野球狂の詩 第2話 女性投手誕生2-3 | 野球侍SAKIのブログ

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ももクロの夢はモノノフの夢

1977年のドラフトで東京メッツは、女子選手水原勇気を
1位指名した
様々な難関を乗り越えてプロ野球史上初の女子プロ野球選手が誕生
しかし女子選手だけに球威やスタミナでは男子選手に劣る水原
そんな中、水原の教育係武藤は夢からヒントを得た新魔球
ドリームボールの開発に乗り出す
だが、メッツの至宝岩田鉄五郎はそれに難色を示すのであった

 


「よし、調子が出てきたぞニヤリ
バッティング練習に励む帯刀

 


「ドアホむかっ何が調子が出てきたじゃ帯刀っムキー

 


い・・・岩田さん・・・汗
「わしはお前に水原の教育係やれと言うたはずやぞ!
なんで呑気にバッティング練習しとるんじゃヴォケ
パンチ!

 


はあ・・・しかしボクは別に武藤さんのやり方が
間違ってるとは思えんのですよ
それに小仏さんが・・・( ̄_ ̄ i)

 


アホか、小仏なんぞ関係ないわい!!
とにかく水原から武藤を引き離すんじゃ
武藤はアカン!

 


岩田さん・・・なぜ武藤さんじゃダメなんです?
「・・・もうええ、わしが直接武藤に言う」

 


オラ武藤!
おんどれの役割はもう終りじゃ
水原から手を引けビックリマーク
水原はおなごじゃ!!
無理な練習させて壊れたら元も子もないやろ
中継ぎで2~3イニングもったらええんじゃムキー

 


な・・・何故です岩田さん
もうすぐドリームボールが完成するんです!
そうしたら水原は一軍でもトップクラスの投手になれるんです

 


なんや、ドリームボールて?
「そ・・それは企業秘密です、今は言えません」
ふん、ドリームかクリームか知らんが今はそんなもん
必要ない、とにかくお前はもう水原に近づくなむかっ

 


なんだとクソジジイムキーッ

 


鉄五郎と武藤の激しい口論にオロオロする水原(゚Ω゚;)

 


とにかくなぁ、俺はドリームボールが完成するまでは
絶対に水原から離れんし、それをじゃまするやつは

誰であろうとぶっ飛ばす!

 


おお、上等やんけクソガキ(# ゚Д゚) ムッカー
わしとやろうっちゅんかいむかっ
かかってこいやムキー

 


二人ともやめて下さい!
そもそもなんで武藤さんじゃいけないんです岩田さん!?
「い・・いや、それはやな・・・」
口を濁す鉄五郎

 


その理由はその日の夜に判明する
なんと武藤のトレード話はまだ終わってはいなかったのだ
中日とのトレードは潰れたが、今度はカープの左腕との
交換トレードが進んでいるらしい

 


オーナーに呼び出された小仏二軍監督は、それを聞かされ
愕然とする
「まるで武藤の大安売りだ・・・・」

 


小仏、諦めろ
わしらがそういう世界で生きとるのはお前もよう
知っとるはずやろが( ̄ー ̄;

 


そんな事になってるとはつゆ知らず、今日も元気に
メッツのクラブハウスにやってくる武藤(^ε^)♪

 


そこに何故か小仏二軍監督が待ち受けていた

 


「武藤、今日はもう水原の事はええ、お前には
バッティング練習してもらう」
それを聞いて驚く武藤

 


ほれ、今日の練習相手はあいつだ
「ええっ!?」

 


二軍練習場に姿を現したのは一軍のエース火浦だ

 


小仏は、武藤に火浦との4打席真剣勝負を命じる
火浦のガチのストレートにビビる武藤

「は・・・速いっ(+_+)」

 

「キャッチャーとしては一軍でも十分通用する武藤が
何故10年も二軍で燻っていたか
その理由は、バッティングがあまりにも悪すぎたからだ」

と小仏二軍監督

 


「コラ武藤、体が開き過ぎだ!顎を引け、脇を締めろ!」
必死に指導する小仏

 


だが一軍のエースと、10年も二軍の武藤とでは
あまりに実力の差がありすぎた(T_T)

 


武藤は結局ヒット性の当たりさえなく、4打席凡退してしまう

 


「ガハハハ、さすが火浦だ、立派になったな」
このシーンに噛ませ犬な扱いの武藤の悲哀を感じた(´_`。)

 


その夜、武藤は妻子を何故か高級フランスレストランに
連れてくる

 


今日な、火浦相手にバッティング練習させられたよ・・
こんな事今までなかった
あれは多分、小仏監督からわしへの最後の手向けに違いない
いよいよわしもメッツから追い出されるんだろうな、、、

 


えっ、そうなのあなた!
驚く妻ノブ子

 


一応この場所にいる事は球団にも伝えてある
早ければ今夜中にも通告があるはずだ・・・

 


『東京メッツの武藤様、東京メッツの武藤様
球団からお電話が入っております』

通告キターーーーー((゚m゚;)

 


予想していたとはいえ、本当に電話がかかってきて
動揺を隠せない武藤チーン

 


ついにわし・・・メッツを放出されるんやな。。。。ヾ(;ω;)

 


翌日のスポーツ紙にはガッツリ武藤トレードの記事が

 


それを見て駆け出す水原

 


どうやら鉄五郎の家に向かってたようだ
「よう水原、わしの家に来るつもりやったんやろ」

 


なんでです岩田さん、武藤さんがかわいそうじゃないですか
こんなのあんまりです。゚+(σ´д`。)+゚・クスン…

 


そりゃたしかに武藤さんには着替えやお風呂覗かれ
ましたけど、あたしそんなの気にしてません(`・ω・´)

 


あのな、水原
わしら人間であって人間でないんや
プロ野球選手っちゅうのは球団にとっては商品なんやで
自分とこで必要ない選手を必要としてるとこに売る
それが当たり前の世界なんや
ショボーン

 


ええっ!商品!?
商品と言う言葉にショックを受ける水原

 


じゃあせめて・・・せめてもう一度武藤さんに・・・(ノω・、)

 


ああ、それやったら心当たりがあるぞ

 


武藤がいたのは国分寺球場のグラウンドだった

 


キャッチャーズボックスに独り腰を下ろす武藤

 


わしはここで水原のドリームボールを受けたかった・・・
一軍のマウンドに立つ水原とバッテリーを組みたかった( ´(ェ)`)

 


武藤さん・・・あなたがいなくなったら
あたしのドリームボールはどうなるの?
あたしのドリームボールは・・・・


第3話 燃えろ!勇気の初登板3-1につづく


さて、前回は江川事件について書いたけどこの年(1978年)の
オフにはもうひとつ大きな事件があった

 


この年、阪神の四番田淵幸一は打率.288、本塁打38本、打点89
の成績を残したのだが、その田淵を阪神は突然売りに出したのだ
『田淵売ります』という見出しのスポーツ紙がガチで出た
らしいが、それはこの年の10月から阪神の球団社長に就任した
小津正次郎というおっさんが言った事で、最初は冗談かと
思われていたのだが・・・

 


田淵は法政一高から法政大学に進み、1968年にドラフト1位で
阪神に入団したのだが、当初は巨人入りを熱望
巨人は背番号2を用意していたのだが、交渉権を阪神に奪われ
一度阪神に入団、即トレードというどこかで聞いたような
「三角トレード」を阪神に打診したものの拒否され
巨人入りが絶望となった後涙ながらに阪神に入団したという

 


ちなみに田淵は奇しくも江川さんの大学の先輩で、ドラフト前に
「在京ならともかく関西の球団はいやだな」みたいな発言をしており
江川さんがクラウンに指名された時の「福岡は遠すぎる」発言は
それをマネしたのかもしれない(^▽^;)
また田淵のオカンは田淵をガチで「ぼくちゃん」と呼んでいて
大阪へ向かう田淵を見送る時、東京駅で号泣したらしい(つд⊂)エーン

 


阪神入団後から田淵はその大器ぶりをすぐに発揮
三代目ミスタータイガース(初代は藤村富美男、二代目は村山実)と
呼ばれるまでになった

 


だが捕手というポジションと四番という事でとにかくケガが多く
特に1970年8月26日にカープ外木場から受けた頭部への死球は
田淵の聴力を破壊、選手生命を脅かすほどのケガだったという
以後、田淵は左後方に飛んだファールフライは追いかけられず
怠慢プレーだと阪神ファンから強烈に野次られた

 


しかしそれでも田淵の長打力は本物で1975年には
それまで13年連続ホームラン王の王さんの14年連続を
阻止した
ところがこの頃から田淵は態度が傲慢になり、阪神球団も扱いに
困るようになった
特に田淵の体重は年々増加、ただでさえ「阪神部屋」
呼ばれるくらいデブの選手が多かった事に、新社長小津は
我慢できなかったようだ

 


1978年は、阪神球団史上初の最下位になった事も田淵に災いした
田淵はこの年のオフ、太り過ぎを気にしてダイエットして7~8キロ
体重落してアピールしたが遅すぎた

 


1978年11月15日の夜11時にホテル阪神に急に呼び出された田淵は
「良い監督の下で、将来の幹部候補として勉強して来い」とか
小津に言われて、新球団西武へのトレードを通告される
ある意味武藤のトレード通告よりも最悪である(´・ω・`)

 


阪神は翌年からブレーザーという外国人監督の就任が決まっていたが
「根本さん(西武初代監督)は良い監督で、ブレーザーは悪い
監督なんですか?
むかっと田淵は不快感を露わにし、外で

待ち受けていた報道陣の前で人目もはばからず号泣した

 


阪神からは田淵、古沢、西武からは真弓、若菜、竹ノ内、竹田
という2-4の大型トレードだった

 


小津球団社長(当時)は、別名『オヅの魔法使い』と言われ
翌年1月、それまで「江川とのトレードは応じない」という姿勢を
突然翻し、小林をトレードで獲得
「阪神部屋」から「イケ面チーム」へのイメチェンに成功した
しかし江本とか真弓とか小林とかスラッとした選手が揃っていたが
ブレーザー阪神は結局2年連続Bクラスで、優勝は1985年まで
待つ事になる(^o^;)