女性プロ野球選手第1号の水原勇気は、魔球ドリームボールで
最終回のツーアウトツーストライクから1球のみのリリーフで
各球団の主力選手を次々と三振に打ち取っていった
しかし肝心のドリームボールは、武藤に投じた1球のみで
他はドリームと見せかけたカーブやシュートだったため
世間からはドリームボールは"まやかし"だと非難を浴びる
一方ドリームボールの存在を信じる武藤も、ドリーム
存在せずという観点からカープを自由契約にされ
移籍先の球団を探し求めるのだが・・・
メッツはこの日から広島市民球場でのカープ戦
時間経過からするとすでに10月の終わり頃のはずなのだが
この年のシーズンはいつまで続くのだろう(苦笑)
プロ野球に女性は水原一人なので、当然水原専用の
ロッカーなどは存在せず
男子選手が全て着替え終った後に、水原は
独りで着替え
「大変じゃ!ちょっと来てみい!!」
この時代はセクハラという言葉などはないのである(^o^;)
「頼む、監督!わしを・・・わしをもう一度カープに
入れてくれ!!契約金なんかはいらない、水原と
対決させてくれればいいんだ」
「やめろ武藤、テスト受けさせてやったじゃないか
悪いが、うちにお前は必要ない・・・それだけだ( ̄_ ̄ i)」
ああ、しかしかすりもせず三振や
あんな酷いアッパースイングで当たるわけないわ(`∀´)
武藤必死の懇願も通じるはずはなく、勿論断られる
「古葉さんっ、ドリームボールはあるんだ!
そしてあれを打てるのはわししかおらんのです」
「みんなドリームはないと騙されてるんだ・・・・
わしは・・・わしだけがそれをわかってるんだ、、、」
武藤の言葉に足を止める江夏
最初にドリームボールの存在を否定したのは江夏だが
武藤の必死の訴えが少し気になったようだ
この試合も終盤までメッツが1点リード
水原登板のパターンである
先発の火浦ももはやベンチの采配には文句も言わず
黙ってボールを水原に渡す
「来た・・・水原っ!」
バックネット裏に陣取る武藤
いくら当時の広島市民球場でも、そう簡単にバックネット裏の
席が手に入るとは思えんのだが、どさくさに紛れて
入り込んだか(^o^;)
フォークと呼んだ衣笠は、「もらった!」とばかりに
バットを出す
「ドリームだ・・・・ドリームボールだ・・・」
念仏のように呟く武藤
ドリームボールじゃ~
今の球こそドリームボールなんだよ~~
バックネット裏で絶叫する武藤
見たか・・・今のがドリームボールだ!
わしが三振した球だ!!
「ド・・・ドリームボールだって!?まさか・・・」
絶句する山井
「武藤のやつ完全に狂ってるな・・・今のただのフォークでしょ」
まだ武藤の言葉が信用できないカープベンチ
「いやぁ・・・まいった・・・フォークなんだけど
体勢崩したのか体が揺れてバットに当たらんかったよ」
悔しがる衣笠
「体が揺れたって、何言ってるんだよ?
俺には完璧なフォームにしか見えなかったが・・・・」
ええっ!?
でも、スイングの時確かに目線がブレたんだ・・・・・
ま、、、まさか本当にドリームボールだったのか
「あーあ、とうとうドリームボールだってバレちゃった(´・ω・`)」
「水原、お前俺にウソついたのか・・・・」
憤る帯刀に「水原は悪うないんや」と水原を擁護する鉄五郎
「ドリームボール・・・本当にあったのか」
驚きを隠せない古葉監督と江夏
「騙してスマン、しかし敵を騙すにはまず
味方からっちゅうやろ」
水原のドリームボールの効果を最大限に発揮するため
あえてドリームボールはないと世間に思わせる作戦だったと
メッツナインに説明する鉄五郎
「しかしドリームボールの存在がバレた以上相手も
打倒ドリームボールに動き出すんじゃあ・・・」
心配する帯刀
「そんときにはまたカーブやシュートで誤魔化したら
ええんや!」
「水原、今まで辛い思いさせてスマンかった
しかしこうする事がお前を生かす最善策やったんや」
翌日のスポーツ紙の一面はドリームボールの存在を
デカデカと書きたてた
「これで球団史上はじめて2位浮上じゃー」と
矛盾満開な発言をするオーナー
火浦が入団した年にメッツは優勝したと思うが・・・( ̄_ ̄ i)
見たかヴォケーヾ(。`Д´。)ノ
ドリームボールはあったんじゃー
わしだけじゃ・・・わしだけがあの球を打てるんじゃ
ドリームボール打倒に燃える武藤
果たして武藤を受け入れる球団は出てくるのだろうか
さて、アニメの舞台となった1978年と言うと
この年の日本シリーズ第7戦、1時間19分にも及ぶ阪急
上田監督の猛抗議を語らないわけにはいかない
この年まで3年連続日本一を成し遂げた上田阪急はまさに
無敵と言ってよかった
しかしこの年は速球王の山口高志が腰痛で欠場
エースの山田も不調のまま日本シリーズを迎えた
それでも当時前後期制のパリーグでは完全優勝
今井雄太郎の完全試合もこの年だった
一方セ・リーグの覇者は、巨人とのし烈な優勝争いを制して
初優勝した広岡ヤクルト
若松、大杉、マニエルの強力クリーンアップと、松岡弘、
安田猛、王選手に756号を打たれた鈴木康二朗の先発
3本柱に、梶間健一、倉田誠、井原慎一郎のリリーフ陣と
王者阪急に引けを取らない戦力だった
第7戦まで3勝3敗とタイで迎えた第7戦に事件は起きた
1-0とヤクルトリードで迎えた6回裏、一死ランナー無しから
ヤクルト四番大杉勝男の当たり
打った瞬間は低い弾道に見えたが、これが「月に向かって打て」
のごとく、レフトポール際にグングン伸びた
ぶっちゃけ打球がどこに飛んだのか、当時テレビで観てても
全然わからんし、カメラも打球を見失った感じ(・Θ・;)
※ちなみにこの年はヤクルトの本拠地神宮が大学野球のため
使えず、ヤクルトのホームは後楽園に差し替えられた
レフト線審(当時はそういうのがいた)の富沢はこれを
ホームランと判定
マウンド上で呆然とする阪急先発足立
これに対して阪急上田監督が「ファールじゃないか」と
抗議に出た
これが長い長い中断の始まりだった
阪急上田監督は、選手を全てベンチに戻し強硬姿勢を取った
そもそも、「ポールの下(約50~60cm)を外側(ファール地域)を
通ってスタンドに入った」と主張する阪急側に対し
線審富沢は「ポールの"上"をフェアゾーン通過で入った」と
食い違う主張をしていたのだ
今よく見ると打球は、ポールの上は通過しておらず、フェアか
ファールは別にして阪急側の主張が正しいようだ
まあぶっちゃけ富沢線審は、打球を見失ったのだと思う(^▽^;)
その根拠は、当時の後楽園のレフト側は強烈な西日が
当たっていたのだ
富沢線審は、モロにその西日の方向を見ている
また当時後楽園のポールには、企業の広告の文字が入っていて
もしあの弾道で、フェアゾーンを巻いて入ったならこの看板の
ワの部分か、金網に当たっていたはずだ
更に、ホームラン判定の直後のヤクルトベンチでは
ヤクルト先発の松岡がはっきり「あれポールの外だよね」
という仕草をしていたのだ(苦笑)
上田監督は「ホームランと言うなら仕方ないが、試合再開するなら
あのヘタクソな審判を代えろ」と要求
最後はコミッショナーと、阪急球団代表が説得という前代未聞の
情況になり、結局1時間19分の中断の後試合は再開されたが
阪急はそのまま4-0で敗れ、4連覇の夢が断たれ
上田監督も辞任という結果になってしまった
まあ今のルールだと上田監督は退場処分なんだろうけど
審判団は何故かその判断はせず
実は富沢線審も打球見てなかった事を暗に認めていた
のかもしれない・・・
ちなみに2004年の中日と西武の日本シリーズの第一戦では
タッチプレーを巡って49分間の中断
なんとこの時は、審判がミスを認めて判定が覆ってしまった(゜д゜;)
上田監督はこれを見てどう思っただろう