赤い指 / 東野圭吾/著

なるほどうまいなあと思う。

この中には、現代の日本人が抱える「病」の全てが盛り込まれている。

老老介護、家庭崩壊、少年犯罪、近隣コミュニケーションの欠如などなど・・・

確かにうまいんだけども何となく物足りないんだなぁ・・・・・

この人の書くものは。


朝、岡山へ向かう新幹線の車内で、この記事を目にする。


「家に来ることで罪の意識を自己完結させたいなら、来ればいい」


河野さんのこの言葉が一日中頭から離れなかった。

よくテレビで被害者遺族が加害者やその親族に罵声を浴びせているシーンが流れる。

見ていると何とも胸がしめつけられるような気がする。

とてつもなく深い憎悪がそこには存在する。

しかし、犯人扱いされ奥さんの意識がいまだに戻らない河野氏は「来ればいい」と言う。

河野氏はいかにして憎悪を乗り越えたのだろうか?

実行犯さえ受け入れようという姿勢は到底真似できるものではない。

憎むのではなく、かといって心から許すのでもなく、

どこか突き放すようでもあり、それでいて決して拒まない。

言葉にすると簡単だが、実際はその境地に到達するのは難しいはずだ。

「罪を犯した人たちが受け入れられる世の中が理想的」だと河野氏は言う。

その言葉もまた重い。でも確かにそれを実現しようとしている人がいる。

憎むのでもなく、許すのでもなく、同じ人間として受け入れる。

その先にこそ、理想はある。




東京番外地 / 森達也/著

番外地とは何か?森氏自身が作品の中で言及しているので引用してみたい。


「あえて定義を書けば所番地という人為的な規定から解放されたエリアを意味し、

周縁や境界を意味するマージナルな場所であり、

治外法権や聖域を意味するアジールでもある。だから負の場所とは限らない」


森達也氏の何が評価されているのか?

私はテクニック的な部分ではなく、まさかこんな所を掘り下げるのかという独特の感性だと思う。

その感性こそが、今この世の中で必要とされているのである。

森氏自身は映像へのこだわりを持っているだろうが、

現実は文筆業に比重が傾いているのも、テクニックではなく感性が評価されていることの表れであろう。

私は彼の文章の何が好きなのか、それはたぶん、どんなに売れても文章のところどころに垣間見せる迷いだと思う。

自信のなさと言い換えてもいいかもしれない。

自信がないから自分の中の違和感を世間に阿らず口にできるんだと思う。

そして、その自信のなさが、対象への優しさを生んでいるような気がする。

それにしても、森さんの書くものは相変わらずねちっこい。

それこそが、森達也の真骨頂でもあるのだが。


ナイロビの蜂


映像のテンポが早すぎて、途中まで作品に入り込めなかった。

エンターテーメントとして観ると、非情に中途半端な筋立てだったと思う。

謎といっても最初からほぼ明らかになっているし、

仇討ちにもなってないし、殺人グループとの息詰る攻防もない。


最後の葬式の場面でテッサの従兄がこんな趣旨のことを言っている。

「アフリカには痛ましい死があるだけだ。

そのような死を越えて文明社会は利益を得る。

利益を得るのは簡単だ。彼らの命はとてつもなく安い」


結局この映画で伝えたかったのはこれなんだと思う。

しかし、映画の中で主人公夫婦が何も変えられなかったように、

映画を観た我々にも何もできはしない。いったいどうすればいいのか?

考えさせられるというよりは、無力感に苛まれる映画だった。

あくまでもフィクションの映画という表現方法を選んだのであれば、

たった一筋でもいいから希望の光が必要だった。

それこそ冷酷で悲惨なのは現実だけで十分だ。




オール1の落ちこぼれ、教師になる / 宮本延春/著

ひねくれているのでこういうものにはけちの一つも付けたくなるのだが、素直にいい本だと思った。

人生が自分の思い通りいかないと考えている人は多いと思う。

しかし、この本を読むとそれは自分の想いと努力が足りなかったからではないかと思えてくるはずだ。

彼は奥さんや工務店の社長や定時制高校の先生方など沢山の人たちに支えられて夢を実現した。

しかし、それは宮本氏のひたむきな姿勢が彼らの心を動かしたからだろう。

だから、母校の教員になって恩返しがしたいという考えがすーっと心に入ってきて、

読む人を感動させるのだと思う。

ヤンキー先生や夜回り先生など有名な先生は何人かいる。

彼らの著作を読んだことはないのだが、最近の活動を見聞きすると、

他人事ながら何だが違うんじゃないかという気がする。

有名になって、初心を忘れてしまったんじゃないか、

悪く言えば何か勘違いをしてしまっているんじゃないかという気がする。

落ちこぼれ先生は果たしてどうだろうか。

最後の一文を読んで、この人はこれから先も大丈夫だろうという気がした。


「最後に、この本を読まれた皆様の人生がより充実して素敵なものになることを、

心より願い、祈っています。

私に出来ることは何もありませんが、

どうか、あなたの人生が素晴らしいものになりますように」


そうなんだと思う。

私たちが出来るのは自分の目に映る人の人生がよりよきものになるように手助けすることだけだ。

一人の人間が世の中のいじめや非行の全てをなくすなんて、

そんな大それたことはできるはずはない。

ただ、目の前の人たちの幸せを願って行動することは、

きっとまだ見ぬ世界の人々の幸せへと繋がっている。

人生の同伴者 / 遠藤周作/[著] 佐藤泰正/[著]


遠藤周作さんは私が好きな作家の一人だ。

本作は遠藤氏自らが自分の人生と作品について衒いなく率直に語っているもので大変興味深い内容だった。

他にも彼は作家の日記や深い河創作日記など自らの作品や人生に言及する作品を残しているらしく、

そうたいった面でも非常に珍しい作家だと思う。

この本を読んで驚いたのが遠藤氏が晩年「悪」について掘り下げていこうとしていたことである。

罪と許しについて書き続けてきた遠藤氏が悪の問題をどう捉え、救いや許しへとどう到達させていくのか、

はたまた結びつけることができないのか大変に興味がある。

「スキャンダル」という作品はぜひどこかで手に入れて読んでみたい。

また結果として続編が書かれなかったことは残念でならない。

最後に、最近の日本の文壇の有様に大いなる不満を持っている私としては、

未来への希望を込めて、次の一文を引いておきたい。

この本を読んだ現役の作家達は今の自分の仕事をどう考えるのだろうか?


グローバルになっていっただけに作家の仕事は前より非常に重大になってきたような感じがします。

前の時代に使っていたカメラアイズとか対象との距離感では、

それで出来上がった小説をグローバルな時代に読んでも、

読者がこれをおれの問題だとは言ってくれないとおもいます。

だからこそ日本の作家は、日本をちゃんとつかんで書かなくちゃならないと同時に、

外国人の人が読んでもこれは私の問題であるというふうにおもうような小説を、

願わくは私を含めて書いていくべきです。

それは何かというと、結局は人間の〈根源的な〉問題だとおもいます。

いわゆるテクニックとかそういう問題ではなく、人間をその人がどこまで掘り下げたかということで、

これは〈根源的な〉問題で私は共通だろうとおもいます。

大江氏の講演を聞いたことがない人々は彼の話なんか聞いても

難しくてつまらないんじゃないかと思うかもしれない。

しかし、聞く人を和ませるユーモアセンスがあり、

内容も書くものからは想像できないほどわかりやすい。

以前から教育基本法や憲法をなぜ今変える必要があるのか、

逆に、反対する人は何が問題だと考えるか、そこがわかりにくいと感じていた。

しかし、今回の講演で大江氏の考える新しい教育基本法の問題点が明確になった。

会場には開始前から沢山の人が列を作り、たぶん1000名を越える人々が彼の話に耳を傾けたことだろう。

改正派が一番恐れるのはこういった力に違いない。

しかしこれだけでは世の中は変わらない。

皮肉なことに圧倒的多数の無関心がこの国を作っている。

今回の基本法改正の最大の問題は家庭教育、幼児教育への国家の介入である。

愛国心という言葉の有無はたいした問題ではない。

我々一人一人を操るのに都合のいい一塊の集団に作り変えようという目論みが透けて見える。

なぜやらせの質問を準備したのか、その答えがここにある。

国家は恐れている。無関心な人々が目覚めることを。

来たるべき国民投票に向けて戦いはすでに始まっている。

ブッダは、なぜ子を捨てたか / 山折哲雄/著

冒頭で著者は現代を「親捨て子捨ての時代」と定義する。

なんだがドキッとする指摘で、ここに表題のブッタの子捨てが

いったいどう関わりをもつのか興味を抱かせる物語のスタートだ。

しかし読み進めていくうちに、何だか肩透かしを食ったような、

極端な言い方をすれば詐欺にでもあったような何とも煮え切らない気分にさせられた。

いつのまにか仏教入門みたいなどうでもいい内容に変わってしまったのである。残念としか言いようがない。

唯一気になったのはガンディーについての記述で非暴力の思想でインドの民を救った彼が、

その崇高な思想が故に、最後まで自分の息子の魂を救済出来なかったという事実だ。

彼の偉大な業績の前では取るに足らないことなのかもしれないが、この事実は重い。

そこにブッダとガンディーの違いがあると著者は言いたいのであろう。

いかに生きるか、本当に難問だ。ブッダのしめす答えは何なのか。

本書ではそこのところが結局はっきりしなかった。

カラマーゾフの兄弟 1 / ドストエフスキー/著 亀山郁夫/訳 
人類が文学という仕事を通じて残した最高の作品の一つが「カラマーゾフの兄弟」である。

ここに人間の叡智の最高峰がある。

もちろん、私は原卓也氏の訳のものを少なくとも2度は読んでいる。

今回、光文社が古典新訳というコンセプトで名著を改めて発刊している中で、

この作品も選ばれていた。なかなかいい企画だと思う。

まだ1巻だけだが訳に特に違和感はなかった。

原文が同じなのだから、全く違うものになっても困るのだが。

難点は毎月発刊するのかと思ったら、どうやら2ヶ月に1度らしいということだ。

出し惜しみしないで欲しいものだ。

戦後の巨星二十四の物語 / 本田靖春/著

20年前の週刊現代の連載をまとめたものなんだそうだ。

本田さんのことはよく知らないが、対談の流れや発言をみると

かなりくせのある人が好きなんだなとわかる。

真面目な人との対談では調子が出ていないものもある。

故人も多いが、ここに出てくる人々は20年経った今でも輝きを放ち続けている。

それに比べて21世紀のスターはなんとも小ぢんまりしてしまったものだ。