それ、避けてたら大事なもの見失わない? | はじめの3秒大事に生き抜く練習帳

はじめの3秒大事に生き抜く練習帳

雨の日にその向こう側で息抜きしてるお日様まねてどうにもならないむずかしい事ひとまず横に置いてみる。
あたまをいったん空っぽにしてきおわず焦らずはなうたまじりにピンとくる方選んで進むその先でありたい未来が笑顔で手招きしているよ♪

 

 

 

 

見ぬふりして、避けている限り

本当に大切なことを置き去りにしてしまう。

 

 

それは

とても悲しいことだと思うんです。

 

 

 


 

なにを??

うーん

 

 

避けていたら、もったいないものだよー。

ウインク

 

 

 

 

その前に、ちょこっと5行だけ

自分のことを失礼しますデレデレ

 

 

7年前、個人的な理由から関心が深まり、

3年前、あたま心からだのバランス調律を専門に終活サポートを始め

 

ほんの1㎜の違いでも、意識向けた分だけ

人生はどこまでも好転すること目の当たりにする日々。

 

 

世間でいわれる「終活」の言葉や目的に

あのころ持ち続けていた違和感の正体も

じぶんの中でだいぶ整理されてきて

 

「そこ」を避けずに正しく向き合うことで

「人生って、面白いことしか見当たらなくなるんだなぁ」を

最近ますます実感しながら終活セラピストしています、さいたです。

(5行じゃないじゃんシラー)

 

サイタエミの全貌ニヤリグラサン

 

 

 

 

 

 

本題。

 

日常で無意識にも避けがちなこと

もっと全力で信じてあげないのは勿体ないよガーン

 

 


ここまで読んで

なんとなく気になるうーんって人や

人生もっと楽しみたいラブひと

 

ほんのひと時お付き合いくださいませませメロンパン

 

 

 

 

 

早速ですが

ご質問ですニコニコ

 

 

「あんなこと言わなきゃよかったえーん

「こんなことやらなきゃよかったガーン

 

って思うこと、最近何かありましたか?

うーん

 

 

 

 

私はこれまでの人生でそう思うこと、

多すぎるくらいありました滝汗

 

 

 

ある時を境に

そのとらえ方は変わり。

 

 

 

 

「言わなきゃよかった。」

「やらなきゃよかった。」

 

で後悔することの、何がいけないの?グラサン

 

と思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

やらずに後悔するより

やって後悔しろ、って

 

尊敬するいろんな人に、若いころからずっと言われてきて

あたまではわかっているつもりでいた。

 

 

なのに、

 

やっぱりできないこととか

しない方がいいように思えることが、

 

少し前までものすごく多かった。

 

 

 

 

 

 

考えが大きく変わったきっかけは

大切なひととの死別でした。

 

 

 

 

わたしたちは死を避けることはできない。

誰もが例外なく、かならずその瞬間を迎える。

 

 

そんなことわかってるよ

って思うけど、

 

なのに、無意識にもそこを避けていたりする。

 

 

お別れを何度経験したとしても

まだ避けようとしたりする。

 

 

 

 

だったらそんなの

後悔するのあたりまえだよなと

 

最近つよく思うようになりました。


 

 

 

 

 

災害で突然にこの世をさった友との間では

 

 

特に理由なく、また今度ねって先延ばしにしてたあれこれを前に

「そのこと」について、これっぽっちも想像したことなんてなかった。

 

そして

「こうすればよかった」と後悔した。

 

 

 

 

 

ステージ4と知らされた家族との間では

 

 

余命を告げなかったこと

 

食べたがっていたものを何とかごまかして食べさせないようにしたこと

 

旅行の計画をうやむやにしたこと

 

この先何が起きるかの予測を言わずにいたこと

 

知りたがっていたドラマの続きを教えなかったこと

 

 

どれもこれもを前に、

「そのこと」が常に頭をよぎっていた。

 

 

なのに、結局

「なんでこうしなかったんだろう」で後悔した。

 

 

 

どのときも私自身の中で

「そのこと」→「死を遠ざけようとする意識」に無意識に変換されていたことが

 

「しない」「いわない」決断につながっていたのだと今になり思うんです。


 

 

 

私たちは

この先で例外なく、死の瞬間を迎える。

 

それが、いつなのか、

災害でなのか、事故でなのか、ほかのことでなのかは誰にもわからない。

 

なのに、

その先の予測がつくような病を前にしても、受け入れることができないでいる。

 

どうにかこうにか、ひっしに避けようとしている。

 

 

 

 


後悔をぜんぶ避けきることは難しいだろうけど

 

 

「やるだけはやった。」

という出し切ったという感覚が

 

 

「なんでしなかった(言わなかった)んだろう・・」

の想いよりも少しでも上回れば

 

 

その先で笑顔につながるものがかならず増えると感じるし

 

 

 

 

 

 

 

やって

言って

後悔するのは

 

取り返しがつく「生きている」状態の中でだからこそなのでは?

 

と今は思ったりもする。

 

 

 

どうおもわれてるんだろう、とか

嫌われたかな、とか

 

自分を守るそんなどうでもいい感情が邪魔をして

 

あんなことしなければよかった。

言わなければよかった。

 

が後悔につながるのかな。

 

 

 

生きてるうちは、そうかもしれない。

でもさいごはたぶん逆になる。

 

 

 

 

明らかに

相手を傷つけるようなことでないのなら

 

 

言ってみて

やってみて

 

後悔するならすればいい。

今は確信に近いところでそう思っている。

 

 

 

 

 

不謹慎といわれても

書いちゃうけどさ

 

 

目の前に見えている、聞こえてくる、

言葉やルールや、それを取り扱うモノや人やことを

 

「あたりまえ」にしすぎていないかな?

 

 

そのままでやり過ごすことに、問題はないのかな?

 

 

 

 

今、社会全体で起きている混乱も

 

ひとつのことを恐れすぎるあまりに

本当に大切なことを置いてきぼりにしてしまってはいないかな?

 

 

もちろん、必要最低限のルールを社会の中で守るのは前提として

 

 

「信じるために」「よくするために」

時に疑ったり、別の角度から眺めてみたり、

そしてまた信頼してみたり

 

 

そんなふうにあらゆる「基準」を

「自分の目」でじっくりみつめなおしてみる機会を設けてみると

 

 

死への向き合い方も、

最高の人生に好転させるチャンスへと変えられるんじゃない?うーん

 

って思ったりする。

 

 

 

避けていてはもったいなすぎること。

きっとまだまだたくさんある。

 

 

 

 

あなたももしよかったら

大切なひとと大好きなお茶でものみながら

 

「人生もっと面白がるための終活」の時間、

今日からちょっとずつでも作ってみませんか♪

 

 

難しいことなんてひつようなくて。

 

今ある想い、

思うままの気持ちをノートに書き出すところから

よかったらむきあってみてくださいね。

 

 

 

気づいたときにすぐ試してみるその一歩が、

 

「自分にとって」も「誰かにとって」も

もっともっと生きやすい、笑顔あふれる社会につながると、私は信じています。

 

 

 

******

 

今日の一福。

 

「だからとにかく、今日をめいっぱい味わい尽くす。

 

 

そこに意識向けてみるだけできっと

 

自分にも周りにも

面白いこと起きはじめるすてきな明日なるでしょう

 

というサイタ予報でています。

 

 

 

きょうもあしたもあさっても

みんなで奇跡おこしちゃお虹

 

 

 

 

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*ざわざわする日々にちょっと疲れ気味。。

*いざに負けない心のしたくって、自分の場合はなにすればいい?

*離れて暮らす高齢家族の様子が気がかり・・

*人生もっと楽しむための、「あたま心からだのバランス調整」って具体的に何するの?

*終活って、何からどこから取り組めばいいの?

*終活って聞くと違和感や嫌悪感みたいなものが出てくることがある

 

 

そんなかたへ。


「”本当のじぶん”を客観的にみつめなおして→いったん整理して→自分と大切な人がもっと心地よく生きる土台をつくる」

そのためのヒント得られる診断テストとか

ブログにかききれないこととか

 

ここから定期配信してるのでのぞいてみてね~手紙

下差し

 

 

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