国道337号線おたるドリームビーチ入口から海水浴場の手前、山口緑地内に札幌市指定史跡バッタ塚がある。
手稲山口は、その名の通り山口県出身者によって開拓されました。
砂地で水はけがよく、フェーン現象で昼夜の温度差が大きいため、特産品にサッポロスイカ(以前は山口スイカ)とかぼちゃの大浜みやこがあります。
1881年(明治14年)に最初の入植者が移住した。1882年(明治15年)12月21日に正式に山口村となったが、バッタの大量発生により農作物に大きな被害が出る。
生成AIによると、
飛蝗(ひこう)は、バッタの一種で、大量発生すると農作物に大きな被害を与えることで知られている。
飛蝗が発生する原因
乾燥や高温などの異常気象が、飛蝗の大量発生を促すことがあります。
飛蝗による被害
農作物の食害:大量の飛蝗が短時間で広範囲の作物を食い尽くし、食料不足や経済的な損失をもたらす。
などと出てくる。
バッタを変換すると「飛蝗」となる。
北海道は明治12年から17年にかけて(1879~1884)はトノサマバッタの大発生があった。
明治13年8月十勝に発生したものが、日高、胆振、にひろがり、ここから2群に分かれ,1群は海岸沿いに、もう1群札幌方面に入った。明治17年には晩成社の十勝入植地が全滅する。
当時はその生態を知らなく駆除法もわからず、お雇い外国人の知識などを借りて駆除条例が出された。北海道は開拓使から三県一局への転換期に被害は4国17郡に及んだ。明治18年は冷害になり、19年に北海道庁が設置され三県は廃止された。この頃の北海道の人口は265000人に過ぎず、函館県151000人、札幌県97000人、根室県17000人で不均衡の問題が生じていたのである。
明治政府は被災者の救済も兼ねて市中から卵を買い集め、砂地だったこの地に埋めて、バッタ被害の根絶を願って建てられたのがバッタ塚である。