困るのは、書くことがないのに書きたくなることだ。
しかも忙しい時に限って。
書きたい欲が他の人の書きたい欲を受け止めるという形で(つまり誰かの書き物を読むという形で)も満たされ得るのに、そういうときに限って誰も書きたい欲を爆発させていない。
だから書く欲は風船のようにどんどん膨らんで行って、iPhoneのホーム画面を3週くらいして、そしてここに行きつく。

行きつく場所を作っておいてよかった。
少しなら慰められる。
たいそうなことだ。世のためには欠片もならない文を書きたくなるなど。
はい。
すっかり私ないずされていると、おじさんは言うけど
そうやって他人に染まることが元から好きだったなら
特にその事実に対して喜びは感じないと伝えておいた。

おじさんとは所謂彼氏の呼び名だけど
別に本当におじさんではない。
彼とか彼氏とか○○くんとか言う呼び名は私が好まないから
おじさんと呼んでいるだけで。

おじさんはへたれだ。
へたれなおじさん(こちらは一般名詞)は好きだけれど
私はおじさん(固有名詞)がへたれであることに満足してはいない。
でも仕方ないと諦めてはいる。
私の歴代のおじさんはみんなへたれだったから
そういう種類の人間に好かれるタイプに育った私がわるいのだと思う。
一人で生きていけるように見せられることには自信がある。
気まぐれだし、甘え上手なタイプではない。
だから人のよさそうな人間には好かれない。
ナチュラルメイクの似合う森ガールが好きな女子がタイプの人間にも。
わりと広範な人間に好かれない。

おじさんはさばさばしたタイプだと思って私に興味を持ったのかもしれない。
そのようなタイプに見られることが多い。
予想を裏切れて大変満足している。
別にさばさばしていないから。
それでもおじさんはそのままでいいと言う。
内心というか本人の前ですら、嘘ばっかりと笑っているけれど、
それに甘えて私の面倒くささは日を追うごとに増している。

相手を怒らせることが得意なのだ。
それが趣味と言ってもいい。
身内と言うか友達にはそんなことは決してないけど
それで怒られると途端に罪悪感に苛まれるから
最早幼児としか言いようがない。
ジャイアントベイビーだ。
だから一番甘えられる相手をおじさんなどとも呼びたくなるのだ。
おじさんと呼ぶような年上だと、存分にぶら下がれる気がして。
本当は同い年だけれども。
問題児に育ったものだ。
明日私が死んだら、きっと泣いてくれる人はたくさんいると思うから
だから明日にでも死にたい。

結婚25年になろうというのに毎日冗談を飛ばし合って
休日にはデートに行くような天真爛漫な夫婦から産まれていながら
どうしてこのような考え方をする人間に育ってしまったのか分からないけど
私はどう考えてもこういう人間だ。
愛する人が泣いてくれるうちに、どうしてみんな死にたくならないのか、理解できないくらい。
誰よりも、十分愛されて育ってきたのに、まだ愛されたりないみたい。
泣くほど愛してくれる人に囲まれて死にたい。一人で死にたくない。置いて行かれたくない。寂しい。
寂しい思いをした幼少期のトラウマとか、そういうもの、全部私には他人事なのに、
他人事だからこそ?
私は誰よりも愛されていないと不安で、少しでも寂しくなるのが怖くて、承認欲求が強い。
だから自分のために他人が泣いてくれることが意味するものは、
私にとって、
自分が他人を悲しませたという罪悪感ではなくて
むしろ他人が悲しんでいるなどという事実は心底どうでもよくて
ただ自分が、その人の愛を受けたという満足感。
愛されたという自己肯定。
それでしか。

自分の精神年齢は誰に測られなくても分かっている。5歳。
他人に興味が湧きはじめ、承認欲求がうまれはじめ、でも自分が一番な年齢。

中学生の時の反抗期を過ぎたときからずっと、
甘い甘い生クリームの中で泳いでいる心地がしている。
夢の中でではなくて、現実で。いつも。


Serendipityは中央大学校の正面にある天井の高いカフェの名前だった。
滝のように地面に打ち付ける雨の中を、
あたまからしっぽまでびしょ濡れになりながら走って行って、
最初に目に映るガラスのドアを急いで開けたことを憶えている。

紙カップで出てきたアメリカーノの、プラスチックの蓋はハート型。
そのようなカフェはごまんとある。ありすぎてそれぞれの店の売り上げが心配になるほどだ。
心配とか言いながら誰よりも嫉妬している。
どんな人間が始めて、経営して、そして客を引く努力もせずに、実際客も呼び込めずに、
だけど経営者たり得ているのだろうと。

日々そんなことを考えているけれども私には資本も知識もない。
働く意欲はあるけれども雇われる意欲がない。
働く意欲の倍以上は休む意欲がある。
それが平凡だとしたら私以上の平凡はなく、
これでもし社会的地位を道端から拾い上げられるような
視力を親から与えられていなかったら、
一気にニートにしかならなかっただろうという気しかしない。

オレンジの電車沿いの小さな駅にある私の大学に生息する学生という名の動物
その半分は私と同類の
視力だけを与えられた平凡。
平凡は更に二つに分けられる。

男と女に。
明と暗と言ってもいい。
社会の。
起業するとしたら店を開きたい。
誰も見たことのないようなコンテンツを商品にしたり技術を生み出したりすることに自信はない。
外国に行くとしたらモロッコに行きたい。
行ったことがないエスニックな場所の、妙に西洋化された煌びやかな雑貨に興味があるから。

そうやって消極的に生きてきた。
身体は重く、でも精神は束縛されることなく解放され、そのかわり宙に浮いたように不安定だ。



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