こんにちは、たーです。
前回は、稚拙なブログを書いてしまい申し訳ありません。
そのくらい大学時代の僕はクソでした。
社会人になる前に、書いておきたい記事があったので、青年期の続きで書いておきます。
今更書いても、関係ないので書きますが、僕の行った大学は福岡にある「
九州工業大学」という大学です。
偏差値は大したことはないんですけど、就職にはクソ強い大学だったりします。企業との連携が強く、ほんとにダメダメな生徒でも教授がコネを使って無理やり企業に押し込みます(笑)
生徒の大半は、内定に至るまで 平均1.7社しか受けてません。僕も内定するまでに2社しか受けていません。落ちたら馬鹿にされるような始末です。何社も受けてるような生徒はもうみんなの笑いものにされてしまう次第です。
前回まで、僕は大学時代は遊びほけてたという記事を書きました。
本当に遊びほけてて、大学3年生になるときに、留年しかけたんです。
僕は、2年の前期に7単位しかとれなくて、合計単位数が45単位しかありませんでした。
3年生に上がるのに必要な単位数は75単位。
普通に授業をうけてたら、2年の前期で75単位とってる人が大半なんです。
いきなり、後期に30単位とらないと進級できないことになったのです。
ちょうどそのときに、僕の大好きだったおじいちゃんが亡くなりました。
僕は、そのとき思いました。これで留年したら死んだおじいちゃんに顔向けできないと。
一生後悔するんじゃないか。
もう、人生で一番頑張ったんじゃないでしょうか。
他学科履修、単位を落とした授業、下の年代と一緒に授業を受けて、できることはすべてやって単位を取りにいきました。
それまで、週に1度しか学校にいっていなかったのに、2年の後期は、週に5日、5限すべて履修して単位を取りに行きました。
知らない人に、いきなり「ノートを貸してください」なんてザラにいってました。
学部のみんなは僕が留年することをほぼ確実に思ってたんじゃないでしょうか。
そして、なんと後期は36単位とって、見事3年生に進級できたんです。
僕の大学は留年に対してかなり厳しい大学で、留年率3割は当たり前、留年率が5割になることもあります。
ひどい授業だと、80人いて、2人しか単位をくれない先生なんかもいました。あと全員はみんな追試です。
なんとか乗り切りました。
あのまま留年していたら、ほんと腐ってたんじゃないでしょうか。
僕の友達の中には、せっかく福岡の超難関校の修猷館高校から来ていた友達もいたのに、みんな留年しました。
やっぱり高校時代にめちゃくちゃ勉強したせいか、大学に入って、気が緩んで学校にいかなくなるんじゃないでしょうかねぇ。
次の記事はちょっと書く事を考えます。大学時代はほんといろいろあったので、社会人になる前に書いておく記事があるかなと思って。
皆さん、休日を楽しんでください!