前回の続きです。
小学校6年の時の先生は、男性教師で、フレンドリーでした。
この先生との思い出はいくつかあります。
なぜ、私が出ることになったのか?は覚えていませんが、
夏に地区で行われる水泳大会に出るように言われ、
夏休みの間、毎日、小学校のプールに通ってました。
そして、25メートルのプールを何度も往復して泳いでいた気がします。
かなり本格的な練習で、ビート版を使って足だけで50本、
股に挟んで腕だけで50本とか泳いでいた気がします。
私は水泳教室というものには、行ったことがないので、
何の、どんなタイミングで泳げるようになったのかは
全くわからないのですが、特に苦も無くクロールで泳いでました。
100メートルも普通に泳げてました。
ああ、今でも泳げたらいいのに・・・
今は、25メートル泳いだだけでゼイゼイします。(^^;
50メートル泳ごうとすると、途中で溺れそうになります。(^^;
水泳大会での成績はよろしくなかったと思います。
飛び込みがへたくそで、お腹から飛び込んでました。(^^;
この時の水泳大会の話は、のちにも出てくるかもしれません。
といっても、水泳大会のことは、ほとんど記憶にありませんが。
水泳練習の後、担任の先生の家にみんなで遊びに行ったことも
ありました。
奥さんが、何か作ってくれた気がします。
こんなこともありました。
翌年から中学生になる私たちに、中学生活に少しでも
早く慣れるようにと、教科ごとで先生を変えるということをしました。
小学校の先生って、一人で全部教えるじゃないですか。
それを、国語を得意な先生が、国語を教えに来て、
算数が得意な先生が、それを教えに来て、
社会は担任の先生が教えて・・・と言う感じで、先生たちが
それぞれ得意な科目を教えに来るという形にしたのです。
小学生だったので、ちょっと新鮮で、ちょっと緊張したのを
覚えています。
あとは、日記。
作文用紙に日々の日記のようなものを書くのです。
そして、それを先生に読んでもらって、評価を受ける。
GOOD って書いてあったら、ヒトマス塗れる。
Very Good って書いてあったら、フタマス塗れる。
教室には、クラス全員の名前を書いた表が張ってありました。
私と仲が良かった友達は、よくベリーグッドをもらっていて、
私より何マスも多く塗ってました。
それが悔しかったです。
なぜ私は、ベリーグッドをもらえないのだ!と、訴えたことも
あるような気がします。(^^;
夏に、飼っていた犬が死んでしまった時に、
その思いを書いた日記は、ベリーグッドをもらいました。
あの時は、飼っていた犬が死んでしまった時は、
本当に悲しかったです。
死んだ姿は見せまいと、母とおじいちゃんで処分したと聞きました。
おじいちゃんがお墓に埋めに行ったらしいです。
話がそれましたが、悲しい気持ちをまっすぐに書けたのが
良かったのでしょうね。
たぶん、あの先生は、気持ちをうまく書けているかとかを
見ていたのかもしれません。
あの時、文章を書くという勉強をさせていただいたということを
今でも、ありがたく思っています。
小学校6年の時が楽しかったのか、
卒業式の時、馬鹿みたいに泣いていたのを覚えています。(^^;
ほぼみんな同じ中学に行くのにね。(笑)