昨日は、このブログのREM SLEEPのように眠りこけてましたが、今日は調子がよいです。
なので、途中だった青年期のことを書きたいと思います。
このブログで高校時代300番代まで成績が落ちたことはお話しました。
でもそれはあくまで、”校内での成績”です。
河合模試なんかの全国模試がありますよね、それは僕は10番代をキープしてました。
なぜか?
学校の中間テスト、期末テストなんかはその学校の先生が教えたことが出題されます。
でも、全国模試となったら話は別。センター試験に見据えた問題が出題されます。
そこで、僕はサボタージュに突っ走ってた周りの友達にはバレないように、帰ったら全国模試を見据えて勉強していました。
地方の田舎の校内のテストなんか、どうでもいいとぶっちゃけ思ってました。
だって校内テストって、そのちっぽけで非常に閉鎖的な学校の先生が教えたことからでるんですもの。英語の宿題なんて、プリント一枚に単語をびっしり書くような宿題がでて、ほんとうに無駄で効率が悪いと当時思ってました。
だから、校内の先生が出した宿題なんてやった試しがありません。
だから宿題や授業をさぼってばかりの僕の高校の成績は、ほとんどオール”2”でした(笑)
親も僕の戦略をわかってくれていたと思います。
高校の試験は、真面目にしていればそこそこの成績をだしてくれます。
でも、戦う相手は、全国の強豪たちです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20160321/14/utu-kare/8a/85/j/o0362027113597959549.jpg?caw=800)
僕は、高校時代家庭教師をつけてましたが、その先生も僕と同じ考えでした。
高校の成績はどうでもいい、全国模試でどれだけ力を出したか。
高校3年生に上がるときは、成績は300番代なのに、
全国模試の校内順位で、化学1番、数学が4番の成績でした。
もう担任の先生も分かっていたと思います。僕に何も言わなくなりましたから。
僕と仲の良い友達は、僕が校内テストでは300番代なので、非常にバカにしてました。
だって赤点のオンパレードですもの(笑)
遅刻なんて、年に110回を超えていました(笑)。それでも、T君という僕を上回る年に120回という遅刻回数を叩き出した強者がいたんです。
もう、担任の先生遅刻した子を叱る場面になって、僕とT君を見て、”お前たちはもういい”とまで言ってましたから。
校内模試なんて、テストが始まる5分前になって、今日の出題範囲ってどこだっけ?とか周りに聞いてましたから。
ずっと今に見てろと思ってたんです。
家庭教師の先生は僕が、数学と物理が強く、国語と英語が弱いことを察知して、国公立の2次試験に、1400点中、900点が数学と物理の配分の大学を受けるように進めてきました。
ようは数学と物理が出来たら、ほかはなんとかなる。僕もそれを納得しました。
そしてセンター模試が訪れました。
結果は歴然でした。僕の周りの友達は、すべて浪人の道を進んだんです。
僕だけ、大学に合格しました。
なので、そのときの友達は1人を除いて、みんな僕から離れました。
友達からしてみれば、”裏切られた”という思いが強かったと思います。
僕は”おじいちゃんっ子”だったので、おじいちゃんと一緒に大学入試の結果を見にいったら、本当に喜んでくれました。
全国的に偏差値は大したことはない学校ですが、家から車で30分の国公立の大学に受かってくれたことを本当に嬉しがってました。
僕はおじいちゃんが大好きでした。
なので、本当に喜んでくれたことが、涙が出るくらい嬉しかった。
次は「大学デビュー」についてお話します。