ども うつの助です。



前回で産業医と言い争いになりましたが、

この件で主治医に意見を聞くことになりました。


主治医に事情を話して、意見を聞いてみました。

やはり主治医は冷静でした。

憤慨しておりましたが、「でもね」

と方向を訂正してくれました。


いわく「このまま産業医と争っていても

復帰が長引くだけ」と。

今回は早期復帰を優先して、

会社に対しては「面従腹背」で

いくしかないよ!!


と言うことでした。


そのため、しぶしぶ自己反省的な

「再発防止策」を書きました。

せめてもの抵抗で、以前書いた

会社攻撃的な再発防止策もつけましたが。



すぐに次の産業医面談になりました。

一ヶ月は早いものでもう3月です。

今から復帰ですと早くても4月・・・・・・

さすがに休んでほっとしていられる段階では

なくなってきました。

会社の規則で休職4ヶ月以降は給料半額に

なってますから、経済的にもかなりきついんです。

いよいよ復帰できるか!?と面談に臨んだところ、

意外な提案が・・・・・またまたややこしく

なってきました。

復帰への道は大変険しいです。









ども うつの助です。



さて、再発防止策をめぐって

産業医と言い争いになりました。

雰囲気悪く、気分は最悪になりました。

結果として、産業医は僕にこういいました。



「わかった。主治医にこのことを伝えてください。

原因を外因に求めると再発する可能性が高いと。

内因に求めるべきだと。

私がおかしな事を言っているかどうか確認

してください。」



なんでも、後から聞いたところに

よると、おぉきくなったお互いの声は部屋の外へも聞こえて

いたらしいです。



こうやって、他人と言い争いをする事で

非常に気分が悪くなります。



この時、僕は痛烈に心に刻みました。


「産業医って、人の病気を治すという

意味では医者ではない。むしろ病気を悪化

させる人。医者の資格を持って、会社側の

言い分を言っている人なのだな」と。



次へ続きます。




ども うつの助です。


会社から宿題として再発防止策の提出を求められ、

その中で、会社に対する不満をかなりぶちまけた

“本音”再発防止策を提出しました。

それに対する会社の反応はいかに!?



再発防止策は、結局は産業医が評価し、

復帰可能かどうかを判断する材料となります。

つまり、産業医面談の場で、評価されることに

なります。

ところで、読者のみなさんは「産業医」の役割に

どのようなイメージをもたれていますか?


僕は、会社と社員の間に立って平等に話を聞き、

会社にも社員にもモノを言うのが産業医の役割

だと思っておりました。 なにせ、お医者さんですから。

病気の治療をする人ですから。

だから、僕の会社に対する不満に対しても、

ある程度受け止めてくれると思っていたのです。

しかし、その期待は見事に裏切られたのです。


産業医面談の際、僕から提出した

再発防止策の内容について、

産業医は全く僕の意見を無視しました。

「原因を外因(外部による要因)に求めると

再発の可能性が高くなる。原因を内部(自分)に

求めるべきだ」と。  要は、自分が悪いこと前提

で再発防止策を書けというのです。


大変、不愉快でした。


そもそも、再発防止策って、医者と患者が

一緒になって決めるものじゃないのですか?

一方的に自分のここが悪かった、と反省した

モノを出せというのですか?


産業医とかなり言い争いになり、彼も

声のトーンが高くなってきました。


次回に続く。













ども うつの助です。



休職中に、宿題が出ました。

再発防止策を提出しろとの事です。


さてさて、どんなことを書こうか・・・・

僕は悩みました。


「自分のここが悪かった。」

「ここを直していきたい」「こういうことをやっていく」・・・・・・


等と具体的な事を書いてしまうと、まずいのではないか

との思いが持ち上がってきました。

自己反省的な再発防止策を書いておいて

復帰後に、結局防止策が

実践できずに再発した場合、

「再発防止策に書いてあるのに

出来なかったのはお前が悪い」

と責任を追及され、退職に追い込まれる

可能性があると思いました。


これはやばい。


そもそもこうなった原因は、

以前にも書きましたが評価への不満

が大きな部分でした。

(それ以外にもたくさんありましたが)


正直にその事を書こうと思いました。


思い立ったら、自分の中で怒りがふつふつと

湧いてきました。

その後は勢いです。

他にもあった会社への不満などを改善提案みたい

な形で盛り込み、

書き終わったあとは異様に

すっきりしたことを覚えております。


そして、メールにて提出しました。


これに対する会社の反応は!?


次回へつなげたいと思います。


ども うつの助です。


さて、主治医から復職の許可もいただき、

見通しでは2月1日から復職・・・・でした。

1月半ばの産業医の面談を経て、

復職しようと思っていたのです。


ただ、12月末で休職診断書の期間が

切れるため、とりあえず診断書の期間は

三ヶ月間書いてもらいました。

「1月末まで」と書いてもらうと伸びて

しまったときにまた診断書を書いてもらう

必要があるからです。

診断書は5000円もしますので痛い出費、

念のため3ヶ月間と書いてもらいました。



さて、産業医面談の日がやってきました。

産業医は、「だいぶ以前に比べて顔色が

よくなったね」などと言いながら、

「診断書は3月末までか」とそっちの方に目が行って

結局、全く復職の話は出ませんでした。


その時の自分の正直な気持ちは

「ああ、良かった。まだ休める」です。


なんと!! 実はまだまだ休みたかった

んですね。復職を目指しつつ、

やっぱりまだ仕事に行きたくない・・・・

複雑な心理です。


ただ、その時にいや~な宿題を出されました。

「自分で再発防止策を考えて提出してください」

と言うのです。

そんなもの、自分で書くものなのか?

と思いつつ、了解しました。


この時のこれが、休職が予想以上に

長引く原因となるとは・・・・




ども うつの助です。


さて、8月に面談して会社の意向が「復職」にあることが感じられ、

退職するつもりだったのに気持ちが完全に復職に傾きました。

とはいえ、まだまだこの時は出社できる気持ちではなかったので

12月か、年明けくらいに復帰かなあ・・・と思ってました。

前回が3ヵ月だったので、まあそのより伸びてこんなもんかと。



9月に入ってからだいぶ気分が楽になってきて、

外出も活発にできるようになってきました。

休養が効いて、先(復職可能)も見えてきて、

精神的にも楽になり、調子がよくなってきたのです。

まあ、人間、先が見えない不安と言うのは重たい

モノですから、それが払拭されるにつれて

病状も回復してきたのです。


12月の半ば、年明けから復職可能と言う

主治医の判断をいただき、1月の半ばに産業医面談

→2月1日で復帰かあ・・・・いよいよ休みも終わりかあ・・・・・

等と思ってました。



ところが、まだここに地雷が埋まっていたのです。


第7話に続く。




ども うつの助です。


休職二ヶ月目にして、会社から呼び出しが

かかりました。

「うっ (゜д゜;)  退職勧告か?」

びびりながら、面談に向かいました。

当時、自分では退職を決意していた

ものの、決断は揺れて先延ばしに・・・・・

と言うか、そんな事全く考えたく

ない精神状態でした。

そんな中、退職勧奨されても

決断できません。


会社の近くの喫茶店に入り、

先方から

「調子はどう?」から始まって、

現在の体の調子や、今後の

見通し等を聞かれました。


僕からは

「調子はもどりつつあるが、

まだ出社できる状態ではない」

「見通しもまだわからない」

旨話しました。


そのうちに会社の話になり、

僕がいなくなって仕事が大変だとの

話が出てきました。


会社としては、早く復帰して欲しい。

との考えのようです。

少し安心しました。

やはり、退職と言うのはなかなかハードル

の高い決断なんですね。

これを機に、自分の中で復職へ

向けて大きく方向転換が行われました。

と言うか、すっかり復職する気に

なっちゃいました・・・・・



この数ヶ月後、復職へ向けて大変

つらい経験をするのですが、

その話は後々させていただきます。


僕は、この時の判断について

良かったのかどうかまったくわかりません。

ただ、正直、復職した現在でもつらいです。

どっちが良かったのか・・・・・

永遠に答えは出ないと思います。

ども うつの助です。


さて、2回目の休職の話に戻りますが、

最初のつらさから7月の後半に入って

だんだんと楽になってきました。

もともと夏は好きな季節なので、

じょじょに元気を取り戻してきました。

そんな中、8月の半ばごろに会社から

「一度会わないか?」と呼ばれました。


行きたくなかったですが、

なかなか断る理由も見つからなかった

ので、「社外で会う」ことを

条件に会いました。

なにせ、当時は会社の建物に入るのが

怖くて怖くてしょうがなかったですから。

行くときも、いつもの通勤コースだと

嫌な感覚を思い出すので、

別のコースで行ったくらいです。


実は、会社の上司に会うに際し、

大変な懸念がありました。


と言うのは、僕、休職二回目ですから、

「もう退職した方がいいんじゃないの?」

と退職勧奨をされると思ったからです。


場所は社外の喫茶店でした。

会社側は上司と担当の人の二人でした。


どきどきどきどきどきどきどきどき・・・・・


この話し合いの内容は明日に続けます。





ども うつの助です。


本日は、僕がうつ病になった時の

両親のサポートについて、感謝の念を

もって書かせていただきたいと思います。



僕は、独身で両親と同居して暮らして

います。通院から一ヶ月程度して

隠していてもしょうがないと思い、

思い切って打ち明けました。


会社の仕事がつらいこと、

よく眠れないことなどを話した記憶が

あります。


両親の姿勢は「受け入れ」の姿勢でした。

驚いた顔をしてましたが、理解してくれました。

母は「少し働きすぎたんだよ」と。

父はその後、うつ病の本を何冊か買って

きてくれました。


1回目の休職をした時も、

「休んだ方がいい」と言ってくれました。

優しい両親です。


人によっては「気合で直せ」などと言う両親も

いるようです。本当に両親には感謝をしました。

今もしてますが。


2回目の休職の際も、何も言わずに受け止めて

くれました。辞めようと思っていることも伝えました。

特に、反対はしませんでした。


それだけだったら単なる無関心な親ですが、

いろいろ職に関する情報を持ってきてくれました。

「こういう職業がある。こういった資格がある」と

話をしてくれました。


また、職場などの知り合いから「こういうことを

したら治った」とか体験談を収集してきて聞かせて

くれました。



本当に良い両親を持ったと思ってます。

仮に、一人暮らしだったら、最悪の選択を

していた可能性もあります。


両親には、「あなた達の息子でよかった」

といつか伝えたいです。
























ども うつの助です。


二回目の休職当初の話、第二弾です。

当時季節は6月だったので、既に蒸し暑く、

しかし、暑さに強い僕はひたすら寝ました。

春眠暁を覚えずがごとく・・・・


朝は六時ごろ起きるのですが、

朝飯を食べた後、だらだらしていると

自然と眠くなり、昼飯まで寝て、

昼飯食べた後もぐーぐー・・・・

二度寝、三度寝は日課でした。

さすがに夕方になると

飼い犬の散歩をしなければいけない

ので起き出し、帰ってきてから

夕方のニュースを視聴、

夕飯を食べてからDVDを視るという

生活が習慣になりました。


DVDで思い出深いのは

アニメの「ゴルゴ13」と洋ドラ「クリミナル・マインド」

ですね。これらを視ている時は現実を

忘れることが出来ました。

また、起きていれば映画も深夜に視ていました。

昼間寝てるから、寝れないんですね。


また、インターネットもよくやってました。

当時はブログをやるという発想は

なかったのですが、ユーチューブをよく

視てましたね。


ユーチューブには、昔懐かしのCM映像や音楽が

ごろごろ転がってます。

大学時代の、「人生が楽しく、一番輝いていた頃」

に流行ったCMや音楽を聴いて、

当時を思い出しました。

同時に今の状況を思い起こし

「どうしてこうなっちゃったんだろう」と

涙がとまらなかった日もありました。



さて、次回は僕がうつ病になった時の

周囲の人間の反応について話をしたいと思います。