以前、『青空の会』(仮名)に参加してみて、私は何か「仏教」にカギがあるのではないかと思いました。


そして真っ先に思い浮かんだのが、小説家であり尼僧でいらっしゃる、瀬戸内寂聴さんです。




私は今まで、寂聴さんの法話でさえも、ほんの気休めにしかならないだろうと思っていました。


良いお話を聴いて、気持ち良く元気になれるというのは、やはり、うつを乗り越えた後でないとできないことだと思うからです。


何かで心が癒されるうちは、きっと健康な証拠ではないかと思います。




その『青空の会』(仮名)では、顧問を務めるA氏を「教祖」のように捉え、どこか崇拝しているような感じのあるところがとても気になりました。


しかし仏教では、崇拝すべき存在は、あくまでも「仏様」です。


寂聴さんは私にとって、その仏教や仏様についてのお話を分かりやすく教えて下さる、ヒントのような存在です。


でも、私が買った寂聴さんの本には、寂聴さんの個人的な考え方ももちろん含まれています。


しかしそれも含めてとてもためになることが多く、今では私もすっかり寂聴さんのファンの一人です。




今現在、私のうつ状態は、毎日のお薬のおかげか、ある程度安定しています。


だからこそ、先に書いたような「元気になれる」力も、少しずつ戻ってきているのかもしれません。


しかし、私が寂聴さんを通して垣間見た仏教の世界は、単なる「癒し」や「気休め」などではないんじゃないかと、私は感じました。


それはなぜだと思いますか?


「うつ」とは、この世に存在するもの…薬や、愛や、お金や、あらゆる娯楽などだけでは、完全に治ることはないかもしれないからです。




「うつ」と、「神様」、「仏様」…。


今までなんの関係性も感じたことのなかった二つのものが、私の中で、一本の糸でつながったような気がしました。


それは、宗教を信じるべきとか、何かを信仰するべきだという意味ではありません。


私はあくまでも、仏教から何か得るものがあるかもしれないと思い、寂聴さんの本を手に取りました。


そして、私なりに解釈した「仏様」の存在が、きっと自分を救ってくれるような気がしているのです。


それがどういうことなのか、これからゆっくり語っていきたいと思います。

それからしばらくの間、私は脱力状態でした。


おいしい物を食べることも、楽しいことをすることも、人を愛することや、夢を追いかけることでさえ、表面的な喜びでしかないという。


自分のやることなすことすべてが無意味に思えてしまい、虚しくて仕方ありませんでした。




でも、確かにその通り。


いつだって、自分が満たされたくて何かを追い求めてばかりいたのは事実です。


しっかりしていない土台の上に、立派なものを築き上げようとしていたようなものなのです。




本当の幸福とは何か、生きる真の目的とは何か…。


それは、神様を信じることや、信仰を持つことでしか得られないのでしょうか?


その教えに従って生きることこそ、真の幸福や、生きる真の目的といえるのでしょうか。




私は、いわゆる『宗教』というものには抵抗があります。


確かに、「信仰を持つ」ことで救われる部分はとても大きいでしょう。


その教えに従うことで、自分の人生をすべてお任せできるのですから。


すがるものがあるというのは、とても心強いことだと思います。




だけど私は、『神様』の存在は、信じているのです。


それは、私の心の中にあって、他の誰と一緒のものでもありません。


また、大勢で集まって信仰をするようなものでもありません。


私は、私の中にいる神様を信じている、いわば『自分教』なのです(笑)。




誰でも、神様が本当にいるかどうか、一度くらいは考えたことがあると思います。


そんな時、私が思うのはいつもこうでした。


神様は、この世界にたった一人いるのではなくて、みんなの心の中、一人一人の心の中に、それぞれの神様がいるんじゃないかって。


だから、今まで何の信仰も持っていなかった私ですが、心の中では常に自分の神様に祈っていたような気がします。


だけど、それだけでは自信が持てずに不安になってしまうから、人は何か別のものにすがりたくなってしまうのだと思います。




私自身、今までそういう生き方をしてきたけれど、現に今、こうして人生に迷ってしまっています。


自分が何を信じるべきか、分からなくなっているのです。


その結果、上辺だけの幸福ばかりを追い求めては満たされなくて、うつ状態にまで陥ってしまいました。


だから、今の自分には、何かヒントが必要だと思いました。


自分の中の神様を信じるための、何か心強いヒントが。


…それは、案外すぐに見つかりました。

『青空の会』(仮名)の顧問を務めるA氏とは、もともと仏教の勉強をされていた方だったのです。


A氏が考案したその会の療法とは、仏教の教えに基いたものであることが分かりました。




この会は、表向きは決して宗教団体ではなく、あくまでも心の病気を克服しようとする会です。


しかし、彼らがこの会に出会い、A氏によって救われたのは、少なからずそんな仏教による教えがあったからなのではないでしょうか。


確かに今、書店に溢れんばかりに並んでいる自己啓発的な本などは、どれもそれぞれの個人的な意見が述べられているだけで、結局は読んでもほとんど気休めにしかならないことが多いように思います。


会のスタッフの方々がA氏の著作物を勧めるのも、そういった一般の本では得られないものがたくさん詰まっているからでしょう。




「な~んだ。要は、ただの宗教なんじゃないか。」


正直、そんなふうに思ってしまいながら、私は話を聞き続けました。


しかし、話を聞いているうちに、私はだんだん暗い気持ちになってきてしまったのです…。




この会の目的は、自分が『生きる目的』とは何であるかを知ることにあるようです。


普通、私達の考えでは、将来の夢とか、こんな自分でありたいとか、こういうことをして、こういう生活を送っていきたい、なんてことを思い浮かべると思います。


「何のために生きるのか」…そう聞かれて、まず幸せな人生を想い描かない人はいないでしょう。


しかし、彼らに言わせれば、そのようなものは決して生きる真の目的ではないというのです。




家族も友達も恋人も、死んでしまえばいつかは別れなくてはなりません。


将来の夢や生き甲斐も、死んでしまえばそこで終わってしまいます。


地位も名誉も財産も、死んでしまえばあの世へは持って行けません。


結局、私達が毎日追われて苦しんでいるものは、すべて表面的な問題でしかないということです。




私達は、まるで砂漠の中を歩き続けているかのように、常に水を欲しがっています。


飲んでも飲んでも、満ち足りることは決してありません。


だけどそれに気付くことなく、何度も何度も何かを求めては、満たされない心を紛らわし続けて生きているのではないかと思います




ですから、彼らにとって、そういった「いつかなくなってしまうもの」ばかりを追い求める人生は、決して本当の幸福とは呼べないのだそうです。


では、その真の幸福とは、生きる真の目的とはいったい何なのか…、それはやはり、A氏のお話を聞き続けることで悟っていくしかないのだといいます。




私は、すぐにはその事実を受け入れることができませんでした。


今まで私のしてきたことや考えていたことはすべて、意味のないことだったのだろうか。


そしてこれから私がしようとしていることや、考えていくこともすべて。


どんなにあたたかい、楽しいひとときも、本当の幸福とは呼べないというのだろうか…。


そんなのって、悲しすぎる。




私は、それならA氏の話など聞かなくても、自分の力で答えを出してみせると決意しました。


A氏による、この『青空の会』(仮名)が主張する内容は、大体分かりました。


そしてここからは、私一人の心の旅が始まることになります。