フォンタージ展覧会【京都国立近代美術館】
平安蚤の市を散歩した後、国立近代美術館で涼しくランチ。 そして、フォンタネージ~イタリアの光い・心の風景を鑑賞しました。 さて、これから書くことは、私の私見であり、未熟な知識で、感想を書いているので、どうぞ、笑ってお許しくださいませ。 フォンタネージといえば、明治期に日本にきて、日本の洋画を育てた人という理解でした。 初めて、フォンタネージに特化した展覧会をみて、日本滞在はわずか2年間だったと知りました。 説明が多い画風だと感じたのが、第1室の感想です。 デッサン力が高く、建築物のパースなどは見事だが、人物をみると、うまく見せる技術が、身についているようで、正確とは思えないな。。。という第一室でした。 フォンタネージは若い頃、故郷のレッジオ・エミリアで舞台美術(背景画)や建築装飾を学んでいました。 ですから、建築物のパース(遠近法)が正確なのは、このためです。 舞台背景には完璧な遠近法(パース)と、観客に空間の奥行きを錯覚させる正確な建築描写が不可欠です。 劇的な空間を演出し、状況を視覚的に説明する技術が若い頃からあったと推察されます。 それが後年の風景画の骨格にも現れて、説明が多い構図だと感じたみたいです。 彼は純粋な高精細の人物画家ではなく、あくまで「風景の引き立て役」として人物を描くことが多かったとネットの説明にありました。 これは西洋美術で「スタッフージュ(点景人物)」と呼ばれる技法です。 技法としてあるのです。 <img src="data:image/svg+xml;charset=utf-8,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20title%3D%22Placeholder%20for%20Images%22%20role%3D%22presentation%22%20viewBox%3D%220%200%20810%201080%22%20%2F%3E" alt="フォンタネージ作「岩の間植物」" width="810" height="1080" data-ai-alt="true" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12976455105" data-image-id="15814642419" data-image-order="4" data-amb-layout="fill-width" data-src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260822/12/utopia-0227/e0/06/j/o0810108015814642419.jpg?caw=800" style="aspect-ratio: auto 810 / 1080;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260822/12/utopia-0227/e0/06/j/o0810108015814642419.jpg?caw=800" alt="フォンタネージ作「岩の間植物」" width="810" height="1080" data-ai-alt="true" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12976455105" data-image-id="15814642419" data-image-order="4" data-amb-layout="fill-width"> これは、とても好き 羊飼いを、風景画に入れ込むことが多い 風景画は、屋外でスケッチして、アトリエ屋内に戻って、屋内の部屋で描きました。 その絵に、人物を別でデッサンして、組み込んだのです。画面が引き締まる、ドラマチックに見える」という、古典的な絵画の「型(技術)」を配置しています。 <img src="data:image/svg+xml;charset=utf-8,%3Csvg%20xmlns%3D%22http%3A%2F%2Fwww.w3.org%2F2000%2Fsvg%22%20title%3D%22Placeholder%20for%20Images%22%20role%3D%22presentation%22%20viewBox%3D%220%200%20810%201080%22%20%2F%3E" alt="フォンタネージ イル塔 1855年" width="810" height="1080" data-ai-alt="true" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12976455105" data-image-id="15814642434" data-image-order="11" data-amb-layout="fill-width" data-src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260822/12/utopia-0227/d3/3f/j/o0810108015814642434.jpg?caw=800" style="aspect-ratio: auto 810 / 1080;"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260822/12/utopia-0227/d3/3f/j/o0810108015814642434.jpg?caw=800" alt="フォンタネージ イル塔 1855年" width="810" height="1080" data-ai-alt="true" class="PhotoSwipeImage" data-entry-id="12976455105" data-image-id="15814642434" data-image-order="11" data-amb-layout="fill-width"> モチーフで説明している感じがするのは、このためかなあと思います。 このことを、一概に、良い悪いはいえません。モネが睡蓮で表現したことと、フォンタネージが入れこんだモチーフは、うまくいえませんが違う気がしました 「自分の内面を語るために、画面上のあらゆるモチーフを配置し、語らせている」 そこに、「成功」「こうすれば、すごい」というような念が透けて見える気がするのは私だけでしょうか 「コロー」や「バルビゾン派」からの影響と主観 だれでも、影響は、どこからか受けるものです。 そこから自分の芸術をさがしていく。バルビゾン派(コローやルソーなど)は、徹底して自然の中に身を置き、その土地の空気感や地味でリアルな泥の匂い、色彩を画面に定着させました。 フォンタネージは、屋外のスケッチをスタジオに持ち帰り、完璧なパースの中に「自分の言いたいこと」に合わせてバルビゾン風の色彩を塗り重ねていきました。 バルビゾン派的な「茶褐色(スフマート)の渋い色調」をベースにしながらも、、彼の制作の本質は「アトリエ(スタジオ)での再構成」です。 明治9年(1876年)に来日し、わずか2年後の明治11年には病気(胃病)を理由に帰国してしまったフォンタネージです。 彼は日本の風土や光、人々の生活に深く同化する時間は、なかったと思います。 彼はあくまで「西洋の正しい絵画技術(パースや油彩技法)」を日本人に教えるというビジネス(お雇い外国人)として来日しました。 彼自身の心は、常に故郷イタリアや、かつて憧れたフランスの芸術にありました。 日本で描いた作品からも、目の前の日本を愛して描いたというよりは、「手元にある日本のモチーフを使って、アトリエでいつもの西洋風ドラマを仕立て上げた」という作品が残っています。。 例えば、この作品で、武士が描かれていますが、屋外で、このような服装はあり得ません。 それに、門の下で傘をさす女性も、違和感があります。 御廟の門で、傘をさすのは失礼だし、日傘の習慣とも思えない。 西洋では、日傘をファッションの一部としてさしますが、日本ではその習慣はない。正確な建築の絵に、あとから、人物をプラスしているのです。 しかも、この作品は、イタリアに帰国してから描いています。 建築のパースという「技術」は正確ですが、そこに流れる「文化や習慣」が抜け落ちている気がします。 フォンタージが、日本文化にリスペクトかまあったのか?理解しようとしていたのか?と疑問に思いました。 「2年間のお雇い外国人」が、当時の明治の日本美術界(浅井忠や小山正太郎など)に完璧なパースという技術を植え付けて去っていったという事実は重要で、とても意味があったと思います。 その意味では、フォンタネージの来日は、有意義で、大きいと思います。 教え子には浅井忠たち、日本近代洋画を支えた画家たちの名前が並びます。 日本に滞在したのはわずか2年ほどでしたが、その後の日本の洋画界に大きな影響を与えました。 明治期のはじめ、日本では欧米的に追いつきたいと近代化が急ピッチで進められました。 美術の分野でも、日本初の国営の美術学校、工部美術学校が開校しました。 本格的な美術教育のため、イタリアから画家や彫刻家などが教師として招かれました。その一人がフォンタージでした。 この作品も、本国ヨーロッパで、賛否がわかれました。評価を求めたのに、至らなくてフォンタージの気持ちはどうだったでしょう ターナーの影響も 日本からイタリアに戻り、フォンタネージの作品はイタリア・トリノの全国美術展に出品されましたが、評価は真っ二つに分かれました。 最晩年の彼を待っていたのは、敵意ある批評だったのです。 その事実に、フォンタネージの苦悩と画風の変遷が感じられるように思います。 フォンタネージが、日本で教えたのは、其の後の日本の画家たちに、大きな影響を与えました。 これは重要なことです。 フォンタネージの絵は、単なる風景画ではなく、彼の気持ちが説明された語る絵だと感じました。 その語り方は、モネやゴッホとは違います。この違いを文章で、私には説明できない…… これは、帰国後に、おそらく、日本の屏風を連想したかもしれない。 牛革を張り付けた上に描いています。 フォンタージが、新たな挑戦をしていたかもしれません。 ここから、さらなる表現が広がったかもしれませんが、最晩年でした。 フォンタージにまつわる画家の作品が、最終室で展示。 企画展として、とても興味深い展覧会でした。 国立近代美術館の学芸員方々の熱意を感じました。 でも、私はフォンタージは、好きでないと、痛感した展覧会でもありました。 久しぶりに、絵の感動ではなく、歴史的背景を考えた展覧会でした。