プロ野球女子投手第1号になった水原勇気は、初登板
初勝利を達成する
しかしピッチャーライナーに対応できないという弱点を
阪神打線に見抜かれ苦戦
ピッチャーライナー恐怖症は根性で克服するも
自らの球威のなさをカバーする決め球がない事に
気付いた水原は自らファーム落ちを志願
その後メッツは全く勝てなくなり、水原を一軍に呼び戻そうと
二軍の練習場に向かった五利は、ドリームボール開発の
ためにフォームの作り直しから始めていると聞いて
愕然とする
「鉄っつあん、どういうつもりや」
どういうつもりて、なんや?
わしは水原を鍛え直しとるんやないけ
アホ言え、わしは今すぐ水原が必要なんやヽ( )`ε´( )ノ
もう呑気にドリームとか言うてる余裕ないんやで!
ま・・・待て、鉄っつあん
どこに行こうっちゅうねん?
「どこて、ボーリングや」
ふざけんな鉄五郎
メッツの規則で投手のボーリングは禁止されとるんやで
水原の手首潰すつもりか
ええやないか少しくらい気分転換や
それよりお前、今聞いたけど15連敗(えっ!)やそうやないか
こんなとこで油売ってる場合ちゃうやろ
せやからこそ水原を呼び戻しにきたんや
「アホ抜かせ!水原はわしに任せとったらええんや」
五利を突き放す鉄五郎
「やあ岩田さん、今日もやって来ましたね」
この人木戸というプロポーラーらしい
ゴロゴロゴロカランコローン
「おおっ、水原今日もええ調子やのう」
水原のボーリング通いを東京日日新聞の山井はとっくに
察知して、水原を張っていた
山井さん、水原なかなかやりますよねえ
もしかしてプロポーラーに転向する気ですかね
「案外本気かもしれんぞ、岩田さんは利き腕じゃない右で
投げてるが、水原は利き腕の左だ」
ええっ!?
よく見ると水原のボールの持ち方が変だ
しかしこれにはさすがの山井も気付いていない
メッツはこの日は横浜大洋とハマスタで試合
ハマスタはこの年に完成したばかりの新球場だ
当時としてはセ・リーグで一番広く、ブルーの高いフェンスが
特徴の最新鋭の球場だった
王さんは甲子園に次いで、この球場は苦手としていた(^▽^;)
勿論まだオーロラビジョンなんてのはなかったけど
スコアボードの形も今のまま
ま、メッツ負けてるけどね
オーダーも懐かしい名前がズラリ
主審が平光、井野さんもいるぞ
大洋の先発は平松政次さん
この人のフォームがまたカッコ良かった
当時は巨人キラーと言えばこの人で、巨人戦だけで51勝
まあ憎ったらしいピッチャーだったけどね(^_^;)
監督しゃん、わしのジンクスではバントはいかんダス
ここはエンドランダスよ
やかましいわヴォケ
もうおんどれのジンクスなんか信用せんわい
とっととバントしろ
でも監督しゃん・・・
「デモもストライキもないわい、バントやれんのやったら
おんどれはクビじゃ(-_-メ」
「待たんかいコラ!何がアウトじゃ
今のわざと落球したんやないか」
ベンチから飛び出す五利監督
おい、審判全員集めてリプレイ検証・・・いや
協議せんかいヽ(`Д´)ノ
慌てて制止に入るメッツナイン
「ええい、離せー離さんかいーーーー」
「あーあ、だからバントはいかんと言ったんダス・・・」
ってかバントがヘタなお前が一番悪いわ甚久須
これにより、五利は制裁金5万円のペナルティとなった
第4話なぜ!?ボーリングに挑む勇気4-4につづく
この年から大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)は
本拠地を川崎球場から横浜スタジアムに移転
(当時川崎市がモーレツに反対してた気がするw)
チーム名も、大洋ホエールズから横浜大洋ホエールズに
ユニフォームも一新され、ホームは胸に「YOKOHAMA」のロゴ
ビジターは、紺に「TAIYO」のロゴが入っていた
個人的には、このビジターのユニ結構好きだったわ
当時としてはトレンディーで「ああ、都会のチームだな」と
思うようなユニだった
1番センター長崎慶一
横浜なのに長崎w
印象としては何故か3年くらいしか在籍してなかった
阪神時代の方が記憶に残ってるなあ・・・(^o^;)
2番ライト高木嘉一(後に由一)
この当時まだ高木豊さんは入団してないので
表記は「高木」だった
3番セカンドミヤーン
この当時外人選手と言えばパワーヒッターなイメージ
だったけど、ミヤーンはアベレージヒッター
極端に短く持ったバット
そして、青芝フックキックという漫才コンビのフックに
激似だったのでよく覚えてる
4番ファースト松原誠
この人は、現役時代より巨人の打撃コーチ時代の方が
記憶に残ってる
一回この人のヤジで星野1001がブチギレして乱闘に
なった事あったし、呂明賜とソリが合わなくて
最後呂がこの人の事ボロカスに言って台湾に帰っていったなあ
ジュニアではありません(苦笑)
まあ現在巨人の二軍でコーチやってますけどね
この当時「オバQ」とか呼ばれてたけど、ホームランが
オバケ級に飛んだからじゃなく、単に発言が
オバケのQ太郎なみだったんで、コーチから付けられた
あだ名らしい
6番セカンド山下大輔
年々髪の毛がヤバくなって、最後はスキンヘッドに、、ヽ(;´Д`)ノ
ちなみに大洋の1977年までのオレンジに緑のユニフォームは
この人が静岡出身で、名産のみかん(オレンジ)とお茶(緑)
からあの配色になった
これは当時の湘南電車の80系という車両も同じみかんと
お茶からああいう配色になったという
7番レフト中塚政幸
この人見た目はかなり地味だったけど、巨人戦では結構
打ってた気がする
この年(1978年)に屋鋪さんが入団して、3年後に
ポジション奪われてた・・・
8番キャッチャー福嶋久晃
大洋にいたのは覚えてるけど、プロゴルファーの2人の娘の
方が有名だった気がする・・・
9番ピッチャー平松政次
平松さん、ドラフトで巨人が1位指名確約してたのに
巨人はそれ反故にして、槌田というキャッチャー1位指名
したんだよね。。。
巨人はこの頃からバカなドラフト指名繰り返してるのだ(´_`。)
大洋は、投打共にそこそこバランスが取れてて
投手陣も、ヒゲの斎藤明16勝、野村収17勝、平松10勝
高橋重行8勝だったんだけど、抑えが不在
斎藤明、野村収、平松に抑えも兼任させていた
さすがに先発3本柱にそこまで負担させたのが効いたのか
この年は4位に終わっている