そらの鬱病克服ブログ -26ページ目

糸が切れる瞬間

頑張る毎日が続いたわけですが、

そう長くは続きませんでした。

ずっと細い糸を張り詰めたような生活だったんですから。



例の年下の先輩と一緒のシフトな日が憂鬱。

さらにその人はリーダー的存在だったので、

同調する人もドンドン冷たくなって・・・・・

もう誰といても憂鬱。

一人でいるほうがいっそマシ。



そしてある日、

私を嫌ってる人たちが勢ぞろいするシフトになった時。

とうとう糸が切れて行けなくなってしまいました。



もう欠勤の連絡をするのが苦痛で、

ひたすら上司が電話をとってくれることを祈って電話しました。



そして、その次の日も。

その次の日も。


挽回の日々

休んだこと自体も一部の先輩や同僚に

不興をかっていましたが、それだけじゃなく、

そんな私に対する上司の態度が優しすぎ、

いわゆる「贔屓をされている」と認定され、

ますます冷たい目で見られるようになりました。



だから自然と、先輩たちは「一生懸命出勤してる

私たちより、こんなに休むそらを大事にするんだったら

私たち、仕事なんかしたくないわ」的な空気が流れ、

サボることサボること。



いえ、出勤はしてきてるけど、動かない。

今まであった仕事に対する意欲が感じられない。

上司がなにか言ってきても「そらに対応させとけば」

「だって気に入られてるもんねー」というセリフが・・・・。



昨日、年下の先輩に言われたときも猛省しましたが・・・・

上司に気に入っていただけるのもありがたいんですが・・・・

ハッキリ言って辛い日々が始まってしまいました。



でも自業自得なので必死で挽回しようと頑張りました。

どんなにヘルニアが辛くても、熱があっても、

出勤したし、残業もしました。


そして、体力的にも精神的にも一杯一杯な

日々が続いたのです。

現場の意見

上司の方々は、私が長期間休んでたことに対して

「大丈夫、問題なかったよ。気にしないで」

って言ってくれてたので、私はその言葉を信じてました。



その日にあった先輩方も「大丈夫、私もそれくらい休んだことあるし」とか

「もっと人足りないときだってあったんだから、大丈夫よ」

と言ってくれたのですっかり安心してたんです。



でも、次の日、職場に行くと

例の年下の先輩がいました。



まずは挨拶をムシされ、

ムシは昼過ぎまで続き、

その後、ようやく口をきいてくれたかと思えば、

私が休んでる間、いかに迷惑を被ったか、

どんなにみんなが大変な思いをしたか、

を永遠と・・・・・



私はひたすら「すみませんでした」

と言うしかなく。

「○○さんたち(上司)が大丈夫だったって

おっしゃってたのでてっきり私がいなくても

何も問題がなかったのかと・・・・」

というと



「そりゃ、あの人たちは現場のことはわからないから」

と一刀両断。



現場の人の本音を聞いて、

いかに自分が迷惑をかけたかを知り、

自分が悪いんだけど、胃が重く痛くなりました。