はノーヒットノーラン
この試合も9回までノーヒットに抑えていた
ちなみに劇中では何故かひとりのランナーも
出していないとなっていたが実際は四球を2つ
出していた
ちなみに嶋の投球フォームは何故か飛雄馬のように
足をピンと上げて投げているが、実際は
こんなフォームではなかった
この試合の映像は見た事あるが、嶋の投球フォームは
サイドスローに近いスリークォーターだった
こんなにも腕は下がってなかったが
最後のバッターも三振に仕留め
二試合連続ノーヒットノーラン
5試合連続完封で、海草中初優勝
うちの爺さんもこの試合甲子園で見たと言ってた
嶋の話ばかりしてたから相当印象に残った
ピッチャーだったんだろう
一徹に職業野球の道を決意させたのも
この嶋のピッチングの影響が大きかったようだ
「それは光栄です・・・・しかし・・・・・
また野球やれる日は来るんでしょうかねえ・・・」
「うむ・・・・・・」
その時嶋がバッグの中からあのズックのボールを
取り出した
「それは?」
「恥ずかしいんですけどこれでも野球のボールの
つもりで作ったんです」
「いつでも投げられるように肩慣らししとこうと思って」
ズックのボールではないが、実際嶋は常に爪切りと
ヤスリを持ち歩いていて、いつでも投げられるように
爪の手入れはしていたらしい
「そうか・・・私もいつでも野球ができるように
いつも右肩を背嚢で保護してるんだよ」
「勝とうが負けようがどっちでもいい
早くこの戦争が終わって欲しいわい」