原理主義者の愛と葛藤 | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です。

本ブログをご訪問いただき、
心より感謝いたします。


納豆は、ふりかけか。



もちろん、違います。

https://youtu.be/7Nd-PEKisAk

ふって、かけることが
できないからです。

その粘りけのために。

納豆の納豆であるがゆえんの
粘りけのために。

粘りがあるから
納豆なのです。

それは、臭いがあるから
ニンニクであるのと
いっしょです。

無臭ニンニクは、
その本質からして、
無意味な存在です。

また、実のところ、
完全な無臭ニンニクは
ありません。

あれは、まあ、
誇張であり、
あくまでネーミングです。

それがニンニクである限り。

あるいは、完全に
無臭になると、
それは違うカテゴリーに
入るでしょう。

無粘納豆。

こう言われると、

「それって、甘納豆?」

さすがに、それは
ありません。

そうですね、
あ、いや、
やっぱり、
甘納豆ですね。

納豆が納豆である限り
糸をひくわけで。

この頃はやりの
黒ニンニクというのがありますが、
生産側もフルーティーを
うたっています。

果物とは言わないまでも、
やはり別のカテゴリーと
言うべきでしょう。

ということで、納豆原理主義者は
次のように断定します。

原理主義者は、
こうでなくてはならない、と
教条に従いたがる人の
ことです。

納豆原理主義者は、
納豆の食べ方に
ついての原理を標榜し、
主張します。

食べ方というか、
ああ、ここでも
何を混ぜるかという話ですね。

納豆を主食とすると
そのおかずにあたるものを
なんにするか、
ということです。

そうか、このレベルでも
やっているのか、と
こうして書きながら発見しています。

ご飯とおかずの関係
を小規模にしたのが、
ご飯とふりかけの関係です。

納豆に何を付け合わせるのか。

これも、
ご飯とおかずの関係を
さらに小規模にしたものである
ことに気づくのです。

原理主義者は
どこまでも
原理にもとづいて行動します。

こうでなくてはならない、
と。

したがって、原理同士が
ぶつかり、ささいな違いは、
葛藤を生み、争いとなる。

「納豆はカラシだろ?」

「江戸時代から、江戸っ子は
納豆にカラシをまぜて、
それをご飯にかけて、ささっと
食べて、仕事にでかけたんだ。」

「おめえ、江戸っ子なんかじゃ、
ねえじゃねえか。」

「水戸っぽ、だっぺよ。」

「納豆は、ネギだよ、ネギ。」

たとえ家族であっても、
仲の良い友人であっても。

いや、近しい関係にあるほど、
愛する存在であるほど、
葛藤も深刻になり、
争いともなるのです。

相手を自分の思い通りにしたい。

こんな相手の言うことは
聞きたくない。

だが、仲良くしたい。

嫌われたくない。

だけど、原理は貫徹させたい。

間違いだけはしたくない。

納豆の粘りけの結晶である、
納豆の糸。

この納豆の糸で汚れた
ご飯に、ふりかけを混ぜる。

そのような野蛮なことは
早くから原理主義に目覚めていた
幼少期の私には耐えられない
ことでした。

しかも、ご飯には
そもそもきちんと栄養の
考えられた、正式なおかずが
あります。

それらのおかずがあるのに、
なぜ、ふりかけを。

そのような中で、
おかずを味わいながら、
納豆も食べながら、
ふりかけもご飯にかけたい。

葛藤であり、
懊悩です。

懊悩。

英訳しますと、Oh! No!

ふりかけではない
納豆とふりかけとおかずと。

私はどのように切り抜けたのか。

いえ、切り抜けてはいないのです。

それについては次回
お話ししますが、
あなたには、美味しくご飯を
しみじみと味わっていただきたい。

にんにくの匂いについては、

あるいは
納豆の効能については



ご精読ありがとうございます。

懐中溫泉