将棋の子 / 大崎善生/[著]


読みながら色々な考えが頭を駆け巡ったがごちゃごちゃ書かずに、

1番気に入っている箇所を書き記しておきたい。

これは本書の主人公の成田氏が著書に語った言葉である。


「今でも将棋には自信がある。それがね、それだけがね、今の自分支えなんだ。

(中略)将棋がね、今でも自分に自信を与えてくれているんだ。

こっち、もう15年も将棋指していないけど、

でもそれを子供のころから夢中になってやって、

大人にもほとんど負けなくて、それがね、そのことがね、自分に自信をくれているんだ。

こっちお金もないし仕事もないし、家族もないし、今はなんにもないけれど、でも将棋が強かった。

それはね、きっと誰にも簡単には負けないくらいに強かった。そうでしょう?」


青春の全てを捧げても、掴むことができなかったプロ棋士の称号。

しかし、彼を見放し、両親を死に追いやり、彼から全てを奪ったのも将棋なら、

今でも彼の唯一の誇りであり、生きる支えなのもまた将棋なのである。

年齢や人数などの奨励会の厳しさや、

実社会では何の役にも立たない将棋の特殊性がこの物語を盛り上げているのは間違いない。

しかし、同時に本書の問いかけが胸に突き刺さる。


僕らにはその将棋に代わる何かが果たしてあるのだろうか?

「ただ、君を愛してる」 ~天国の森で君を想う~(仮)

映画終盤にはすすり泣く声があちこちから聞こえてきた。

純愛+突然の別れ+死とくれば、若い女の子の涙腺を緩ますには十分だ。

恋愛すると死んでしまう病気という思いつきだけで話を膨らましたという感じだ。

たいした話でもなく細かい点も気になったが、それでも印象の悪い映画ではなかったのは、

宮﨑あおいの存在が全てを帳消しにしているからである。

宮﨑あおいにしかあの役は出来なかったのではないだろうか。

たまにはこんな映画もいいのではないでしょうか。



悪夢のサイクル ネオリベラリズム循環 / 内橋克人/著


いま日本で、世界で何がおこっているのか?

それを解き明かしてくれるのが本書だ。

仕事柄よく地方に行くことがあるが、その県の第二第三の都市であっても

駅に降り立つと愕然とすることがよくある。まさにゴーストタウンなのである。

あれこそが市場原理主義の成れの果てだ。

減税で大儲けする企業が存在する一方で、

生活保護費を減らされて文字通り死ぬような思いをしている人々がいる。

これが所謂努力した人が報われる社会なのか?

人間が市場に支配されるようになり、

人はいかに金を集めるかだけを考えるようになってしまった。

本書の指摘のように市場経済を否定するのではなく、

市場を人間の手に取り戻さなければならない。

そのためには教育が重要になってくる。

しかし、その教育においても市場原理主義者の側に先手を打たれている。

一読して背筋が寒くなった箇所があったので長いが引用したいと思う。

ちなみにこれはイラク戦争の際に実際に行われたことだという。


まずウム・カスルの町で一番恵まれた階級を見つけ出す。(中略)

そういう人々に米軍が持っていた飲料水を与えて、それでどうしたかと言えば

「これを今水に困っている、喉が渇いている住民たちに売りなさい。

お金をとって売りなさい」と言った。

イスラムの教理から見れば、それはまさに戒律に反している行為です。(中略)

戒律には反しているけれどもお金は儲かる。


内橋氏は最後の章に希望的見通しも書いてはいるが、

人間の心の荒廃はもう行き着くところまで行ってしまっているのではないか。

いかにすれば若い世代の目を開かすことが出来るのか?

拉致問題で歪む日本の民主主義 石を投げるなら私に投げよ / 高嶋伸欣/著
森達也氏と森田実氏が本書を推薦していた。

サブタイトルが「石を投げるなら私になげよ」だったので、

どれだけ過激な内容かと思ったが、予想の範囲内だった。

拉致問題に関する新聞・テレビ報道を丹念に拾い冷静に検証している点は価値がある。

石を投げられる程とは思わないが、ある意味タブーに切り込むんでいるのは、

家族会並びに救う会を批判している部分であろう。

高嶋氏が指摘するように北朝鮮にだったら何を言ってもよいという空気がこの国に充満し、

異常な偏向報道が続いているのは紛れも無い事実であり、

その当たり前のことを誰も指摘さえ出来なくなっていた。

安部政権の誕生、核実験などによりその傾向はますます強まっている。

そのどさくさに紛れて重要ポストにいる閣僚や、

党の三役の人間が核武装発言を繰り返し訂正も撤回もしない。

一昔前なら間違いなく辞任に追い込まれていたはずだが、今はマスコミもたいして問題にしない。

我々国民は完全に舐められ見下されている。

本書を読み、昨今の情勢と重ね合わせていくなかで私が感じるのは、

もはや修復不能なところまで進んだ自己中心主義だ。

拉致問題へのマスコミの報道姿勢ならびに市民の受け止め方が非常に刹那的になっている。

大半の人が、極端の言い方をすれば拉致被害者のことですら何とも思っていない。

気の毒だとは思っても、それは強いて感想を求められた場合のことであり、

親身になって考えることなどないのではないか。それぞれが自らの思惑の中で利用しているにすぎない。

それを象徴するのが、小泉首相が2度目の訪朝により5人の家族だけを連れて帰って来て、

他の家族会のメンバーが抗議したことに対して、誹謗中傷が殺到したという事実だ。

映像を通して見るその姿が何となく不遜に見えて気に食わないぐらいの理由だろう。

大半の人は心を痛めて経過を見守っていたというよりは、

センセーショナルで何となく面白いくらいの関心しかなかったのだろう。

国民の心が荒廃している。大袈裟ではなく、

世の中の基準が自分にとって得か損かに収斂されてきてしまっている。

無名 / 沢木耕太郎/[著]


脳の出血のために入院し、その後肺炎を併発した年老いた父親を母や二人の姉とともに看病を続ける著者。

そのなかで父が少し前から俳句を再開していたことを知る。

著者は父親の句を集めて句集を作ろうと考え、父親の死後それを完成させる。

それはまるで父の骨を拾い直す行為だったという。

本の内容をまとめてみると何だか陳腐な物語のような気がするが、

実際は非常に感動させられる好感の持てる内容だった。

それは沢木氏の父親への尊敬と愛情が作品の根底に感じられるからだ。

加藤氏は解説で反抗の不可能性について述べているが、そういった難しいことはよくわからない。

そもそも父子関係には必ず反抗と和解というプロセスが必要なのだろうか。

もちろん沢木氏の父への感情は単なる尊敬だけではないことは作中で自身が述べているのだが・・・。

無名といタイトルは一見すると冷たい印象があるが、

そこには無名であることを積極的に受け入れる父の姿勢があり誇りすら感じられる。

松坂世代 マツザカ・ジェネレーション / 矢崎良一/著

来年の春にはアメリカのマウンドに立つ松坂の姿が見られそうだ。

これは挑戦や夢といった類のものではなく、定めや義務のようなものだった気がしてならない。

あの夏から常に同世代の先頭を走り続けているのが松坂大輔なのである。

そして本書はそんな松坂大輔をとりまく同世代の若者達の偽らざる物語だ。

寝食をともにした者もいれば、ただほんの一瞬すれ違っただけのような関係のものもいる。

そしてその全ての者達に多かれ少なかれ影響を与えたのが松坂なのである。

しかし、松坂一人では物語は作れない。松坂のまわりにこそ物語はある。

松坂の苦悩は我々は理解できないが、松坂と関わったが故の挫折感なら理解できる。

80年に生まれ、甲子園を目指した全員が、このレースの参加者であると本書は結ぶ。

しかし、あの夏たしかにテレビの前にもたくさんの松坂世代がいた。

松坂のピッチングに心を揺さぶられたたくさんの松坂世代が

18歳の夏から松坂のようになれないという数え切れない挫折を積み重ねたはずだ。

ここにもそんな松坂世代が一人いる。

申し訳ないけれど彼にはこれからも止まることなく走り続けて欲しいと思う。

これからも僕らテレビの前の松坂世代が彼と比べればちっぽけなフィールドであっても

上を目指し続けることができるように。

「小沢一郎」入門 カリスマの原点-小沢一郎は何を考えているのか / 森田実/著


まだ評価の定まっていない人物を絶賛するのは評論を生業にする人々にとってはリスクがあるはずだ。

誰をどう評価したかに彼らの存在のすべてがかかっているのだから。

提灯持ちをするか、批判しておくのが安全だ。その意味では森田氏の仕事には敬意を表したい。

小沢政権を待ち望んでいる私としては是非皆に読んでほしい内容だった。

本当の小沢一郎がどんな人間なのか、それは今後否応なく明らかになるであろう。

もし彼が森田氏が書くような人物なら、そして私が思うような人物ならきっとその想いは有権者にも届くはずだ。

久しぶりに映画館で映画を見た。どうしてもこれが見たいというものがなかったので、

話題作の本作を見ることにした。

見終わってみて、主人公の少年のふと見せる目つきや、

クモというキャラなど、不快感すら覚える絵が目に付いた。

テーマも使い古されたもので、思春期の少年なら誰でも抱くであろう悩みに長時間つきあわされた気分だ。

父殺しに何の必然性も感じられないのも問題だ。

他の人がアニメ映画に何を求めているのかわからないが、

私が求めるのはロマンや夢、または我々の想像力を軽々と超えてしまうようなものだ。

少なくとも、これまでのジブリ作品にはそれがあった。

私はまだアニメは子どものものだと思っている。

だから、子どもの心を揺さぶらない作品は世に出すべきではないと思う。

例えそこに問いたいテーマが込められているのだとしても。

ミュンヘン スペシャル・エディション

見てみて公開前はかなり話題になったのに公開後はすぐに下火になったのがわかるような気がした。

軸足をどこに置いているのかわかりにくく、ただただ長く感じた。

たぶんスピルバーグが描きたかったのはイスラエルへの共感と

それでも拭い去れない暴力には暴力という解決方法への疑念だと思う。

しかしイスラエルへの遠慮が作品の力を弱めている。

シンドラーのリストは描きやすいテーマだったが、ミュンヘンのテーマはそうはいかないというのはわかる。

しかし、敢えて題材として取り上げたならもっと踏み込むべきだったと思う。

例えば報復する側(イスラエル)の葛藤。本来はあんなもんじゃないはずだ。

後半とってつけたような苦悩を見せられても心は揺さぶられない。

難しいのは最初からわかっていたわけで、

スピルバーグは何のためにこのテーマを選んだのかと首を捻らざるえない。