意見の対立が聞こえてきて
ふと思う。
本当は
相手を非難したいわけでも
否定したいわけでもきっとなくて。
がここにもやっぱりあるんじゃないかと。
相手に対する攻撃とも取れる言葉のすべては
そんなふうに使いたかったんじゃなくて。
ほんとうは自分の中にある後悔とか罪悪感に向けられていたりもして。
かみさまがにんげんに与えてくれた「言葉」の使い途
本当はそうじゃないってどこかでわかっていながら
ひっこみつかなくなって
ほんとうのこころはくるしくなっていたりするのかも。
どこを探し回っても同じ(人もモノも状況も)なんてないはずってわかっているのに。
どっちがいいもわるいもないってわかっているなのに。
大切なことうっかりわすれて
誰かや何かや自分の言動に
モヤっとしたり、ザワッとしたり、いらっとしたり。
そんなときはもしかすると
自分の中でじぶんじしんとの対立がうまれているよの合図かも。
自分の中にある後悔や罪悪感の元になってるものを癒してあげるタイミングなのかも。
無意識に自分でじぶんにかけてた「くさり」のもとになる
常識という「枠」もはずしてながめてみると、みえてきたりする。
むずかしく考えずに
消しゴムで消すみたいに
垣根のついたてとっちゃうみたいに
境界線の多い世界からいったんぬけだしてみるだけできっともっとずっとあかるい世界広がっていく。
過去の記憶や経験からつくられた奥深くに埋もれてる「とらわれ」がないかなって
そのひとつひとつを「私」の中からそっと解放してあげることからも
やさしい世界にきっとつながる。
きょうもきのうより。
今がさっきより。
ほっとするひととき積み重なることで
みんなとみんなの大切なひとの周りからも
「大丈夫」のたねがどこまでもとんでいきますように。
きょうもあしたもみなさまにとっての一期一会が
すてきなものであふれますように![クローバー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/199.png)
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