懐中温泉です、
「癒しと労働の列島」篇第八十九話
東京の銭湯や商店街、路地裏の小さな飲食店。
結は、それらを「都市の分散点」と呼ぶよう
になっていました。
再開発が進み、土地の値段が上がり、効率が
優先される都市の中で、なぜ、こうした場所は
完全には消えなかったのだろう。
結は、夜の帰り道、少し遠回りをしながら
考えます。
答えは、一つではありません。
まず、東京はあまりにも大きすぎた。
すべてを一度に更新することは、現実的では
なかった。
再開発は点と線で進み、そのあいだに、必ず
「手つかずの隙間」が残る。
けれど、それだけでは説明がつきません。
結は、谷中銀座の裏道を歩いたときのことを
思い出します。
観光客の流れから外れた場所に、昔からの
八百屋や惣菜屋が、静かに営業していました。
そこには、強い主張はありません。
「残そう」と声高に言われているわけでもない。
ただ、毎日使う人がいて、毎日開ける人がいる。
結は、ここで大切なことに気づきました。
東京の分散点は、保存されたのではなく、
使われ続けてきたのです。
文化財のように囲われたわけでもなく、
ノスタルジーの対象として守られたわけでもない。
生活の中で、必要とされ続けただけ。
銭湯も同じです。
家に風呂がある時代になっても、仕事帰りに
立ち寄る人がいて、高齢者が通い、若い世代が、
サウナ目当てに入り始めた。
利用の仕方は変わっても、「湯に入る場所」
という役割そのものは、消えなかった。
結は、東京の銭湯が、別府ほど深く生活に
沈んでいない代わりに、草津ほど強く象徴化
もされなかった、その“中途半端さ”こそが、
残存の理由ではないかと思いました。
強い象徴になると、観光化され、再編され、
管理されやすい。
完全な生活施設になると、人口構造の変化に
直撃される。
東京の分散点は、そのどちらにも振り切れ
なかった。
だから、都市の中に、薄く、広く、散らばったまま
残った。
もう一つ、結が感じたのは、土地の所有の
複雑さです。
東京では、一つの街区の中に、個人所有、
借地、古い権利関係が入り組んでいます。
すべてを一括で整理することが難しく、
結果として、小さな店や施設が、ぽつぽつと
生き残る。
制度の不完全さが、生活の居場所を残して
しまった。
結は、それを皮肉とは思いませんでした。
むしろ、制度が完全でなかったからこそ、
人の身体が休まる場所が残ったのだと
感じます。
別の日、結は月島の路地を歩きました。
高層マンションの足元に、古いもんじゃ
焼きの店が点在しています。
ここでも、誰かが「ここを残そう」と決めた
形跡はありません。
ただ、客が入り、店が開き、それが繰り
返されてきただけ。
結はノートにこう書きました。
――東京の分散点は、意志ではなく反復に
よって残った。
毎日の開店。
毎晩の入浴。
同じ道を歩くこと。
同じ場所で買うこと。
その小さな反復の積み重ねが、巨大な都市の
流れに、静かな抵抗を生んだ。
別府では、自然と生活が分散をつくりました。
東京では、過剰な集中の中で、生活の反復が、
分散を残しました。
成り立ちは違う。
けれど、結果として現れたのは、「語られない場」
が、点として生き続ける風景です。
結は思います。
都市は、設計図どおりにはならない。
人は、完全には配置されない。
そのズレの中に、銭湯が残り、商店街が残り、
路地の店が残った。
結は、夜の東京を歩きながら、別府で見た
分散性と、ここで見えてきた都市の分散性が、
遠くで呼応しているのを感じていました。
どちらも、計画ではなく、生活がつくった空間。
そして、その空間は、いまも、静かに息をしている。
結は、その呼吸に耳を澄ませながら、 次に向かう場所を、
ゆっくり考え始めていました。
