麻原彰晃の誕生 / 高山文彦/著

オウムと聞くといつも思い出すエピソードがある。

善悪の彼岸へ(宮内勝典:著)に紹介されていたものだ。


「君は、なぜオウムに入信したんだ?」

(中略)

「見てくださいよ、この日本を」

と、低く吐き捨てるように言った。

それから顎を上げて、地上をざっとへいげんするように、問い返してきた。

「この日本に、何がありますか?」

「・・・・・・・・・・」

とっさに答えようがなくて黙っていると、

「金と、セックスと食い物だけじゃないですか」

青年は軽蔑を隠さなかった。

「・・・・・・・・・・」私はうなずいた。

出典「善悪の彼岸へ」 宮内勝典:著


このエピソードは若いオウム信者の潔癖さ、純粋さをよく表している。

しかし皮肉なことに、彼らが現実世界を捨て、救いを求めた麻原自身が、

まさにこの3つのキーワードで言い尽くせてしまうのである。

麻原の死刑が確定した時、多くの識者が麻原が何も語らぬまま幕引きされることを問題視していたが、

麻原が高山氏が描き出したような人間だとしたら、いくら待っても何も出てこないだろう。

彼には崇高な理想などありはしなかった。あったのは借り物の思想ばかりなのだから。

高山氏が指摘するとおり、彼は終始一貫他人を信じるということがなかった。

そこには子どもの頃、まるで捨てられるようにして盲学校に預けられたことが起因しているのかもしれない。

かれは自分の思い通りになる自分のためだけの国が欲しかったのかもしれない。

そう考えると通常では考えられないような国家への敵意も理解できなくはない。

麻原の狂気の分析をしてもたいして意味がないと思う。

本書の指摘どおり麻原の思考は思いのほか単純なのである。

第二第三のオウム事件を起こさないためには、なぜナイーブな若者が麻原に吸い寄せられ、

そのいんちきさ加減に気づかなかったのか?この問いへの答えを明らかにしなければならない。

そういう意味では、本書の指摘どおり我々が当事者なのである。



BRUTUS (ブルータス) 2007年 6/15号 [雑誌]

いよいよ明日(6月2日)松本人志第一回監督作品「大日本人」が公開初日を迎えるわけだが、

あらすじやTVで取り上げられる部分的な内容を見る限り、面白くないだろうなと思う。

もちろんまだ作品を見てもいない人間の勝手な憶測にすぎないわけだが。

松本はよく天才と称され、自身もそう言って憚らない。

それはネタとしてではなく、本気で言っているのだと思う。

彼を動かす原動力こそがこの自分が天才であるという想いのような気がする。

昔、彼は自分の笑いが分からないのは客が馬鹿だから言っていた。

それは若さゆえの強がりかと思っていたのだが、

先日のドキュメンタリータッチの番組でも、40すぎて同じようなことを言っていたので驚いた。

そういう考えの人間は他人の評価を気にしないような気がするのだが、

彼は人一倍他人の評価を気にする。どうやら二つの感情は矛盾しないらしい。

彼が天才かどうかはわからないが、プロッフェッショナルであることは間違いない。

彼は考えに考え抜いて一つの笑いを生み出そうとしているのだから。

最近のバラエティがつまらないと感じるのは、笑いの対象が、

芸人が全てお膳立てしてもらった箱庭みたいなところで起こす突発的なハプニングばかりになってしまっているからだ。

彼らはたぶん何も考えちゃいないんだろうなと思う。せいぜい子どもが覚えやすいフレーズを考えるくらいであろう。

松本人志は考えている。彼の笑いはたぶん全ての笑いについてその意図を説明できる類の笑いだと思う。

それが面白いのかどうかは別問題なのだが。

007 カジノ・ロワイヤル デラックス・コレクターズ・エディション (初回生産限定版)(2枚組)

久しぶりに007シリーズを見たのだが、あれ、こんな感じだったけ?というのが最初の感想だった。

もちろん十分格好良いのだが、ボンドはもっと完璧で冷静なイメージがあったからだと思う。

しかしどうやら若き日のボンドという設定らしいので、未完成の部分があってもいいのかもしれない。

哀愁もありなかなか面白かったが、ポーカーのルールや文化がよく分からないので、

たかがテーブルゲームに1億ドル以上の金が動くという設定にどうものめり込めなかった。



バベル

製作者側が何かを伝えたいというその意欲は伝わってきたのだが、

少なくとも私にはそれが何なのか最後まで分からなかった。

様々な伏線があり意味深なのだが、結局消化不良になってしまっている。

見ていて気分が悪くなる人がいたそうだが、私も見終わって何だか疲れてしまった。

カメラワークのせいなのか、それとも内容のせいなのか・・・・・・。

日本人は菊池凛子がアカデミー助演女優賞にノミネートされたと大騒ぎしていたが、

映画の中での日本の扱いを見ている限り、喜んでいる場合ではないような気がした。

TVCMひとつにしても確かにあのCMが流れているのは事実だが、全てがあんな内容ではないはずだ。

しかし、二つ立て続けに流されると一から十まで、そうなのではないかと思えてしまう。

仮に一つ一つが事実であったとしてもあんなに恣意的な繫ぎ方をされると、まるで似て非なるものになってしまう。

私はあれを見た外国人に日本が欲望剥き出しのどうしようもない国だと思われるのは我慢ならない。

また、菊池凛子がはたして脱ぐ必要があったのかも疑問だ。

評判になったのがヌードも厭わない思い切りだけだったとしたら悲しい。

結局異国の文化風習を机上のストーリの都合で恣意的にねじまげたという意味で、

皮肉にも言葉(文化)が依然としてわかれたままで、互いに理解し得ないことを示しているようだ。


硫黄島からの手紙 <期間限定出荷>

何だかパッとしないというのが率直な感想だ。

そもそもテーマがはっきりしない。

いまさら日本人もアメリカ人も同じ人間だとでも言いたいのだろうか?

2部作だから父親たちの星条旗も見ないとテーマが理解できないのだろうか。

(ただ、あらすじを見る限り父親たちの星条旗の方が面白そうだったが。)

史実には比較的忠実であったと思うが、ユーモラスでもなければとてつもなく悲惨でもない。

上品な映画なのである。それはたぶん監督がアメリカ人のイーストウッドだったからだろう。

魔女の1ダース 正義と常識に冷や水を浴びせる13章 / 米原万里/著

所変れば常識変る。

この本を読んでいると世の中に当たり前なんて事はないのだと思えてくる。

そうすると何が正しいかなんて一概には言えない。

こうあらねばならないなんて意地になって肩肘張って生きていくなんて馬鹿らしいし、

そもそももったいないそう思わずにはいられない一冊。

孤高のメス 外科医当麻鉄彦 第1巻 / 大鐘稔彦/[著]

本書は新聞広告で見て興味を持ち購入した。

読んでいて確かに面白いのだが、

何だが「Dr.コトー」や「医龍」といったマンガを読んでいるかのような感覚に陥った。

やはりというか後書を読むと、もともとはマンガ原作としてスタートしたらしい。

ストーリーを追っていくという意味では面白いのだが、

医者を志した動機や、何組かの男女間の描写など、

何ともあっさりというか、物足りない感じだった。

6巻もあったがたいして時間もかからずに読み終えてしまった。

やはり私は小説にもっとどろどろとした読み応えのある心理描写を求めているのかもしれない。



聖の青春 / 大崎善生/[著]

ここには29年という短い生涯を将棋にかけた壮絶なまでの生き様がある。

命がけとはまさに彼のような生き方のことをいうのかもしれない。

読んでいてもっと穏やかな健康に留意した生活をすれば、

もう少し長く生きられたのではないかと思ったりもしたが、

勝手な憶測で恐縮ながらそれでは彼の心が満たされることはなかったのではないだろうか。

自分たちのせいで息子が病気になり、不自由をさせてしまったという罪の意識を持ち続けていた彼らにとって、

自分たちの知らない大阪での生活で、彼が友達とお酒を飲んだり、

マージャンをしたり、もしかしたら行為自体は病気を悪化させたのかもしれないけれども、

あとがきでも少し触れられていたが、この原稿を読んでご両親は本当に嬉しかったと思う。

病気に犯されたのは不幸に違いないが、将棋に出会って命を燃やし尽くせたことは、

他人が軽々しく述べるべきではないかもしれいしれないが幸せなことだったのではないか。

同じような趣旨でつくられたナイロビの蜂 よりは映画として面白かった。
作中でソロモン(アフリカ人の漁師)が疑問をていしていたように
何故アフリカ人が同じアフリカ人を搾取し、
残虐に殺すことができるのだろうか。
もちろん先進国が紛争の原因をつくり、
現在においても長引かせていることは間違いないのだが。
また、胸がいたかったのが、
少年兵とはこのように作られているのだという実態を描いていた部分だ。
暴力を強制されることの恐ろしさを目の当たりにした気がする。
TIA(これがアフリカだ)という言葉が虚しく頭の中にこだました。
それでも彼らが我々にとって他人事であり続けるのは、
地理的に遠いからだろうか?
はたまた我々が無知だからだろか?
いや多分、我々が無関心で想像力に乏しいからだろう。

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 / 米原万里/著

本書は、著者のプラハ・ソビエト学校での3人の友人との思い出を中心とした回想と、

30年後にそれぞれの友人を訪ねる部分によって構成されている。

面白い。それは多分、民族や国家や主義といった複雑な背景が、

あくまで個人の問題として表れているからなのかもしれない。

しかも、それを単に深刻に書くのではなく、

ユーモアたっぷりに書いているところがよい。

これはやはり米原氏がソビエト学校で異文化の中で

多感な子ども時代をすごしたことに起因しているのだろう。

異文化理解とか異文化コミュニケーションとかいう言葉を聞くと胸がざわつく。

それは学生時代に自分があまりにも軽々しく

この言葉を口にしていたからかもしれない。

しかし、異なるものを理解することしか平和を実現する方法はないというのは

今でも間違っていないと思っている。

最近やたらと愛国心という言葉を耳にする。偉い人が国を愛せとうるさいのだ。

確かに、この本の中でもそれぞれの国の子供たちは自分の国に誇りを持っている。

しかし、それは他国をないがしろにすることとは違う。

他国のことも知っているからこそ、自分の国の良さもわかるのである。

そして他国のことも知っているからこそ時に自国への想いが失望に変ることもある。

それでも気になって仕方がないのが国というものなのかもしれない。

狭い視野で叫ぶ国への愛は、国にとっても迷惑なんじゃないだろうか。


居間の大きなガラス戸を押して、外に出た。

すでに暗く、空には星一つ瞬いていない。

そのかわり、眼下に広がる町の街灯、家々の明かりが、陽気に輝いていた。

バルコニーはかなり広い。

その左半分を、直径が私の背丈の一倍半はある巨大なアンテナが占領していた。

アンテナの凹部は、ギリシャの空の方に向かっていた。

リッツァがあこがれ続けたギリシャの空の方角に。