うそ日記
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あいの花

 予約が取れたので鉢を持ってラボへ行く。
 ボディをカプセルから出して、爪と髪をきれいに切ってやって、それから真野さんに立ち会ってもらってあいの花を植えつけた。
 蕾はまだ開いていない、ぎりぎりのところ。義母にも、そして勇にも心のなかで謝りながら、根が切れないように鉢から土ごと出して、ゆっくり土を落として、根をきれいに水で洗う。ここまではふつうの植えつけの手順とかわらない、花が咲いていないことと、だれの骨も養分にしていないことを除けば。
 この方法を知ったのはどこかのアングラっぽいサイトでのことだった。アングラっぽいとはいってもあくまで「ぽい」レベルの裏技で違法性はない。それが証拠に公的機関であるラボの責任者が植えつけに立ち会ってくれている。おなかのなかで何を考えているかまでは分からないけれど、すくなくとも表面的には協力的だ。だからあのサイトがひどく荒らされて閉鎖してしまったのは、法律などとは関係ないところで、ただ心情に受けいれられないひとが多かったということなのだろう。
 ふつうの植えつけは、花を育てる段階で死者の骨や髪を養分にして死者に似せた花を咲かせて、それを自らのからだに植えつけて故人を偲ぶよすがにする。植えつけられた花は、あくまで故人に似ていて、けれどそれは花でしかない。植えつけられたひとは一生花といっしょにいられる。けれど、養分を与えずに花を育て、だれにも似ていない蕾がひらくまえに生者に植えつければ――花がひらくのと同時に植えつけられたからだを乗っ取る。
 乗っ取るという言い方は正しくないかもしれない。けれど、花がからだの組織の深くまで入りこんで根づいて、そのからだを動かすようになるのは事実だ。
 もちろん、生きている人間に死者の養分を得ていない花を植えつけるのは違法だけれど、例外的に植えつけが認められている死んでいないからだがある。
 たとえば、私がラボに登録した勇のからだだ。
 勇が生まれたときにすでに、長くは生きられないとわかっていた。勇の父親とおなじ病で、父親は義母と結婚してすぐに発症して三月もたなかったという。勇はいつ発症するかわからなかったので、私は義母にも黙って勇の遺伝子をラボに登録した。そして発症したときに、ラボに培養を依頼した。

 いまの法律では死者の完全な復元は認められておらず、培養した体は「記憶装置」として登録して死者の記憶データを記録して「蘇らせる」か、「観賞用」として登録してあいの花を植えつけて花の力を借りて「蘇らせる」かのどちらかしかない。どちらにしても、死者を思い出すのではなく蘇らせようとする試みは唾棄されてもしかたのない、罪深い行いなのだろう。死者に似た花を愛することは許せても、花になった死者に愛されようとすることは許せないのだろう。それでも私は勇にもういちど目をひらいて私を見てほしかった。勇の腕で私を抱きしめてほしかった。それが花であっても、勇に名を呼んでほしかった。
 私は八年待った。やっと八歳になった勇の体はカプセルのなかで目をひらいてくれないまま胸を開かれた。心臓にいちばん近いところに根が置かれると、植物なのに自らの意志があるように這いだして心臓にしっかりと絡みついた。根が血を吸ってすこしふくらみ、心臓をしめあげているように見えた。のこりの根がざわざわとうごめいて掛布団をひきずりあげるように皮膚にとりつきひっぱり、じわじわと傷口をふさいでいった。
 クローンの人権は認められていない。目を開けることさえ許されなかった勇のからだは花によって殺されて、私の勇は花によって蘇らせられる。

 あと二日か、それとも三日。勇は花となって目をひらくだろう。その勇のからだからは、義母のように花の香がするのだろうか。

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(了)

 おいしいピッツァが食べたくなってクアトロ・スタッジオーニへ。このお店のピッツァはさっくり薄いクラストが香ばしくて、おおきめの一枚をぺろりと食べられてしまう。一枚おみやげに焼いてもらって、義母に持ってゆく。
 義母はドアを左手で開けて出迎えてくれた。右手のあいの花はきれいに開いて蕾もたくさんついていて、もうすっかり義母に同化している。花のすっきりした香とみどりのにおいが部屋中にただよっていて、家ではなく植物園にいるような気分になってくる。あれだけ好きだったコーヒーの香はすっかりしなくなっていて、義母は氷をうかべた水を飲んでいる。この子のために水はなるべくいいものを飲むようにしているの、とあいの花をいとしげになでながら。あいの花を躊躇なく勇、と呼びながら。
 帰り道、からだ全体をすっかりあいの花に覆われたひとを見かけた。義母もいずれああなるのだろう。そしてそれはたぶん義母にとってなによりも幸せなことなのだろう。

 家に戻って鉢のようすを見る。蕾はさらにふくらんで、花びらのあわせめがくっきり判別できるようになってきた。あと二、三日で花がひらくだろう。勇ではない、だれの骨も髪も栄養分にしていない、ただのしろい花が咲くだろう。
 ラボに電話を入れて面会の予約を取ろうとしたら、真野さんがいなかったせいで本人確認の段階で躓いて時間をくってしまった。カプセルIDはさすがに覚えているけれど、真野さんだと顔パス(声パス?)でもう何年もアクセスコードなんて使っていないのだもの。おまけに電話に出たお兄さんが、面会時間をダブルの一時間にしてもらうことと、面会時間中にボディを外に出してやることに対してわけのわからない難癖をつけてくれた。やれ面会時間の延長は事前に申請しないとだめだの(だから電話してるんだっての)ボディをカプセルから出すのはリスクが高いだの(真野さんの許可も降りているし同意書にも署名済みだと再三説明しているのに聞いちゃいない)ごちゃごちゃ言ってらちがあかないので、あきらめて真野さんに電話を折り返してもらうよう頼んだ。カプセルユーザの利用状況も把握できていない新人君でもメッセンジャーボーイくらいはできるでしょ。
 間野さーん、忙しいのはわかるけど留守番はもうちょっと仕事のできる子にやらせてください。あと、できたら今日中に返事くださいな。ああ疲れた。

ようやっと

蕾らしくなってきた。小指の爪ほどの大きさになっていて、花びらをまとめてきゅっと絞ったようなかたちをしている。茎もずいぶんしっかりしてきて、いままでは上から引っぱられるようにふらふらと上へ向かっていたのが、なんだかじぶんから伸びていって、葉が横へひろがってバランスをとっているように見えなくもない。いままではまわりに育てられていたのが、じぶんから育ちはじめている印象。

 浅川さんと電話ですこし話す。
 うぬぼれでなければ、浅川さんは私に戻ってきてほしがっている‥‥気がする。勇のことがなければ復職していただろうし、いまでも半スタッフのようなものだけれど、でももう戻れないところまで来てしまった。あのとき勇のそばにいることを選んで仕事をほっぽりだしたのは事実だし、それで結局勇も助けられず仕事も失ってしまった、そのうえまだあきらめきれずに勇を思ってあいの花を育てている、そんな罪ぶかい人間に園の仕事はまぶしすぎる。義母のようにきれいでやさしい花になった勇の思い出に生きることもできない私には、このまま罪を背負って死なせてさえやれなかった勇とともに生きてゆくのが似合いだろう。

 ラボから定期メール。添付写真、今回は三枚。サイトの個人エリアに動画もアップしてくれたらしいけど、動きのまったくないカプセルを五十秒見ているというのもどうだろうと思わなくもない。髪が伸びていて、目にかかっているのが気になるので次に行ったときに切ってやろう。

バザー終了

 土曜日、昼過ぎに呼び出されて保育園で看板作りの手伝い。仕事が押せ押せになっているそうな。看板作りといっても画才がないので言われたとおりに線をなぞってペンキをぬるだけ。美大出身で世界中を放浪したあとに保育士になった三浦さんというひとがいて、そのひとの指示どおりぺたぺたとベニヤに色をのせてゆく。ベニヤの土台に花や動物のかたちに切り抜いた厚紙を蝶番やら発条やらで取りつけた、可動式看板という仕掛だ。演出のうまいひとで、こういうひとが先生だったら私ももう少し絵が好きになっていたかなあと思う。
 そのまま浅川さん、三浦さん、嘉納さん、ヨギさん、私で近所の中華料理屋でごはんを食べて打ち合せと称した雑談に花を咲かせる。嘉納さんとヨギさんは三歳児と乳児の担任だそうで、お話しするのは今日がはじめて。ヨギさんの名前の字、聞いたけど忘れてしまった。與謝野晶子のヨと言っていたのだけは覚えているのだけれど、ギはなんだったっけ。
 そんなこんなで帰りが遅くなってしまった。十一時過ぎにご帰宅、電気をつけて、まず鉢を確認。蕾が落ちていないことを確認してから水をやる。まだ、ちょっと大きなとげレベル。蕾とよべるほど育ってはいないが、よく見るとがくらしき部分と花びららしき部分が判別できる。

 で、日曜日、バザーは一日中立ち仕事だったのでさすがに腰が痛い。厨房で皿洗いだけのつもりが、気がつけば手の足りないところに駆出されてこどもをトイレに連れていったり迷子の呼出しをしたりばたばたと走りまわっていた。いつのまにか職員用の腕章までつけさせられているし。だから私はもうとうの昔に離職ずみだってのに。

 帰ってすぐにシャワーをあびてさっぱりして鉢のご機嫌伺い。昨夜よりさらに葉も大きくなって茎も太くなっているような気がしなくもない。がくと花びらははっきり判別できる。とげから蕾に進化しつつある感じ。テレビをつけたら交通事故のニュースを流していた。後部座席に乗っていた幼児がひとり即死、ひとり重体。こどもの事故はいやだ。大人ならいいって訳じゃないけど。
 義母からメール。添付写真のあいの花はずいぶんと育っていた。もう肩から指先まですっかり覆ってしまうくらいに。メールを打つのに不自由はないのだろうか。そんなことをとりとめもなく思いながら、鉢をなでる。ごめんね、おまえもああいうふうになりたいのかもしれないけど、うちに来たのもなにかのめぐりあわせだと思って、もうしばらくその鉢にいておくれね。蕾がまたふくらんだ気がする。思いこみって怖い。いまの私、はたからみたら完全にあいの花に囚われてるんだろうな。

 ぼんやりネットニュースを見ていると浅川さんからねぎらいメール。だれが撮ったのか腕章つけて走りまわっている私の写真のおまけつき。うわあ。


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 ここまで書いてアップしようと思ったら、なぜかサーバエラー。更新はあきらめて、とりあえず寝る。

これが蕾になるのかな

 バザーの件、浅川さんとメールで打ち合わせ。できれば裏方仕事にしてほしいと頼み込んで厨房の手伝いにしてもらって、代わりに厨房の子を一人屋台に回すことになった。お客さんも屋台は若い子のほうがいいだろうし。
 葉のつけねから出ているとげが昨日より一ミリのびて、わずかにふくらんでいる。色はまだ緑だけれど、これが蕾なんだろう。この段階ではまだ、だれに似ているとかだれの雰囲気があるとかそんなふうにはこれっぽっちも見えない、ただのちいさなとげでしかない。勇の写真にごめんなさいとつぶやいて、それから鉢に水をやる。

 勇を喪ったとき、あいの花はまだ都市伝説だった。遠いどこかの星からだれかが持って還ってきた宇宙植物。墓場に植えればそのひとの花が咲く。そんなおとぎばなしの花と勇をむすびつけることなんて、義母も私も思いつきもしなかった。けれどあれからもう八年がすぎて、八年のあいだにあいの花は恋人同士の記念写真より陳腐なファッションになってしまった。下手をすれば、墓地にあいの種を撒かない遺族には個人を偲ぶ気持ちが足りないと陰口を叩かれてしまうくらいに。墓場にはそこかしこにしろい花が咲きほこるようになり、そのうちに、命日に墓場から摘んできた花で身を飾ることが流行し、やがて腕や足の一部を切り裂いて花を植えつけるひとまで現れた。いまではあいの花は、死者を悼み墓場を飾る花ではなく、死者を忘れたくない生者が身を鎧う花になりはてている。

 それがいけないということではなく、ただ、ときどき、もともとの星ではあいの花はなんと呼ばれて、どういうふうに咲いていたのだろうかと、ふと考えることがある。

葉脈という字面は気持ち悪い

 葉がすこし大きくなっていて、つけねからとげみたいなものが出てきている。つるもほんの一ミリくらいだけれど伸びはじめていて、聞きしにまさる成長の早さだ。どこかの園芸サイトでは成長速度は育てる人間の愛情の量による、なんて書いてあったけど、いくら俗称があいの花だからって、それは眉唾というかこじつけでしかない気がする。

 私があいの花の存在を知ったのはネットで見かけた一枚の写真がきっかけだった。もうそのサイトはなくなってしまったけれど、「宇宙からのおくりもの」という甘ったるいタイトルのついたそれは、緑の草原に一輪まっしろな花が咲いている情景を撮影したもので、いまにして思えばたぶん合成写真だったのだろうけれど、まるでなにかの目印のように茎がすっくりと伸びて花を支えているように見えた。かたちは芥子の花にすこし似ていて、お椀のように、たいせつなものを両手でつつみながら、それを掲げて日の光をあててやろうとでもするように、ふわりとひらいていた。そのときのイメージのせいでいまだにあいの花というと手のひらくらいの大きな花を連想してしまうのだけれど、実物はもちろん、とてもちいさい。植木鉢でかんたんに育てられるくらいに。
 原産地では雑草あつかいらしいあいの花をはじめて墓地に植えたのはだれなのか、それとも種が風に飛ばされでもして墓場で芽吹いたのか、そのあたりのことはネットで検索してみても伝説めいたうそっぽい話ばかりがヒットするし、たぶんどうでもいいことなのだろう。とにかく何百年もまえの第二次大航海時代、まだ輸入植物の規制がそこまで厳しくなかったころにどこかの星から持ち帰られたきり、ほとんど顧みられもしなかった雑草を地球の土壌で育てようとしただれかがいて、それから何百年か経ってから、墓場に咲くあいの花がなぜかそこに眠っているひとによく似ていることに気づいただれかがいて、それを商売にすることを思いついただれかがいた。
 似ているといってももちろん人のかたちをした花が咲くわけではないから、他人が見ればそれはただの花でしかない。そのひとを知っているひとだけが、花びらの開きぐあいやしろい花弁が光を受けてゆれるさまから、なぜかそのひとを思い出せる、ちいさなしろい花。どこが似ていると言えるわけではないのに、似ていることだけがわかる、そんな説明のつかない雑草を、いまではずいぶんたくさんの人が育てている。
 「あいの花」というネーミングで売り出したのもよかったのだろう。これが「死人花」とか「面影花」とかだったらここまで受け入れられたかどうかあやしいものだと思う。どうやら寄生植物らしいことがわかっても人気が衰えるようすはない。そうして私もまんまとあいの花の生存戦略にひっかかったひとり、ということなのだろう。

 バザーの件で浅川さんから電話、綿菓子の屋台に手伝いが足りないので出てほしいと言われてしまった。日曜日か‥‥きょうが木曜日だからあと三日。ま、たぶんだいじょうぶだろう。

初志貫徹

 みどりの葉が出てきた。葉のかたちは紫蘇みたいな感じで、表面にうぶ毛じゃないな、なんていうんだろ、和毛でいいのかな、とても細くてやわらかい毛がびっしり生えていて、さわるとひとの肌みたいにどことなくしっとりしている。
 葉が出てからは猫が鉢に近寄らないのは、ちょっと甘いミントとアニスの中間のような香りのせいかもしれない。

 この子は勇の花にはならない。勇の骨も髪も、鉢には入っていない。

植えかえ

 芽が五ミリくらいに伸びていたのでペットボトルからじょうろに植えかえ決行。じょうろは形がシンメトリックでないぶん安定が悪いので天井からつるすのには不安があるし、ペットボトルのように軽くてきらきらしていればともかく、どっしりおいてあれば猫も手を出すまいと窓際に置くことにする。
 へたに肥料はやらないほうがいいらしいと聞いていたので、園芸用の土を入れて人差し指で穴をあけたところへ種を入れて土をかぶせて、とにかくたっぷり水をやるだけにしておく。根が出ないうちに植えかえちゃっていいのかしらんと迷ったけれど、ネットで検索しても発芽したらすぐに植えかえていいというので信用しよう。ひと袋に三粒しか入っていないから、失敗したくはないよね。いや三粒あるからって三度も挑戦したくもないんだけど。

 植えかえ作業中にインタフォンが鳴って、だれかと思ったら義母で、あわてて鉢を隠して部屋に入れたら、なんとあいの花のお披露目に来たというシンクロニシティ。私も育てているんですとは言えず、腕に植えつけた花を見せてもらって話をいろいろ聞く。種からではなく、輸入雑貨の店に苗があったのだとか。いくらで買ったのかは聞かなかった(聞けなかった)。だってネットオークションより安かったらショックだもの。
 義母の花はやさしい顔をしていた。私の覚えている勇よりずっとおだやかでやさしい顔。なるほど義母にとっての勇はそうなんだろう。かわいいでしょと無邪気に腕をこちらに向ける義母はあいの花を育てる会とやらに入会したらしい。育て方やなんかの情報交換をするのが建前で、その実みんなじぶんの花を見せびらかして親ばかぶりを競うのよ、真紀ちゃんもどう、あたしが苗買ってあげるわよと言われてしまって、なおさらもう育てているんですとは言えなくなってしまった。私が育てるとしたら勇だろうと思い込んでいる義母に違いますとも言えないし。
 罪深いこと、してるのかなあ。やっぱり。

 義母が帰ったあとで、じょうろを見てすこし迷う。いまならまだ葉も出ていないし、双葉が出るまえに遺骨か遺髪を土に入れてやれば勇の花が咲くのだけれど‥‥。

発芽!

 浅川さんとSTCで12:00に待ち合わせ。保育園のバザーに提供する不要品をあれこれ見つくろって持っていったのだけれど、ぬいぐるみには微妙な顔をされてしまった。バザーで受けのいいのは子供服だそうで(これは納得)、あとは積木や絵本、楽器のたぐいがいいらしい。人形やぬいぐるみはもうひとつなんだそうだ。たしかに何百万もするアンティークドールならともかく、以前だれかがかわいがっていただろう古ぼけた人形に手が伸びるかといったら‥‥むつかしいかもしれない。「名札つけてる子もいたりするのよ。ぬいぐるみに『ぼくの名前は○○です。かわいがってね』ってカード首から下げてたり。なんかこう、捨てられたペットみたいでよけいに哀れに見えて売りにくいことがあるわ」と困った顔で笑っていた。前の持ち主の思い入れが感じられすぎるのはちょっと嫌だな。
 そんな話をしながらごはんを食べて浅川さんと別れて、園芸ショップにふらっと入ったら、かわいらしい素焼の植木鉢があったので土といっしょに購入。じょうろの形をしていて、どてっぱらにデイジーみたいな花の型が押してある。

 で、帰ってきたらうれしいサプライズアタック。出かけるまえにはさして変化の見えなかった種、帰ってきたら、なーんとなく微妙にカールした感じ、ちょっとこう生えかけの豚のしっぽみたいな白いものがのぞいているじゃないか。やっと発芽だね。よしよし。
 でもまだ植えるのには早い気がするので、明日までもうちょっと待つことにしよう。
 そんなわけで持って帰ってきたピンクのちびかばのぬいぐるみにじょうろの把手を抱かせてみた。じょうろがちょうどかばの背の高さなので正確にはしがみついているように見えるけど、こまかいことは気にしないことにして、かばの手の先をじょうろの把手に通してかるく縫いとめた。かばのちょこっと朱色の入った和風のピンクとじょうろの赤みがかった茶色が似たようなトーンで、窓際に置くとなんだかそこだけ夕焼けっぽい色あいでいい感じ。

 さあ、明日はこのじょうろに引越だよ。

まだ芽は出ない

 ゆうべ寝るまえに霧吹きで水やったのに、今朝起きてようすを見るともう脱脂綿が乾いていた。種は見ためには昨日よりあんまり変らない気がするけど、水がないってのは問題じゃなかろか。でも冬場は空気も乾燥しているからなあ。
 ってことで、ペットボトル工作にいそしんでみる。ペットボトルを半分に切って、上半分をひっくり返して漏斗みたいに入れ子にして脱脂綿をのせて、下半分に水を入れて脱脂綿が浸かるようにして、まんなかに種安置。これで一晩や二晩は大丈夫だろう。と、思いたい。

 あと問題は、猫がちょっかいかけないかどうか。日差しの当たるところに置いてやりたいし、かといって窓枠なんかに置いたらぜったいに倒されちゃうだろうし。てなわけで、窓のあたりを検分していいもの発見。以前おもちゃのハンモックをかけていたフック、取りそびれて放ったらかしになっていたやつ、あそこから吊るすことにした。なんかちょっと貧乏人のインテリアって感じでいいじゃないのさ。ふふふ。

 はーやく芽を出せあいのたね。はさみでちょんぎりゃしないから。