ある人の「やらなかった後悔」にふれ、
じぶんのそれと重ねて、ふと思う。
わたしたちは善くもわるくもいつのまに
過去の経験や記憶や、世間の常識とやらからつくられた
ジブンの意識の奥に刻まれたトラワレによって
「こうでなければならない」の思考回路がデフォルト設定されてしまっている。
その影響で無自覚にも
望まないほうの人生わざわざえらんでそれた道すすんでたりする。
無意識の意識(自分の意識全体の95%をしめてるといわれる潜在意識)が制限かけて
自分自身に我慢させていたりする。
サイタもそう。多くのひともきっとそう。
無意識だからみつけづらくてやっかいだけど
他のだれでもない
じぶんでジブンの可能性摘み取ってることにきづかないまま
アレやソレやに勝手な解釈くっつけてみたり、境界線こしらえてみたりしながら
あきらめなくていいことまでもをあきらめすぎてやしないだろかね。
人は何か新しいことをしようとするとき
安全地帯まもるための防衛本能として変化させない方向に現状維持の自動制御機能がはたらくと聞いたことがある。
そーゆー仕組みがあるのなら
制限かけて自ら不自由な人生にしていたりしないだろかと定期的に意識して立ち止まってみる時間も必要なのかも。
一歩をふみだせないときは
わるぎなく引き留めてくれる防衛本能さんに
「心配してくれてありがとう。でも、行くね♪」って感謝してから進んでこう。
人生はきっと、思うよりもっとずっとあっというま。
あたまでばっかり考えてないで
まずはとにかく動いてみること忘れないでいたい。
こころがうごく方向へ一歩進んだその先で
なにが見えるかみにいきたい。
あきらめるなんて選択肢は存在してないことにして
無意識の制御機能さんをぎゃぶんといわすの目標にして
今日から今から
自分でじぶんに「大丈夫」を注入しまくるのだ
こわいときには想像してみる
世界中にある、ありとあらゆる「とらわれ」が全部ほどけたとき
どんな景色がみえるだろう。
きょうもあしたもみなさまにとっての一期一会が
すてきなものであふれますように