□ 石田波郷第七句集『酒中花』Ⅱ(22)

(「水中花・水仙花」より)

  外泊許可を得て帰宅
いたはりの語はひくくうるほひ万両に


季語は、「万両(まんりやう)」で、三冬。

前書にある通り年末になって外泊許可を得た波郷。迎えた家族の声は、はしゃぐような声でなくむしろ落ち着いた低い声だったようです。しかし、その家族の言葉に十分癒されたようで、「うるほひ万両に」という言葉で句を閉じています。波郷の家族も、波郷のまだ予断を許されない病状を感じて、極めて慎重な態度をとっていたのだろうと思います。

  肺活量いよいよ乏しくなりぬ
千両や深息といへど短か息


季語は、「千両(せんりやう)」で、三冬。

「深息」は「ふかいき」と読むのでしょうか? それとも「しんそく」でしょうか? 下五は「短か息」となっているので、「ふかいき」と読むと解しておきます。

深く息を吸っても、短い息しかできない。だから、肺活量が大きくならない。大変苦しかったことでしょう。

季語が、「千両」。「短か息」とどこでつながるか考えたのですが、もしかすると肺活量が1000mlほどしかないという意味ではないかと理解しましたが、どうでしょうか?

歳晩の白猫庭をよぎりけり

季語は、「年の暮(としのくれ)」の傍題、「歳晩(さいばん)」で、仲冬。

これは鑑賞の難しい句です。一見、何の変哲もない句に見えるからです。

この白猫を野良猫と解してみると、年の瀬の、もう寒さが厳しくなっている頃の野良猫は生きるのに必死なはずです。猫にしてみれば、これからどこを塒にし、どこで餌と水を確保するかが重要な問題となります。生きるのに必死である猫が庭を通り過ぎていった。しかも、その猫は純白の美しい猫であった。作者はそこに目をつけたのであろうと推察します。

病室に湯気立てにけり除夜の鐘

季語は、「除夜の鐘(ぢよやのかね」で、仲冬。

時刻は大晦日の夜。この句の「病室」は病院のそれではなく、石田家の波郷が寝ている部屋という意味です。その部屋のストーブか火鉢かに薬缶をかけて湯気を立てていたのです。薬缶は、水を沸騰させて、かすかな音をたてています。すると、いよいよ除夜の鐘が聞こえてきた。湯気で湿った部屋の空気の中で、薬缶の音と除夜の鐘の音とが奇妙に調和して、寝込んでいる波郷の耳に届いてくるのです。何とももの悲しい雰囲気。

麦草逝き母逝きし年送りけり

季語は、「行く年」の傍題、「年送る」で、仲冬。

「麦草」は、萩原麦草(はぎわらばくそう)のことで、俳人。昭和40年(1965年)1月3日に亡くなっています(生年は明治27(1894)年6月29日)

波郷は、昭和34年に、萩原麦草氏の句集『麦嵐』の序を書いています。

うかつにも蚊帳に入るとき恋の唄  萩原麦草
師の墓の高きところを洗ひけり


波郷のお母さまは、昭和40年11月11日に亡くなっています。

年末になると亡くなった人のことを思い返すことがよくありますが、波郷にとってこの昭和40年という年に強く悲しみにくれたのが、母の死と萩原麦草の死であったということですね。母の死が強い悲しみであることは当然として、同列に萩原麦草氏の死をあげたということは、波郷が萩原麦草氏の俳句を高く評価していたことの証と言えるだろうと思います。

ききわびて終の栖の除夜の鐘

季語は、「除夜の鐘(ぢよやのかね」で、仲冬。

「ききわびて」が分かれば、この句のおおよそが分かります。わぶ、すなわち「侘ぶ」は、もともとがっくりする、気落ちするという意味ですから、この「ききわびて」は、「聞く気力を失う」ということです。

波郷は、終の栖(すみか)である練馬区の石田家で聞こえる除夜の鐘を聞く気力を失うほど、衰弱しきった状態になっていたということですね。除夜の鐘の音を聞いて慶んで新年を迎えるという気分にもなれなかったというわけです。

行く年や枕辺に侍す酸素罎

季語は、「行く年(ゆくとし)」で、仲冬。

もはや説明は要らないでしょう。行く年を惜しむべき大晦日の夜の波郷の枕元には、酸素罎が置かれていて、呼吸困難になればそれを使わざるを得ないということです。「侍す」という言葉から、波郷にとって酸素罎がいかに大切なものであったかが分かるでしょう。

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兄妹の諍ひ終り穴子鮨  森器

穴子鮨向きになりたる我を恥ぢ

能弁な街路を避けて穴子かな

正論に釘を刺されて穴子鮨

巷にはソフィスト多し穴子鮨


市役所に簡易な書類提出すそれでも額に汗か冷や汗

丹田に力の入る体調を喜びペダルをぐつと踏み込む

夕食はクリームコロッケしつかりと食べて明日は雲を追ひ越せ


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私の現在の体調はと言うと、悩んでいた胃腸の方はほとんど回復し、お腹に力が入るようになって、物事に集中することができるようになっています。

その代わりに腰痛を発症して、寝ているからだを起こすのに四苦八苦します。

パーキンソン症候群と思われる手の震えにも悩まされていて、長い間本やスマホを読むことが困難になってしまいました。

幸い、パソコンのキーボードを叩くことはできるので、こうしてブログに記事を投稿することが可能です。

今日の短歌は、ちょっとはったり気味ですね。自分に気合を入れるべく「明日は雲を追ひ越せ」などと言ってみたくなっただけのこと。

NHK俳句6月号
堀田季何選
佳作

空青く神に泪の石鹼玉  森器


拙作、拙文をお読みくださり
ありがとうございました。