最初から私の存在はいなかったことに
なればいいなと思ってました。
ふと眠ってばかり、夜はビデオを
見たりしてました。
ども うつの助です。
医者からは休職の診断書を書いて
もらいました。
第十二話です。
次のハードルは上司への診断書提出です。
月曜日に出社して、朝渡すか・・・・
それとも電話で連絡し、診断書を郵送するか・・・・・
悩みました。
結果、直接渡す事が誠意だと思い、
何とか会社へ行って診断書を渡すことにしました。
いつも通り早く出勤し、上司が来るのを
待ちます。
ドキドキドキドキドキドキドキドキ・・・・
思えばこの時、周囲からは青白い顔を
してかなり調子悪そうに見えて
いたでしょうね。
上司はいつもより少し早く
来たような記憶があります。
来てすぐに別室に移動してもらい、
診断書を提出しました。
上司は困ったような顔をしてましたよ。
部下も外して、対策取ってもダメか。
みたいな事を言っていました。
そしてその後すぐに帰宅。
「ついに退職する事になったか。
ついにやっちまったか」
と思った事を覚えてます。
この当時は復職するつもりなかったですから。
十二回と長きに渡ってしまいましたが、
以上が私の二回目の休職に至る
顛末です。
この後、なぜ辞めずに復帰してしまったのか?
二回目の休職期間中の思い、出来事
等は次回以降にて話をします。
ども うつの助です。
いよいよ会社に行くのがつらくなり、
ある木曜日についに午前中で
早退しました。そして次の日も
突然休・・・・・・・・
もう、この時がいちばんつらかったです。
自殺念慮に襲われました。
「もう、生きていてもしょうがない・・・・」
そう思い始めました。
僕は独身で、特にいなくなったところで
大きく誰かが困る訳じゃない・・・・
この時は、独身である事は悲しいと
深く思いました。
妻が、子供がいれば頑張れるのに・・・・・
まあ、この思いはその後、結婚している
人もたくさんうつになっているのを見て
取り消されるのですが。
そして土曜日に医者に通院し、
先生に現在の窮状を話しました。
先生は前回「薬を少なくしようか」
と言っていた位だったので、大変びっくりしました。
自殺念慮についても話しました。
先生は真摯に対応してくれて
「次の通院までに早まった事は
絶対しないでください」と約束
させられました。
入院も勧められましたが、
僕はそこまででは無いと思い、
断りました。
先生はすぐに休職の診断書を
書いてくれました。
前回はほっとした気持ちがありましたが、
今回は気分は全く晴れませんでした。
第十二話につづく
ども うつの助です。
第十話です。
前回で、過去に一度折れ、また立ち直りつつ
回復間近かと思えた“精神の棒”が再び
折れてしまいました。
思えばこの“精神の棒”と言うのは
一度折れるともう完全には元に
戻らないのではないかと言う気が
します。今、うつ病だからそう思って
いるだけかもしれませんが。
以前にいた会社の社長が、
こんな事を言ってました。
「10万個のネジを作れる機械を
限界以上に作らせ、壊れたら
改良する。そして12万個作れる
ようになったらまた限界以上に
作らせ、壊れたら改良して14万個
作れるようにする。そうして機械の
性能は伸びていく。人間も同じだ。
限界以上にやって、壊れたら
また直せばどんどん成長していく
ものなのだ」
・・・・・・・・・僕はこの話を聞いた時、
「人間は機械じゃない。一度壊れたら
二度と完全には戻らないんだ。」
と思いました。
うつ病は治る病気だと思います。
しかし、完全に元の自分に戻れるか
どうかは、わからないと思ってます。
そんな訳で、二度目の挫折は前回
よりも早く、そして簡単にやってきました。
急激に会社に行くのが嫌になってきました。
業務中に集中力もなくなり、離席を繰り返しては
休憩部屋で休むというより、苦しんでました。
しかし、休職は二回目です。
会社にいられるのか?
悩んだ末、退職しようと決めました。
休職できる限界までいて、
会社を辞めようと。
第十一話に続く。
ども うつの助です。
仕事に対する評価の件で、
期待した評価はもらえませんでしたが、
一定の評価はしてもらえました。
まあ、しょうがないな。残業代たくさん
もらっているし。と自分を納得させ、
気分一新で仕事に望むことにしました。
第九話
ところで、会社の仕事に対する評価方法
なんですが、二段階評価なんです。
つまり、一次評価者と二次評価者が
いるわけです。
しかし、通常は二次評価で
変わる事は無く、そのまま同じ評価に
なるのが慣例でした。
あくまでそれが慣例であったのですが・・・・・
一週間後、上司に呼ばれまして、
上司の上司、つまり二次評価者の
評価を通知されました。
ひとつ、評価が下げられてました。
つまり、標準より一段階下の評価・・・・・・
がーーーーーーーーーんーーーーー![]()
実は、二次評価者にあたる上司の上司とは
あまり仲がよくなくて、なるべく顔を合わせたく
ないという関係だったのです。
しかし、公正であるべき評価にまで人間関係
を持ち込むとは・・・・・
まあしかし、人間社会とはそんなモノかもしれませんが。
あれだけ頑張ったのにほとんど会社は
評価してくれなかったのだな、と正直
傷つきました。かなりのショックでした。
評価通知の後、「何か言いたいことはあるか?」
と直の上司に言われましたが、
ショックのあまり、何もいえませんでした。
言っても変わらないだろうな、とあきらめの気持ちが
あったのも事実です。
この時、苦しみながらも毎日の通勤を支えていた
"精神の棒”がぽきりと折れる音がしました。
第十話につづく
ども うつの助です。
だんだんと調子が悪くなってきた
僕ですが、何とか精神のダムを
決壊させずに日々やってました。
しかし、あることをきっかけに
ダムが崩壊しました。
第八話
2009年の5月末ごろですが、
ぼちぼち6月の賞与が迫ってまいりました。
そう、「仕事に対する評価」の季節がやってきたのです。
会社では五段階評価を実施しており、
1が最低で、5が最高でした。
自分の中では、昨年9月からの活躍ぶりも
あり、上司からも「なくてはならない存在に
なった」といわれていたので、
良い評価を期待してました。
簡潔に言えば「4」です。
まあ、最高は無理だなと思いましたが、
一つ上の評価はされるのではないかと。
なぜ、そう思うかと言うと、
今までの評価と僕なりの会社に
対する印象がありました。
ひとつは
・この会社の従来の評価を見ると、
普通に仕事やっていれば
普通の評価、ちょっと頑張っているな、
と見えれば一つ上の評価がつく会社
なんだなと
・また、そもそも給与が安いので
そういう評価形式であってしかるべき。
まあ、思い込みかもしれませんが、
社風としてそういうのが見えてました。
やがてドキドキの評価面談、
上司からの評価結果は「3」でした。
上司いわく、「よくやっているとは思うが、
今の職責では標準評価であると。」
まま、納得しました。
そんなものなのかもな、と。
納得し、また少しですが褒められた
事でモチベーションが上がったのも
事実です。
しかし、事態はそんなに甘くありませんでした。
第九話に続く
ども うつの助です。
前回で、調子のよかった仕事が
だんだんとプレッシャーのかかる仕事に
変わってきた話をしました。
その後、果たしてどんな展開に?
第七話
さて、今までほそぼそと仕事をしながら
も調子を上げてきた僕ですが、
大した仕事ではないと思っていた
業務がいきなり世間的に脚光を浴びる
ようになり、いろいろと運用を作るに従い、
周囲からびしびし非難の声が飛んできました。
以前、会議で「部下たちからつるし上げられる」
ような状態が再現されるようになりました。
部下ではないのですが、他部署の人から
ぼろぼろに突き上げられるようになってきたのです。
全く忘れていた感覚が甦ってきました。
「あれっ!?もう治ったと思っていたのに・・・」
当時、まだ通院は続けていましたが、
「薬の量を減らしていこうか」と主治医から
言われていました。
通うペースも隔週から月1回に変わっていました。
順調に治るべきコースを歩んでいたのですが・・・・・・
ぼろくそに言われ、ショックでふらふらになり、
残業ができない日が出てきました。
しかも、直の上司であるK部長はかなり忙しくて
声もかけられない状態です。
仕事のことを相談する時間も無く、
次第に行き詰ってきました。
にもかかわらず、周囲からは
プレッシャーの嵐・・・・・
んんんん・・・・・・もうだめぽ・・・・・
この後、あることをきっかけに
僕の精神は崩壊の道を歩んで
いきます。
第八話へ続く
ども うつの助です。
さて、仕事がノッて来た僕ですが、
埋まっていた地雷にあえなく轟沈して
しまうことになります。
はてさて、何があったのでしょうか?
第六話
2009年2月~3月頃にかけて、
仕事はノッており、調子よかったです。
当時の自分の仕事のスタンスは
以下の通りでした。
・自分から積極的に仕事を取りにいく
・頼まれた仕事は断らない。
今から見れば躁鬱状態における軽い躁状態
なのではないかとも思えるのですが、
当時の自分の気持ちとしては
・やはり残業代を稼いで給与を高くしたい。
それには仕事をたくさん抱えないと!!
・自分の存在価値は他人の手が回らない
隙間仕事をやることにある。
そうしていかないとこの会社で生き残って
いけない。
と言う考えがありました。
あたりまえともいえるかもしれませんが、
うつの人間としては少し無理をして
しまったのかもしれません。
そんな中、隙間仕事として細々とやっていた
業務が世間的に大注目を浴びる事態になってきました。
2009年の4月~5月にかけてです。
ニュースでも大々的に報道されるような、
大きな社会問題となっています。
(詳細は書けませんが)
僕に対して、他の部署からたくさん
問い合わせが来るようになりました。
上司からも突っつかれるようになり、
僕の双肩にプレッシャーが大きく
のしかかってきました。
第七話に続く。
ども うつの助です。
さて、前回の話で、降格により
がっくりするどころがむしろ
自分の適性にかなう仕事がやれる事に
なり、仕事がノッてきました。
第五話
さて、仕事がノッてきて、必然的に
気分も良くなり、うつも治りつつある
実感がしてきました。
今後はこの立場で仕事を
ずっとやっていける!!
なんとなく、自分の将来が明るく
見えてきました。
テンション上がりっぱなしです。![]()
そんな中、会社全体で景気が良くなるような
ビッグプロジェクトが開始され、
自分もそのプロジェクトの
一端を担うことになりました。
ちょうど、隙間仕事がぴたりと
はまり、リーダー(直の上司ではない)
からもよくやっていると褒めてもらい、
ますます仕事に力が入ってきました。
それが、2008年の8月頃から
2009年の3月頃まで続きました。
思えば、今の会社に入社してこの頃が
一番華でしたね・・・・・・
仕事も楽しかったし・・・・・・(遠い目)
このままいけるか!!と思っていた自分の
人生にこの後、大きな地雷が埋まっていました。
第六話につづく
ども うつの助です。
前回で、新任のK部長に別室に
呼ばれた僕ですが、さて、どんな
話があったんでしょうか?
いやーーーどきどきですよ。
第4話
さて、別室に呼ばれて何の話かと
思えば、管理職降格の話でした。
がーん!! では無く、 ほっ!!
でした。
部下を持たずに、仕事をすると
言う事になるとの事。
もちろん、給料は下がりますが、
今まで出なかった残業代がばっちり
出るようになったんです。
やりいいいいいいいい ヽ(゚◇゚ )ノ
懸案事項だった「部下を持つこと」
が無くなり、さらに残業代まで出るように
なると言うのです。いやっほーーーー
この時はほんとにK部長に感謝しました。
K部長!! GJ!!
まあ、事実上、出世コースからは
外れる事になった訳ですが、そんなモノ構いません!!
サラリーマンとして当時の給料が継続していければ
満足でした。しかも、残業すればその分
出るのですから、月給も勝手に上がるし。
そしてこの後、仕事にやる気が
出てきてばりばりやるようになります。
そして残業が多くなり、たくさんの残業代を
もらうようになります。
言う事なしです。ノッてきました。
第五話に続く。