青雲高校を退学してしまった飛雄馬は
配送センターでバイト
それを心配した花形は、飛雄馬との約束を破って
川上監督に血染めのボールを贈り、甲子園決勝戦の
真相を明かすも川上監督はそれを冷たくあしらう
だが同時にシーズン中の入団テストを行う事も発表
飛雄馬獲得に乗り込んだスカウトたちを尻目に
入団テストに向けての特訓を開始するのだった
というわけで今回は、いよいよ入団テストに向かう
飛雄馬を描いた第48話「父一徹のスパイク」を
解説します
「コノチャンスヲイカシクイナキケントウヲイノル
キミノシュウセイノライバル」
カタカナでわかり難いが
「このチャンスを生かし、悔いなき健闘を祈る
君の終生のライバル」と書いてある
「花形・・・ありがたいが
早朝の電報は迷惑だぜ、、、、(-""-;)」
「えーと、代えのアンダーシャツにストッキング
ガーターベルト・・・・」
「姉ちゃん・・・ガーターベルトはいらないと
思うぜ。。。。」
「飛雄馬、これを持って行け!」
「えっ、なんだい父ちゃん?」
中には古ぼけたズックのスパイクが・・・
ちなみにズックとは、要するに布製のスパイクの事だ
「これはわしが巨人軍入団の時に履いていた
スパイクだ!
そしてそれを履いてわしは魔送球をあみだしたのだ」
『戦後巨人軍に復帰したわしは、紅白戦に出場
肩を壊してから始めて三塁でスタメンだった』
ノックしてる背番号4ってもしかして
黒沢俊夫さんかΣ(・ω・ノ)ノ!
幻の三塁手と謳われた一徹は、捕球だけは
戦前と変わらぬ名手ぶりを発揮した
「星君!
今日が復帰後君の初めての試合だ
頼りにしてるぞ!!」
そして早くもサードゴロが一徹の所へ飛ぶ
この背番号7は、昭和20年代初頭としたら
山川喜作という選手かな?
ここでいよいよ一徹、魔送球の初披露だ!
一徹親父現役時代の背番号は18かよ( ̄□ ̄;)
実際の18は、中尾碩志さんだが中尾さんが
復帰するのは昭和21年からなので
これが昭和20年の秋だとすれば欠番だが・・・
「うひゃっ!」
送球が自分の方に飛んでくるのを見て驚く
山川さんらしき選手
そのたびに打者走者は一塁到達前にビビって
スッ転んだ(^▽^;)
『うむ・・・これはまさに奇跡という他はない!
しかし、、、、』
「なんだと!わしの魔送球が巨人にふさわしく
ないプレーだと言うのか!」
「魔送球を効果的に使うために、たまにわざと
打者にぶつけるなどビーンボールと変わらん!!」
「ビ・・・・ビーンボール・・・
アンタわしの魔送球をビーンボールだと言うのか」
「戦死した沢村栄治さんは出征の時
もし戦場で死んだとしても、私は一度も
ビーンボールを投げなかった事が巨人軍選手としての
誇りだと仰った!」
「魔送球が当たらないと見抜かれた時、それを
防ぐためにわざとぶつけるなど
巨人軍の恥さらしだ」
「そのスパイクには、その時のわしの執念が
染みついておるのだ!」
「・・・・なんか余計持って行きたくないな、、、
それになんかボロっちくて汚いし、、、」
「飛雄馬っ!なんて事言うの」
「だ・・・だって姉ちゃん。。。。」
「まあ・・・たしかにボロだ・・・・
だがあれは昭和12年の事だった」
またも一徹の昔話が始まった
この時ラジオでは、当時中等学校優勝野球大会という
今の甲子園大会の決勝戦が中継されていた
これに声援を飛ばすこの少年は若い時の一徹w
声は古谷徹さんだ(^o^;)
「と・・・父ちゃん、、、、」
この鉢巻きのオッサンが一徹の父、つまり飛雄馬の
おじいちゃんなのだ
「貴様、いつまで野球なんぞにうつつを抜かしとる
ただでさえうちは貧乏で人手が必要なのだ!
野球など絶対やらせんからな!!」
その時カバンからこぼれ落ちたズックのスパイク
これは一徹が飛雄馬に持たせようとしたのとは
別物である
それでも一徹は野球を諦めきれず
会社員をやりながらも野球を続けたという
今でいう社会人野球にも及ばないほとんど
草野球のようなチームだったが、一徹はかなり
ガチでやっていたようだ(^▽^;)
「ええっ!?巨人軍で!!
や・・・・やりますっ、いえやらせて下さい!」
早速一徹の実力を見ようとノックがはじまった
ノッカーは千葉茂さんだ
「哲っちゃん、こらエライ選手探してきよったな
時代が時代やなかったらわしうかうか
しとれんかったわ、、、」
「そう、時代が時代だった・・・
野球界にとっては暗黒のな・・・・」
「暗黒・・・・?」
「戦争だよ・・・」
巨人の星(青雲編)第48話「父一徹のスパイク②」
につづく
さて、本文中に巨人の昔の選手で「誰?」とか
言われそうなので紹介すると
まず黒沢俊夫さん
この人は、巨人の永久欠番の4を背負ってた人だ
うちの妹の高校の大先輩なんだよね
タイプとしては、今でいうならキャプ勇か
巨人に在籍してたのはたった2年半だが、シーズン中
腸チフスにかかり急逝
なお背番号4は不吉だから永久欠番になったわけではなく
この後出て来る千葉茂さんらが、黒沢さんの栄誉を称えて球団に
直訴したらしいよ
山川喜作さん
昭和26年からは山川武範と改名
昭和26年、巨人はカープから樋笠一夫という選手を
引き抜いた事から、カープ側とカープファンが
大ブーイング、その見返りとしてこの山川選手が
差し出されるというどっかの人的補償みたいな・・・(^o^;)
なおカープ球団史上初のサイクル安打はこの人である
千葉茂さん
まあ説明するまでもなく、猛牛と呼ばれた
長嶋さんの前の背番号3
カツカレーの生みの親でもある
「北斗っっっにすぇんぬえんの歴史ぃぃぃ~!!!」とか
北斗の拳の次回予告してた千葉繁さんとは別人であるw
中尾碩志さん
元巨人の左腕のノーコンエース
四球10個等2桁四死球のノーヒットノーラン伝説を残す
巨人軍投手子コーチや二軍監督でも有名
巨人の星でも二軍監督はこの人なのだが
やたらシゴく場面が多くぶっちゃけあまり良くは描かれていない