【日記】2年ぶりに日記を書きます。 | うつ病になったSE(システムエンジニア)の夫とその妻の鬱克服日記!!

うつ病になったSE(システムエンジニア)の夫とその妻の鬱克服日記!!

SE(システムエンジニア)でバリバリ働いていましたが、現在"うつ病"で心療内科に通院中。

同じようにSEでうつ病になった方、もしくは身近な人がうつ病になってしまったという方に役立つ体験談となるよう、鬱を克服してゆく様子を記します!

皆さんお久しぶりです。たーです。

2年間ブログを停止していましたが、あれから色々ありました。

嫁さんとは別れて福岡に戻り、再就職した仕事でボロボロになって、一昨年の暮れにビルの9階から飛び降りて自殺しました。

幸い命はとりとめましたが、全治4ヶ月の大怪我でした。

その時に、病院で書いた日記です。

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後生に残すのと、もう決してこのようなことを起こさないようにという自分への戒めも込めて日記を書きます。

事故の原因はマンションの9階からの転落。忘れもしない10月10日の深夜二時での出来事。一部の友人にはなぜ転落したかの真実を伝えています。

階段からの転落ではありません。9階の踊り場から1階の真っさらなコンクリートの地面まで真っ逆さまの転落。

地面に叩きつけられたショックで意識が飛びました。いや、記憶はあったのかもしれません。家族に電話をし、「マンションから落ちた」と電話してるのですから。また、自分で110番をし、救急車も呼びました。しかし、電話の途中で意識が無くなり、結局助けは呼べませんでした。

発見されたのは二時間後の午前四時過ぎ。幸いにも通行人が発見してくれ、救急車を呼んでくれたようです。後で分かったことですが、落ちた周辺は血の海になっていました。

ちょうど落ちた場所に5cmほどの鉄のフェンスがあり、その上に落ちたため、それがクッション材の役割を果たし奇跡的に助かったようです。ちょっとでも落ちた場所がずれていればコンクリートに叩きつけられアウトでした。鉄のフェンスは原型を残さないほどグニャグニャに曲がっていたそうです。

すぐに最寄りの済生会福岡総合病院に救急搬送。心配して早朝まで起きててくれた家族にも病院側から連絡がいった模様。

生死の境を彷徨いました。意識が戻ったのは実に五日後。病院側から家族には、「正直に申し上げて生きるか死ぬか五分五分の状態です。覚悟はしておいてください」との説明があったと後日聞きました。

事故の症状としては、両側血気胸、出血性ショック、広範囲肺挫傷、左大腿骨骨骨幹部骨折、右下肢膿瘍というものでした。また、肋骨も八本折れていました。

血気胸というのは胸に怪我をし、胸腔内に血液と肺から漏れた酸素がたまった状態。

胸腔内は血の海で、体内の20%の血液が失われるという出血性ショックの状態でした。一刻も早く処置をしないと死に至ります。

また、肺がつぶれ、広範囲に渡り肺の中に血液がたまっていました。

半死半生状態です。

すぐさま胸に二箇所穴をあけ、肺に直接チューブを突き刺し、血液と酸素を抜く胸腔ドレナージという処置を施行。

同時に呼吸ができないため、人工呼吸器を使って口から管を入れ直接酸素を送り込む処置も施しました。

それからは集中治療室(ICU)での生活が始まりました。そのICUでの治療期間は実に16日間。

大腿骨の接合手術が行われたのは入院日から七日後の10月17日。開放骨折で骨が飛び出ていたので、直達牽引を行ない、膝関節から骨盤までチタン合金の板を入れました。

集中治療室での日々はまさに地獄。二時間おきに肺にはすぐに血痰がたまり、計器で痰がたまったことを知らせるアラームが病室内に鳴り響きます。すぐに看護師さんが口から痰を吸い出すためのチューブを気管深部まで入れ、痰を吸引。当然ものすごく苦しいです。涙を流しながらの嗚咽との戦い。看護師が近くにいない深夜とかになるとナースコールが命綱。片時も離さないように手に握りしめていました。

また自力では呼吸ができないため人工呼吸器に頼る日々。一向に酸素濃度が改善されないので、ベッド横に置かれた人工呼吸器からの電車の走り去る音に相当する70~80デシベルはあろうかという騒音で眠れない日々が続きました。

高熱も出ました。最高で39.8度、低くて38度後半という高熱がICUにいる間の16日間出続けました。血液検査でも肝数値が通常時の10倍まで跳ね上がり、黄疸が出る始末。

毎朝早朝に血液検査をされ、一日に何本も痛み止めと抗生剤の点滴を打たれました。両手にはもう打つ所がないんじゃないかっていうくらい注射針の跡が残っていました。

集中治療室から開放され、一般病棟に移ったかと思えば、左大腿骨骨幹部骨折術後感染が発覚。手術した左大腿骨の30cmにも及ぶ傷跡から細菌が入り、皮下に膿がたまった状態だったので、それを取り除く第二回目の緊急手術が11月1日に行われました。しかも、その細菌がメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)という普通の抗生剤が効かない種別の菌だったので、さあ大変。

一錠13800円という高級フランス料理フルコースが食べれてしまうザイボックスという薬を一日二錠、一ヶ月飲み続けました。

そして入院日から68日後、手術日から数えて左大腿骨の症状としては厚生労働省が定めている制限一杯の二ヶ月の12月17日で急性期病棟である済生会を去る事になりました。

そしてそのまま転院先の病院へ。現在回復期の病院でリハビリを続ける毎日。

全治四ヶ月はかかる見込みと言われたので、あと二ヶ月頑張らないといけません。

今は幸いにも車椅子と松葉杖で移動できるので、看護師さんの助けなく日常生活がほぼ(全部ではありませんが)送れています。

普通の人には入院生活は堪え難い苦痛でしょうが、僕は本当のどん底を味わっているので、比較的悠々とした日々を過ごしています。

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今は、幸いにも新しい”福岡”の会社でつい最近新しい嫁さんを見つけ、再スタートをはかっている状態です。

もし”うつ病”に関して分からなければ別のブログをやっていますので、そこで読者申請していただいてメッセージ頂けると幸いです。

今後ともよろしくお願いいたします。