管仲〈上〉 管仲〈下〉








吉川英治によって日本人の宮本武蔵像が決まったように、

また司馬遼太郎によって坂本竜馬像が決まったように、

歴史小説によって人物のイメージが決まることは多い。

しかし、残念ながら宮城谷氏にはそこまでの仕事はない。

一つは中国の人物を扱っているからだろう。

しかし、それだけではなく、一人の人物を長く追いかけすぎだからだと思う。

10年、20年がたいしたエピソードも無く過ぎてしまうことがよくある。

もっと濃密でいいんじゃないか、その人物のほんの一部でもいんじゃないか。

個人的には宮城谷氏の書く人物は好きなだけに、

後世の日本人のその人の人物像を左右するような作品を残して欲しい。

今作「管仲」においては管仲よりも鮑叔のほうが魅力的に感じた。

管仲よりも鮑叔のほうが国家のため民のために何をすべきかということを心得、

攻める時は攻める強い意志と、退く時は退く謙虚さを持ち合わせ、

しかも情にあつい素晴らしい人物だと思う。

アフターダーク / 村上春樹/[著]


世界中の人々が彼の新作を心待ちにし、文芸評論家と名のつく多くの人々が彼のメッセージを読み解こうと

てぐすね引いて待っている、間違いなく日本の現代文学の最高峰である村上春樹氏。

私自身も、まさに今書かれなければならないというテーマを持ってくる感性、

アンダーグラウンドを始めとする丁寧でいて鋭い仕事ぶりなど感心させられることが多い。

ただしかし肝心の作品がどうもなじめないのである。

その最大の理由は登場人物の会話にリアリティが感じられないからだ。

例えば、村上作品を好きな人なら一読しただけで彼の作品だと分かってしまうであろう次のセリフ


「どれだけかりかりにって念を押しても、トーストが注文通りに焼かれてきたためしがないんだ。

(中略)トーストひとつ注文通り焼けない文明にどんな価値があるんだろう?」


深夜のファミレスで面識がある程度の女の子にトーストの焼き具合から

文明批判を展開した若い男がかつていただろうか?

断定はできないがたぶん一人もいなかっただろうというのが私の考えだ。

しかし村上氏の作品の中にはこういう人物がたくさん出てくる。

フィクションだからリアリティは必ずしも必要ないと言われればその通りだが、

私はこれまで例え一瞬でも作中の登場人物と心を通わせたことがない。

だから拒絶することも共感することもできない。

だからいつまでたっても彼の作品世界に入り込めないでいる。


虚像に囚われた政治家 小沢一郎の真実 / 平野 貞夫 著

小沢一郎氏の応援本である。本書を読んでいると平野氏はよほど小沢氏に信頼されていたのだなと感じる。良くも悪くも小沢氏は頑固で一徹なのだろうなと思う。政治とは妥協の産物であり、ある種なあなあで成り立っているものだろう。他者から見ると小沢氏の真面目さが疎ましく思えるのだろう。なるほど小沢氏をよく言い表しているなあという一文があったので書き記しておきたい。渡辺美智雄氏が小沢氏に贈った言葉だ。「小沢一郎は、自分を棄て、国家国民のたまに尽くそうという純粋で立派な政治家だ。しかし、政治には相手がある。他人は自分ではない。急ぎすぎるな」

小沢主義(イズム) 志を持て、日本人 / 小沢一郎/著

大型書店を何件か見てまわったがなかなか置いてなかった。売れているのか刷部数が少なかったのかどちらなんだろうか。政策を書いた本かと思ったら、理念というか基本的な考え方を述べた緩い本だった。小沢一郎のことを知りたかったら「剛腕維新」 を読んだ方がいいだろう。あえてまとめるなら、責任を持つことの重要性について述べられた本だ。そして政治家はもちろんのこと私たち国民一人一人にも責任があるという。まったくその通りだと思う。なし崩し的に責任逃れをする人がいかに多いことか。小沢一郎の責任の取り方に期待したい。具体的な政策は次の著作を待ちたいと思う。


テレビ、新聞は相変わらず安倍べったりで辟易する。別に親安倍のメディアがあってもいいが大手メディアがこぞって安倍の提灯持ちではたまったものではない。メディアは営利企業だから世論の動向に左右される?世論が先かマスメディアが先か、よく議論されることだが、少なくとも世論が1か0かの一方に偏っているとは思えない。間違いなく多様な意見は存在する。にもかかわらず大手マスメディアを見ていると皆が安倍さんを支持しているかのような気になってしまう。そんなことはないだろう。テレビの視聴率なんてせいぜい20%だろう。だからこそ雑誌メディアが重要になってくる。立花隆が云々ではなく月刊現代が反安倍を打ち出したことに意味がある。これが単月だけのことなのか、雑誌の編集方針なのかはわからないが、反安倍の媒体を増やすことに意味がある。別な意見を持つ人が意見を述べる場を確保し、増やしていくことが今求められている。

戦争の克服 / 阿部浩己/著 鵜飼哲/著 森巣博/著


新書にしては、骨太で読みごたえがあった。戦争についての実に興味深い対談である。繰り返し出てくるエピソードの一つにイラク人質事件がある。突然に吹き荒れた自己責任論の異常さ。いまだにきちんとした検証もなされていないわけだが、あれはいったいなんだったのかと改めて考えさせられた。日本人の特殊性だとお茶を濁してしまっていいとは思わない。題名の通り本書は戦争は克服できるとの考えで綴られている。なぜなら人間は歴史のなかで戦争ができない、武力を持つこと自体が違法であるというルールを自分たちの手で作りあげているからだという。しかし現実は戦争はなくならないし、より凶悪な兵器が次々に開発されている。結局のところ今できることはルール違反を地道に告発していくこと、世界中で志を持った人々が緩やかに連帯していくしかないのだという。しかし、そんな悠長なことで大丈夫なのだろうか。事態はもっと切迫している。奇しくも同時期に読んでいた月刊現代のなかで辺見氏が以下のように述べている。「もうサロンでワインを飲みながら護憲を語り合うような優雅で無責任な時代は終わりました。正念場がいまきています。憲法をめぐるど突き合いがすでに始まりました。」私も今がまさに正念場だと思う。国内も世界も・・・・


奪われる日本

前作 と比べるとインパクトは弱かった。なんだかご本人が注目されていることを認識しすぎているきらいがあった。今回わかったのは一応日本からも要望を出しているらしいということだ。しかしアメリカからは当然ながら全く無視されている。にもかかわらずなぜ日本は懸命にアメリカの要望を実現しようとしているのだろうか。何か弱みでも握られているのだろうかと思いたくなる。ひとつ思い当たるのは安全保障関連だろうか。確かにアメリカがいなかったら中国やアメリカに侵略されていただろうと真顔でいう識者もいる。だから9条をかえて軍隊をもつのだそうだ。軍隊を持ったらアメリカの言いなりにならなくて済むのかと言えばたぶんそんなことはないのだろう。日本が昔から持っていた良い制度が崩壊していくのを目の当たりにするのは辛い。



アエラ8月28日号を今更読む。たいして読むところもなかったが、「ヒデ世代の憂鬱と焦り」という記事が目にとまる。くしくも会社の29の先輩が今月末で退職するからかもしれない。やめる理由を色々と聞かせられたが結局は何だったのかよくわからない。記事のなかだと人事異動の発表の日に辞めたという広告会社勤務と似ている。とはいえ上司に「あいつはまだ子供」と切って捨てられようではなんとも悲ししい。ここに書かれているような現在の自分に対する不満や焦りの気持ちは同世代としてよくわかる。それは自分に対する期待と現実のギャップなんだと思う。自分の限界がちらついてくるのがこの年代なんだと思う。別にこれは現代特有の心理だとは思わない。悠久の昔から延々とと繰り返されてきたに違いない。違うのは今は悩んだまま何もしなくてもとりあえずは食うには困らないという点だ。これからこの悩み多き世代が親世代の死に直面していった時どうなるのかは非常に興味深い。私は自分探しという言葉が嫌いだ。自分とは探すものなのだろうか。ましてや一人旅をすれば見つかるものなのだろうか。結局は覚悟の問題なのだと思う。自分探しという言い訳はもう十分だ。路上で歌おうが芝居をしようが小説を書こうがサラリーマンをしようがどの仕事がどの仕事より優れているなんてことはない。要は10年後もそれを続けていられるかということだ。続けることは何よりも素晴らしい。今の自分への言い訳にあるかどうかわからない未来の夢を語るのはやめようではないか。

経済学は誰のためにあるのか 市場原理至上主義批判 / 内橋克人/編

名著である。一人でも多くの人がこの本を読んでくれることを望む。この本の発刊は97年だが、ここに登場する問題は2006年の現在より顕著な形で現れている。格差社会は小泉政権によって強力に推し進められたが、その流れはそれ以前から出来上がっていたことが分かる。官から民への民とは市民の民ではなく民営大企業の民であるということを改めて認識した。市場原理主義が引き起こす強者が弱者を徹底的に駆逐する所謂「格差社会」。この生きにくい社会を何とかしたいという思いは多くの人が持っているはずだ。しかし、聞こえてくるのは文学的なアプローチからのものばかりだ。文学の世界からの声は私の心には響く。しかし、これではこの国の仕組みを牛耳る大企業は動かすことは出来ない。やはり経済学からのアプローチが必要なのではないかと常々感じていた。その期待に答えてくれたのがこの本だ。私は大学時代、環境経済学を専攻していた。この学問の使命は環境を守ることが経済的にも利益を生み出していくことを学問的に証明していくことだ(私の解釈だが)。この分野ではフィールドワークが大変重要視されている。現実の状況を無視して経済など成り立たないのではないだろうか。自由競争至上主義者は共通のルールのもとで競争して勝ち負けがつくのは当然であり、効率を追求する中で、カットされる部分が出るのは当然の流れだという。しかし、同じ言葉を今まさに苦しみの只中にいる弱者の前で言えるのだろうか。しかし、こういった感情からの批判だけでは世の中は変らない。本書にもあるとおり、規制すること、守ることも場合によっては有益であるということを経済学の立場から明らかにしていくことが重要である。感情論ではなく論理的思考によって「格差社会」を克服していく必要がある。私も、自分のかじった学問を少しずつでも前に進めることができるよう努力したいと思う。


剛腕維新 / 小沢一郎/著

小沢一郎氏が一貫して主張し続けているのは、この国のモラルの再構築と政治家たるものは命がけで国民の安心・安全のために信念を貫くことだ。この考え方には全面的に賛同するが、政権交代が実現すれば、全てが解決するかのような論理には飛躍も感じてしまう。しかし、それでも安倍政権よりも小沢政権が見たい。日本の再生をかけてみたいような気がする。