父が旅立った日 | 動物とお話しする風水密教カウンセラー

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あなたの心に刺さったとげを抜きたい。
あなたも動物も幸せに。

それは、9月9日の午後6時過ぎ。

ちょうど満月前日の大潮の引き潮の時だった。

 

そして、どうしても参加したいと思っていたセミナーの前日だった。

 

8月末あたりから、父の具合が悪くなっていた。

 

私は、このセミナーには参加したいの。

だから、この日はやめてほしい。

けれど、この日がパパの天寿全うの日だというなら、それでもいいよ。

そんな風に祈っていた。

 

父はこの日を選んだようだ。

セミナーには出られなくなったけれど、全く後悔はなかった。

そう言ってきたし、セミナー自体は、動画を撮ってくれるので、後で見ることができるとわかっていたし…。

 

セミナーの日、夫と一緒に実家に行き、死に化粧が終わったばかりの父とあった。

痩せちゃったよねぇ・・・・

 

 

1年3か月弱の入院だった。

入院する前から、アルツハイマーではあったけど、

入院のきっかけは、転んだか、倒れたかで、頭を打って出血したから。

 

頭蓋内出血があったため、入院することになった。

最初は、点滴を抜こうとしたりして、それなりに元気だったけど、

徐々に意識が混濁した感じになり、脳内の血を抜く手術をした。

 

しかし、その後も退院できる状態にはならず、

医師からは「いつどうなってもおかしくない」と、何度となく言われた。

 

父は波があったりもしたけれど、状態は落ち着き、当初入院していた総合病院から、療養病院へ転院した。

 

父の入院は1年を超えた。

その間、コロナ蔓延で、週に一度の面会もできなくなったりするときもあった。

 

しかし、8月半ばを過ぎて、入院当初に見つかっていた肝細胞癌も進行していたり、

血管が出なくなって、点滴もできなくなってしまった。

 

そして、重陽の節句の日に、旅立っていった。

 

 

亡くなった日、私が変形性股関節症のためのリハビリに通うことにした当日だった。

リハビリに向かう直前に、母から電話があった。

病院から父の呼吸が早くなったので、来てほしいといわれたそうだ。

 

分かったと言って、電話を切り、リハビリに向かった。

その途中、アオスジアゲハが私の前を横切って行った。



父は大丈夫。そう思った。

 

リハビリ途中に母から電話が来ていた。

終わってから、電話をすると、面会は15分しかできないから、また帰宅したと。

 

リハビリから帰宅して、ベランダから外を見たら、またアゲハが飛んでいた。

父は大丈夫というサインだと思った。

 

そして、再び、母から電話。

やはり、父の呼吸がおかしいから来てほしいと…。

 

それでも、まだ大丈夫だと私は思っていた。

セミナーに行きたかったから、大丈夫だと思いたかったのかもしれない。

 

お風呂に入っている途中に(夫が早番の時の我が家のお風呂タイムは夕方)、

今度は弟から電話が来た。

きっと、母から電話がかかってきて…なんて話だろう。そんな風に思っていた。

お風呂から出たら、延命法をしようと思っていた。

 

お風呂から出て、弟に電話をすると「逝っちゃった」と。。。

「マジで?」と思わず聞き直してしまうくらいだった。

 

そのくらい父はあっさりと逝ってしまったのだった。

いつ呼吸が止まったのか、心臓が止まったのか、その場にいた母にもわからないくらい静かに…

 

私が見た2度のアゲハは、父だったのかもしれないなぁ。

 

まさに眠るように静かに逝ったんだね。

 

合掌。

 

 

追伸

 

父は、大腸がんの手術をしたり、心筋梗塞になったり・・・と大きな病気をしてきた。

心筋梗塞になったときは、前立腺肥大の手術をするために入院していて、

手術室に移動するちょっと前に、発作を起こしたのだった。

発作が起きたのが病院でなかったら、命をそこで落としていたかもしれなかった。

 

そういう意味で言うと、父は、とても守ってもらえて来たんではないだろうかと思う。