亡くなった友人との思い出【絵本を読む】画像変更
このところ、亡くなった友人のご遺族との交流が続いています。私は 60代半ばです。この年齢で他界するのは、「早すぎる」と思います。もうすぐ 亡き親友のお孫さんが 小学校に入学します。親友は、娘さんの花嫁姿を観ることなく旅立ちました。子どもが大好きだった彼女のことですから、孫の入学は、喜んだことと思います。私は、亡き親友から、娘さんのことを託されてずっと、娘さんと仲良くしています。しかし、ときに、親子ではないし、かといって友達でもない関係性にとまどうことがあります。1年生。亡き親友の気持ちを想うと、代わりと言ってはおこがましいけれどお祝いを送ろうと思います。小学館から出ている絵本 谷川俊太郎さんの詩 絵は和田誠さんこれに手作りのカードを創りました。お孫さんの好きな電車の絵を入れました。ご両親にも 桜の絵柄のカードを創りました。おめでとうの気持ちを込めて。絵本の裏表紙に、メッセージとイラストを描きました。あまり高価なものを送ると、お返しに気を使わせたりするので、ここで止めます。ほんとうは、なにか縫って作ろうかとおもったけれど。。。なにが必要か解らないし、それこそ 「重い」プレゼントになりかねません。絵本1冊が 適当かと思います。°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°私には 私と同年齢のお世話になった先生がいます。年齢は同じだけれど、先生は 偉大な先生でした。59歳で、1年間の闘病の末、旅だちました。悲しかったです。まだ 道半ばで、やりたいことがたくさんおありでした。亡くなる前に「ぼくは 生ききった。みんなにそう伝えてくれ」と同僚に言葉を遺されました。病気が分かった時、私は、先生に呼ばれました。余命の話と奇跡を信じて闘病するので、休暇に入るという決意を聞きました。私は、先生に絵本を読みました。作:リードベリ絵:ウィーベリ訳:山内 清子北欧には、家を守って幸せをもたらすという小人のトムテの言い伝えがあります。トムテは永遠の命をもっています。トムテは、その家こどもたちを、見守って、毎夜家中を巡ります。トムテは何百年も生き続けています。ですから、その家族たちの何代も前の人々のことだってよく知っています。トムテは愛情こもったまなざしで家族みんなを見守り続けます。見つめ続けてきた大切な命。……それが、どこからやって来て、いったいどこへ消えてしまうのか…。そしてこの際限なく広がる宇宙はどこから始まって、どこが終わりなのか…。生と死、自然の力のもたらす繰り返しのリズム。たったひとり眠らずに夜回りしつつ、一生懸命思いを馳せるトムテの姿を描いた絵本です。絶版でしたが、最近復刊しました。私が、先生に絵本を読み聞かせをしました。机を挟んで、私が 絵本を開きながら 読み聞かせました。当時は、まだ絶版でしたが古本屋で探して、贈りました。おじさんにおばさんが絵本を読み聞かせたんです。おかしいでしょうか。そして、2枚の絵を描きました。1枚は、天秤の絵です。 天秤がバランスを保っている絵。アクリル絵の具で6号のキャンバスに描きました。それを額に入れて贈りました。もう一枚は 先生の肖像画です。私は 先生に言いました。「先生が、帰ってきたときに、この肖像画を渡します だから 帰ってきてください」先生は 帰ってきませんでした。肖像画は 今も手元にあります。実は 最近 先生のご遺族とのやりとりがありました。七回忌です。それは、私にとっては、悲しいご遺族の話でした。私は 先生のプライベートは知らなかったし、かなりショックです。私は、先生とご縁があったのです。先生のご家族とは面識がなく、先生の告別式でお会いしただけです。ご遺族から 生前の先生のすべてを聞きたいと言われました。しかし、先生と私は、私的な関係ではなく、仕事上の関係でした。ですから、話すとなると、当然仕事の内容にまつわることになります。それは、ご遺族が知るべきこととは思えないし、多くの人の個人情報でもあります。お人柄にまつわる仕事が関連しないお話をお伝えしました。それ以上は、言えない。 人に言っても、本当のことは伝わらないきがしました。先生とは4年間の出会いでした。あるお祝いの食事会がありました。私は、お祝いに、クロスのベイリーのボールペンに名前を刻印して先生に贈りました。先生は、私に、目をまんまるにして「これは ぼくから 息子さんにプレゼントです。」と、箱を差し出しました。息子の卒業がもうすぐでした。お互いに 同じクロス社の箱を手に、困った顔で立ち尽くしていました。包みを開けると、2人が持っているのは同じペンでした。そのときは、言葉が出ませんでした。後日 会議の時のことでした私は、書類をリュックに入れていました。リュックのポケットと開口のファスナーにクロス社のラッピングリボンをつけていました。ラッピングリボンは、ジャガード織りで黒地に黄色の文字がおしゃれでした。 先生は 「あのリボンですね」と、にっこり笑いました。同じペンをプレゼントしたことを、語り合ったことはありませんでした。また、なんのときだったか忘れましたが私から 先生に本を送りました。 エレナー・エスティス作,ルイス・スロボドキン絵,石井 桃子訳 岩波書店この本は 私の人生の1冊です。『百まいのきもの』,50年ぶりの改訳新版友だちもなく,ひとりぼっちの少女,ワンダ・ペトロンスキー.毎日同じ,色あせた青い服を着ているのに,家には「百まいのきもの」があると言い張るので,同級生のペギーとマディーは,からかわずにはいられません.そして,ある日のこと….むずかしい言葉はひとつも使わず,「いちばん大切なこと」を語りかける名作絵本.なにがきっかけだったか、この本を先生に贈りました。先生は、この本を題材に講演や講義をされたそうです。だれにでもおこりうることを、だれにとっても大切なことを、かたりかけるお話です。あるとき、ある会議に、淀屋橋駅からいっしょに行くことになりました。いつも、現場で集合ですが、そのときは 私は出先から行くのでいっしょになったと思います。地下鉄で、目的地は2駅先でした。先生は「ぼくは いつも 歩くんですよ。歩けますか?」2駅先ですが、乗り換えがあるので、直線距離なら近いかもしれません。もちろん 歩きました。中之島公園を抜けると近道です。初冬の冷たい風を、コートを翻して歩きました。先生とは、お仕事のお付き合いでしたがそこここに、先生の人柄と人徳と思想の深さがありました。私は、それを、ご遺族に話しても、わかっていただけないと思います。ご遺族が言うような「夫は、あの仕事は、担当者が若い女性だったから受けたんです」というような人では ぜったいに なかったと確信しています。あの仕事は、日本の教育の上で大きな起点になったお仕事でした。担当者が若い女性だったのが理由ではない。別組織の権威ある先生が、先生を推薦されて、誘って、ともに大きな仕事をやり遂げたのです。仕事の話は、職務上 ご家族には言えなかったと思いますが先生は ほんとうに尊敬するお仕事をしていました。先生のお仕事からは、想像できないご遺族のお話に、驚きました。先生のプライベートは、まったく知らなかったところ、他界された後に、こぼれでてくる話に驚いています。これが、ご遺族に先生との思い出を話せなかった理由です。先生は12月31日にも、メールで「あの案件について」送信してきました。私は、迷惑とは思わなかったです。私のために送ってくれたことがわかるからです。ここまで、研究するのかと感動しました。「いつでも メールしてきてください。電話はだめだけどね」と言っていました。電話番号は、今でも知りません。プライベートと仕事に、線を引いておられました。まだまだ やりたい仕事がたくさんあってその夢を、語っておられました「来年の勉強会で、ゆずさん 話してよ。ぼくとの対話形式でさ。」亡くなった人とのかかわりがこうして つながっていることに切ないような悲しいような心が 温まるような百まいのドレスAmazon(アマゾン)トムテAmazon(アマゾン)いちねんせいAmazon(アマゾン)