コロンブスの生卵 | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です。


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卵を立てて回転させる

私のこれまでの記事を読み続けてこられた
あなたであれば、私の傾向というか癖を
すっかり飲み込んでいらっしゃり、

『こういう感じの設定だと、当然
コロンブスの卵について一言あって
しかるべきなのに、なぜ懐中は
触れようとしないのだろう』

そのように思われたかも知れません。

私としても、もったいぶる気は
なかったのですが、ゆで卵は食べ物
なので、食べ物として取り扱いを
したかったのです。

コロンブスの卵は、歴史上の
エピソードとしてあまりにも
有名になりすぎ、もはや食べ物
であったことを忘れられています。

したがって、その後コロンブスの
卵、正確にはゆで卵はどうなったのか
わからなくなってしまったのです。

おそらく食べたのだと思いますが。
コロンブス自身が食べたのでは
ない気がします。


誰もが知るエピソードですが、
例によって、たまたまあなたが
今、この瞬間だけ忘れてしまった
ということもあります。

そのため、あえて、簡単に
この出来事をふりかえりましょう。


1492年、スペイン国王の資金的援助を
受け、クリストファ・コロンブス率いる
船団が、バルセロナ港から出港し、大西洋を
西へ西へと進みました。

それ以前は、世界は平べったく、
世界の端は巨大な滝となっていて
そこまでいくと、奈落の底に落ち込む

そのように信じられていました。

したがって、地球という概念は
なかったのです。

正確に言えば、
古代ギリシャ・ローマ時代には
世界が丸く、地球である
ということは知られていました。

それがすっかり忘れられていたのですね。


ところが、コロンブスの頃には、
地球は丸いことが知られるようになって
いたのです。


それでも、まだその丸い地球が
太陽の周りを回っている、

もちろん、自転しており、
その地軸はいわゆる憧れの角度(23.4度)
の傾きを示す

とは知らなかったか、知っていたとしても
キリスト教会の教えに背き異端となる
ために、沈黙を余儀なくされていました。


コロンブスの知識はどの程度のもので
あったのか、ちょっとわかりませんが
渾身行動派の彼としては、地球が丸い
ということだけ知っていれば十分でした。

その頃、スペインとのライバルは、東へと
向かい、インドにたどり着こうとする
ポルトガルでした。


スペインとしては、ポルトガルに
先行されているために、なかなか
追いつけません。

そこに、東が無理なら西へ、
というプランを持ちかけたのが
コロンブスだったのです。

地球が丸いのであれば、
東でなくとも西へ西へと
進んでいけば、やがてインドに着くはず

とはいえ、船員を含め多くの
人々が依然として、世界は平べったい
と信じ込んでいますので、
抵抗も大きかったのでした。

彼がジェノヴァ生まれの
イタリア人であり、スペインの
人々からすれば外国人であったことも
不信の一因でした。

しかし、紆余曲折を経て、国王の
信任と資金援助を得た
コロンブスは船団をバルセロナから
出発させます。

数週間の航海を経て、
何しろこれまで誰も通ったことの
ない航路です。

コロンブスだって行ったことはないです。

もともと、船員たちは、
世界が平らだと信じて
疑わないのです。

いつまで経っても陸地に着かない
ために、いよいよ不安になり、
業をにやして、騒ぎ立て、
ほとんどストライキになりました。

しかし、コロンブスは、
なんとか船員達を説得し、
西インド諸島にたどり着きました。

西インド諸島、というのは
コロンブスがそこがインドだと
思っていたからです。

彼は、死ぬまで自分が
アメリカというヨーロッパ人から
見れば新大陸であった、とは
知りませんでした。

さて、なんとか成功し、スペインに
戻り、祝いの宴席が設けられ、
このときに、誰かが、わかっていれば
やったよな

やっかみ半分に批判的に言ったのを
聞きつけ、

コロンブスは、人々に、

このゆで卵を
立てて下さい

と言いました。

人々は、その卵を
立てようといろいろ試しますが
すぐに転がってしまって
立ちません。

しばらくその様子を見ていた
コロンブスは、その卵を
とりあげ、その底の部分をテーブルに打ち付け
立つようにしてから、立たせました。

それを見て、人々は、
なんだ、底を打ち付けて
立たせればいいのか

底を叩いて平らにすれば
立つよな

そうしたちょっとあきれ顔の
人々に向かい、
自分の「インド発見」も
まったく同じことだと言いました。

結果がわかっていれば誰でもできる

未知への挑戦

という教訓ですね。


さて、これが実は、
生卵であったら
どうだったでしょうか。

その可能性はあります。

ゆで卵と生卵の区別を回転に
よってするという知識を
持ち合わせていれば、少なくとも
回転させて、立たせた様子を示せるからです。


立たないのだから、
実のところゆでか生か
わかりません。

案外、生だったかもしれないのです。

生であれば、回転させても
立たないので、確実だったとも言えます。

いずれにせよ
教訓を引き出す上では
効果は同じだったでしょう。

ぐしゃっ

中から身が流れ出した方が、
「やってみなければわからない」
ということを示す上では
より劇的とも言えます。

とはいえ、
少なくとも、ゆで卵であれば
教訓を知らしめるために
しばらく飾っておいたでしょう。

しかし、生であったとすると、
すぐに厨房にもっていかせたのでは
ないかと思います。

いずれにしても教訓を示したかった
とすれば、その後ただちにコロンブスが
その卵を食べると言うことはせず、
しばらく陳列しておいたはずです。

結局後始末は、厨房の者が行った
でしょう。

教訓

やってみなければわからない。

それが生卵であっても
ゆで卵であっても。


ご精読ありがとうございます。


懐中温泉