長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました -2ページ目

長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

自閉症の長男との暮らし、その思いや日常の出来事を日記として書いてます。

 先月末から入院、重症患者ということで病室は集中治療室で隔離状態でしたが、今週に入って一般病棟に移りスマホも使えるようになりました。でも、家族との面会も許可されない状況なのでブログはもう少し休みます。24時間監視され、制約も多く不自由ですが入院しても痛みなしで辛いことがないのが幸いです。

 

 

 追記:血圧の下の値が35前後が、50前後に改善。それでも睡魔との戦いが・・・

   応援のメッセージ、有難うございます。

 

 

 

 

 

  数年前から手掛けていた主力の土木仕事が先月で完了、鉄板、レンタル資材などの引上げが完了した。これで私の一人親方も卒業か、と思うと少し感傷的になった。

 

 それに関した請求書が届き内容を確認をすると、資材などのレンタル料は据え置きだが、請求で比率の大きいトラック運送費が数年前と比べ大幅な値上げで逆ザヤ、赤字になって青ざめた。

 

 私は即座に異議申し立てをすると、清算完了の請求書発行後の値引きは難しく、特に運送は外注で人件費同様なので値引きは不可能とのこと。やっぱり・・・だよね・・・

 

 当方の経理さんが退職したあと、私の経理はどんぶり勘定で、そんな私の見通しの甘さが原因だ。今まで仕事でお世話になったことを考え、最後は気持ちよく終わろうと請求を受け入れた。私は異議申し立てが申し訳なく思い、その気持ちで期日の月末ではなく、その前にと、支払の125万円の現金をかき集めた。

 

 支払いを済ませたが達成感がなく空しい気持ちになった。わずかでも、まだ土木仕事は残っているが廃業の日が近づいてきた実感と孤独感のせい・・かな。震災、津波で相談相手や身近な人を失ったりで、孤独には慣れていたのに、いざとなると弱いね。

 

 

 出勤前の朝、庭でセミの抜け殻をみつけた。かつては庭でセミの幼虫や抜け殻を見かけたが、震災被害で家と庭の工事以来、セミが来なくなり抜け殻も見かけなくなったので、庭で見たのは13年ぶりのこと。通帳の残高も抜け殻同然になったしショボーン

 

 

 私が抜け殻になる日が近い、と考え過ぎたり。見つけると童心に帰って心躍るセミの抜け殻も、今朝は弱気な気持ちで眺めた。オリンピックも上の空で、うつさえ再発しなければ、と精一杯自分を鼓舞しつ、ブログで愚痴をこぼした私です。失礼しました。

 

 

 

 


 日中は暑くても雨で気温が下がった夜は涼しく、そんな昨夜はエアコンも扇風機もなしで過ごせた。私は寝室のベランダと窓のサッシを開けて、網戸だけにすると涼しい風が部屋を通り抜けて、心地よく眠りにつけた。

 

 ところが、夜中にバラバラと大きな音の突然の雨と雷の音で目を覚ました妻が「寝室の窓、空けてたの誰!雨が入ってくる!」と言いながらバタバタと窓を締めたり慌ただしかった。

 

 気持ちよく寝ていた私は「誰?って、オレしか いねべ(いないよ)」と、不機嫌に言い放ってタオルケットを顔にかぶせて寝込んだ。

 

 そして朝、遠慮がちに台所に入ると、妻が普段通りに朝食の支度をしていた。私も普段通りに「おはよう」と言ってテーブルに着くと待ち構えたように昨夜の雨の話が出た。もちろん昨夜の私への苦情だが、私は一通り黙って話を聞いて、やり過ごした。

 

 妻は私に、何をしろ、どうして欲しい、ということではなく、ただただ言いたいことを言えばそれで気が済むことを長年の結婚生活で学習したから、いつもそうしてる・・・つもり。ニヤリ

 

 

 若い頃は夫婦喧嘩で数日間も口を利かなかったり、妻が子供を連れて家を出て私が迎えに行ったこともあったが、40年も一緒にいれば、それも卒業。その都度、私の方が悪いとして私から折れる、お互いに無視をしない、その繰り返しだったような・・・

 

 

妻が挿し木で育てたハイビスカス

 

 

 愚痴話が終わった妻が「お隣さんからキュウリを沢山いただいたので、1本漬にしたの」と皿に置いて「どお?」と言うので、私は丸ごと口に入れポリポリ音を立て「うまい!」と一言。

 

 すると「お隣さん、まだ出かけてないから」と、キュウリを頂いたお隣に1本漬を数本持って行くと「今度はミニトマト、頂いちゃった」と笑いながら戻ってきた。

 

 

 朝食を済ませた私は、ファイト一発!とドリンクを飲んで、庭の大葉で巻いた味噌お握り、キュウリの1本漬、ミニトマトが入った弁当の保冷バッグを持って、虹でも見たような気持ちで出勤した土曜の朝でした。

 

 

 

♪ひまわり娘

ブロガーさん(健ちゃんパパさん)の好きな歌

 

 

 

 

 

 

 

 暑い日が続きますね。汗は体温調節に必要で、汗が出ないと熱中症の疑いがある、のどが渇かなくても水分補給をして下さい、とラジオで聞いた。私は「よし!今夜はビールで水分補給を」と張り切ると「ビールは利尿作用で、飲み過ぎても水分補給にはなりません」と真面目な声でラジオは続いた。NHKラジオなので間違いなかろう・・ とにかく、ビールは、そうなんだって。

 

 

 そんな暑い日曜の昼下がり、旧国道を走行中に「朝採り野菜」と段ボールに手書きの看板が目に入り、その先の道路の空いたスペースに軽トラが駐車していた。野菜の路上販売のようだ。

 

 私は興味本位で、そろり車を寄せると、真っ黒に日焼けしたお兄さんが駆け寄ってきて、つぶつぶの汗を額に「見た目は悪いけど、愛情込めてつくった野菜だよ」と声を掛けてきた。

 

 この暑さで野菜の生育が良かったが、傷や形が悪かったりで市場に出荷できない野菜が多いので安く販売してるのだそうだ。せっかく作ったのに処分するには忍びないし、箱代にでもなれば・・・と若い彼は言い訳をした。

 

 

「最初から規格外を作った訳ではなく、みんな同じ手間暇かけて作ったので味に変わりはない。規格品は選別などで手間をかけた分だけ高くつくし、家で食べるなら、これで十分。規格外の方が美味しい場合もあるんだよ」と一気にまくしたてた。私は生産者の本音を聞いた思いがした。

 

 

 

 そんな話を聞きながら、ふと、私の息子は自閉症だが、それを望んで産まれてきた訳ではない。更に、みんなと同じように、いやそれ以上に手をかけて育ててきた。同じ人間として変わりはない。心の中でもう一度、いや、何度でも心で言おうと思った。

 

 

 息子は作業所と自宅との往復の日常で、お金のかかる遊びや高価な物をねだることもない。いじめにはあっても、いじめはしない。問題行動で面倒をかけるが、言葉が出なかろうが、健全に過ごせればそれで十分。

 

 手を掛けた分、優しく育つ場合もある。親の心、子、知らずで腹が立つこともあるけど、どこも同じだろう・・・・そんなことが頭の中を巡った。

 

 規格外は偶然の産物だが育てた手間暇はみな同じか、それ以上かも。それがいいのか悪いのか、考えようですよね。

 

 

 

♪kokomo 夏のドライブで息子に聴かせていた曲

 

 

 

 

♪お元気ですか (清水由貴子さん)

 

 

 私はYahooブログの閉鎖に伴い、2019年11月末にAmebaブログに移行しました。移行当初はアクセス数が極端に少なくて、いいね、コメントはゼロ行進。Yahooブログでの賑やかで楽しかったコメントのやり取りを思い出すと寂しい気持ちになりましたが「自分の日記のつもり」と居直って数字は気にせずに連日のように記事をアップしていました。

 

 それでも相変わらずアクセス数が伸び悩みで少な過ぎは、学校の成績順と同じで見るとやる気をなくすので、数字は見ないようにしていた。でも真っ先に一桁のアクセス数が出るんだよね。この残酷な機能を消せないものかと思って、いじくったが、それができないので、数字は「何も考えずに無視」を決め込んでいました。

 

 ところが、その無視を忘れた移行して4年後の正月ボケの朝、アクセス数が増えてることに気がついて1日平均が480、ベストが30,082という数字に驚いてスマホで撮影したのが下記の画像です。Yahooではこのような表示がなかったので・・・

 

 

 更に、見落としもあったがテレビや新聞社、出版社などのメディアや、著名人からメッセージが入っていたりで、びっくり!これもYahooブログでは経験のなかったこと。まさか「なりすまし?悪戯か、何かの詐欺?」と疑がったが、送信者の自己紹介、メーッセージを送信した理由、所属会社、住所、固定電話番号、携帯電話番号、メルアドもあり、信用して対応しました。

 

 その後の展開は予想外で、具体的な内容は控えますが、番組制作会社の方から、私のブログ記事の内容をもとにしたドラマの企画があると言うので、その取材を受け入れると、東京から制作会社の担当者が菓子折り持参で数十万円の報酬の提示に驚いた。また出版社から私の記事の採用依頼が入り、原稿作成会社の記者と3日間の打合せがあり、彼が起こした記事で5ページ女性週刊誌に掲載。私は取材だけなのに3万円の謝礼を頂きました。Amebaブログに感謝です!

 

 また機関紙や広報誌への転載承諾依頼もあり、謝礼として現金ではなく5,000円のクオカードか企業の自社商品などを頂いた。なおNHK(TVスタジオ出演)は500円のクオカード、ラジオ第1放送は、どうもくんのクリアファイルとシールセットでした。

 

 謝礼(現金)を頂いた時点で、その記事は出版社などに属する場合があるとのことでAmebaブログからは削除しますが、経過期間やアレンジなどで再掲載は可能。また記事に入ったコメントに興味を持てば、その方にもメッセージを入れる場合もあるようなので、その際は適宜にご判断、ご容赦頂ければ幸いです。

 

 なお、上記の私の記事の全てはアメトピに掲載されていません。アメトピにもない目立たない記事だからこそメディアの方が目に停めてくれたのかも・・いいねが少なくても、見ている人は見てると思えば、ブログを書く側の励みにもなるものですね。

 

 

 

 ここで本題を。本題なのに短かくてゴメンなさい、だけどね。私をフォローしてくれている大切なブロガーさんが長く休んだり「ブログを休みます」との記事を立て続けて拝見し、心配になって、この記事を書こう、そして「いいね」を押した過去の記事に「いいね」を再度押し直しに行こうと思いました。エールの気持ちを込めた「いいね」なので、お返しの「いいね」は不要です。迷惑でしたら無視して下さいね。ただただ、お元気でいてくれたら、それだけわかれば嬉しいし、安心させて下さいお願い

 

 それで冒頭に私がファンだったユッコの♪お元気ですか、を出したので、聴いてけらいね(聴いて下さいね)

 改めまして、みなさん、お元気ですか!幸せですか!お返事ないので気にしています!

 

 

 

 

 PS. 

Amebaブログ運営局にその旨のお礼を何度か送信済みですが、No Replyなので再度、御礼申し上げます。有難うございます。

♪NoReply (返事がない)

 

 

 

 

 

 

 

  知的障がい者は支援学校を卒業して学校という「傘」の外に出ると、行き場を失ったり、居場所がなくなると感じていた。

 

 そんな私に「社会に出た知的障がい者の居場所と運動不足解消にスポーツを」と支援学校の校長から声掛けがあり、私の長男(自閉症)を含めた数名のメンバーでスポーツ団体を立ち上げた。

 

 中学校の部活の複数の先生が指導に来てくれるということで、私はワゴン車で送迎の運転手として裏方で協力した。

 

 今から20年以上前に数名で発足したが、現在の会員数は約100名(常時参加は約60名)に増え、日曜日に年間契約で県の運動場を貸切って活動。メンバーを障害が重度と軽度と2つのチームに分け、定年退職の3人の先生と私、ボランティアとで陸上競技中心。当初、来ていた現役の先生方は働き方改革で誰も来なくなり私は多忙になったが、付き添いの親御さんが協力してくれるようになったので助かっている。

 

 重度、軽度の2つのチームが混合でチームを結成しての全員リレーもある。軽度の子がチームリーダーになって「左で受けて右手で渡す」と声を出してバトンの練習をして作戦を練ります。「声出しは大事だぞ!」と私はエラそうに、口だけのアドバイス。

 

 

 

 

 県の施設は障がい者支援活動ということで割安で借りることができるが有料なので会員から年会費として3,000円を徴収して運営している。それでも学生ボランティアへの諸経費(交通費、飲料、傷害保険など)や、用具代、事務経費(個人記録、指導要綱、スケジュール表作成など)が必要で、不足分は先生、お世話係の私たちが持ち出しでやり繰りしています。

 

 持ち出しと言っても、私はお中元や業者からの頂き物や、職場で不要になった文具や備品、用具などを持ってくるだけなので出費は少なく、むしろ、断捨離の有効活用になり有難くも思っている。定年の先生は私物を出したり100均で買った小物で用具を作ったり、それなりにやってます。ニコニコ

 

 メンバーが増え、お母さん方が「親の会」を結成してバザーで協力をしてくれた時期もあったが、その準備や運営に負担がかかるので、今は用具の配置や後片付け、メンバーの誘導、記録係などで協力してもらってます。

 

 

 メンバーは「子供たち」といっても20年以上も参加していれば40才を過ぎた大人も目立ち、中等部の若手に交じり違和感なく活動している。参加当初は多動だった彼らだが、年を重ね落ち着きが出たのか年下の子供の世話をすることもある。

 

 そんな彼らは自分の過去を思い出しているのか、問題行動の子の手をさすったり優しく握ったり、なだめたり、少し叱ったり、扱いがとても上手だ。言葉が出ず多動だった頃、それで落ち着いたことがあったのか、同じことをしてるのだろう。メンバーの年齢がバラエティーだからこそのメリットだと思った。

 

 知的障がい者と言われようが、自分が過去に受けたこと、言われたことはちゃんと覚えている。特に自閉症は記憶力に優れている。そんな彼らの様子を見て見ないふりをする私だが、純粋さが愛しくて無意識に涙が出そうになることがある。だから、私は他人の子供でも、幸せになって欲しいと心から願って接することができる。

 

 不機嫌を引きずっているお子さんに私の四苦八苦している様子を見ていたお母さんが、たまりかねたように「スミマセン、うちの子が」と駆け寄ってくることがあるが「今だけでも、のんびりしていて下さい」と笑ってやり過ごす。私はこの時間が過ぎれば彼から解放されるが、お母さんは、そうはいかない。これが日常だからだ。

 

 だからと言って、誰が悪い訳でもないし、誰も悪くはないんだよね。ない物ねだりは悲しくなるだけ。夢は目が覚めたら消えるもの。私の会社の廃業準備、体調不良、これが夢ならいいのにね。残電ながら嫌な現実だ。でも良い夢を見れたらそれで幸せ。そんな感じでやってます。

 

 

 

 

 

♪しあわせの一番星 みんな幸せに なぁ~れ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所近くのドラッグストアで野菜を扱うようになった。種類も量も少ない申し訳程度でも、近所のスーパーが閉店し不便を感じていた近隣のお年寄りたちが重宝しているようだ。

 

 その野菜売り場でのこと。年配のご夫婦が品定めをして「ほうれん草、ねえべか(ないかな)」とのおじいさんに、おばあさんが「畑でトウが立ってるし、ねえべ(ないよ)選挙で負けだがらな」と答えた。

 

 おじいさんは「それ、蓮舫さんだべ」と言うと、おばあさんは「れんほう(蓮舫)も、ほうれん草も似たようなもんだべ」と笑ってごまかし「反対ばっかりで意地悪さんにも負けたしな」と答えると、おじいさんは「意地悪さん?ほいづ(それ)は、石丸さんだべ」と答えた。

 

 面白い会話だと思いながら、二人は何を買うのだろうと様子を見ていると、おじいさんは「ウクライナ、気の毒でな」と4個入りパックのキーウイを手にした。キーウイとウクライナの首都のキーウ、買った、と勝った、を掛けてるようだった。

 

 私は そんな会話に感心して立ち止まって聞いていた。それに気が付いたのか、おばあさんが「んで、ね」と私に声を掛けてカートを押して立ち去った。もしかして、傍にいた私を意識しての二人の会話だったのでは・・・

 

先週、散った庭のユリ

 

そして先週咲いたユリ子さん

 

 

 最近の私はインボイス制度により、事業所の廃業という想定外の結果で先が見えず、健康面や自閉症の長男のことなども心配で無意識にふさぎ込むことが多い。時折、東日本大震災直後に発症した「うつ」のような孤独な感覚に襲われます。

 

 あの老夫婦は年の功で、ふさぎこんでいた作業服の私に何かを感じたのか、それであんな会話をしたのだろう・・・おじいさんが、ウクライナの子供病院のミサイル攻撃で心を痛めてることを、会話の間にあえて挟んだことで、私はそんな気がした。

 

 おじいさんのその気持ちを汲み取って、私もキーウイの4個入りパックをカゴに入れました。私も、あんなふうに年を重ねて、少しでも人の心に寄り添えたら、と心を新たにして、先ずはあの老夫婦に感謝です。有難うございました。

 

 

 

♪Mr.Lonely (これがオリジナルです)

 

 

 

 

 

♪Summer In The City

高校生の頃、夏によく聴いた歌

 

 

  先日、今年初めてスイカを食べました。妻が「スーパーでカットスイカが売り出しだったので」と買ってきたスイカで、安くてもおいしかったね。スイカが好物の自閉症の長男は皮の白い部分まで食べていました(^^)

 そこで、スイカで、何年か前の思い出した話を・・・・

 

 

 ご近所の独り暮らしのおばあさんから、弱々しい声で「手伝って欲しい」と電話が有った。何事かと急いで行くと、玄関に大きな箱が鎮座していた。中はスイカだと言う。北海道の農家が稲作の減反や転作で稲ではなくスイカを栽培「田を助ける」ということで田助(でんすけ)すいか、だそうだ。

 

(画像は参照・通販サイトより)

 

 おばあさんのご主人(故人)は教会の牧師さんで基督教系大学で礼拝を担当していたこともあり、この時期になると来客が多い。スイカは、そんな来客の手土産で、その来客は挨拶を済ませると玄関先にスイカを置いたまま忙しそうに帰ったとのこと。

 

 足腰の弱いおばあさんにとって大きなスイカは部屋まで運ぶのは一苦労、更に一人では食べきれない、冷蔵庫にも入らない、と困って、それで私に電話をよこしたのだ。

 

 私は「うちの井戸で冷やしてから冷蔵庫に入る大きさにカットして持って来ます」と話すと「私の分は半分でいいのよ、お宅と半分っこ、ね」とおばあさんは気を使った。

 

 独り暮らしのお年寄りへの手土産は、ちょっとした心遣い、配慮も必要だな、と思いました。

 

 そして、冷蔵庫と違いキンキンとは冷えないが、適度に冷えた頃を見計らい適宜にカット。それをおばあさんの家に持っていくと「井戸水で冷やしたスイカは美味しいのよね、嬉しいわ」と喜んでくれた。高級スイカを頂いた私はもっと嬉しかったね。

 

 

災害応急用井戸に協力してます

 

 我が家の井戸も震災から12年を過ぎたことで、点検とメンテを兼ねてポンプを交換、13万円かかりましたがこれで一安心。60年前、父が業者に依頼して掘った井戸で水質検査済みの安全できれいな水です。

 

 水量が豊富なので取水口を家の北と南の2か所に増設して災害時の協力井戸にしたのが、たまたま東日本大震災の前の年で、それが震災時には地域の役に立ちました。

 

 ステッカーを見て「こんな住宅街に井戸があるの!」と驚かれたり、通りがかりのワンちゃんのお散歩の利用で見知らぬ方との井戸端会議に発展したり、お茶会で使いたい、とか、洗車や打ち水にも水道料金を気にせず、ふんだんに使える井戸に感謝しています。

 

 こんな些細なことでも、自分はまだ誰かの役に立てると思うと、救われたような気持ちになる今の私です。

 

 

 

 

大滝詠一さんの甘い歌声に癒されます

 

 

城達也さんのジェットストリームを思い出します

 

 

 6月24日は六角精児さんの誕生日。私は鉄道が好きで特に彼のTV番組「吞み鉄本線日本旅」を楽しんでます。「一人旅、お酒、カントリーが好き」は、私も同じなので、彼の音楽、歌詞がすんなり入りました。

 

♪ディーゼルー (六角精児)

 この歌を聴いてると涙が出そう、なぜだろう。ほんの少し弱くなっただけ・・・

 

 

 私は幼い頃、家の事情で転々と預けられて育ちました。駅までは母に連れられ小さな荷物と切符を手にして母と別れます。最も遠かったのは仙台駅から東北本線の各駅停車で岩手県の一関駅で大船渡線に乗り換えで、終点の盛駅まで片道6時間の一人旅。

 

 別れ際に母が握らせた小遣いで、乗り換えの一関駅でアイスクリームを買うのがお楽しみ。カチカチで硬いカップアイスでヘラを折らないように慎重に削るようにして食べました。

 

 夏休みになると一回り年上の姉が私を迎えに来て一時帰宅、そして夏休みが終わると別の預け先に行く。物心がついてからその繰り返しで、それが当たり前と思ってた私は平気だったが、母が動く汽車にすがるように泣きながら私を見送るのは嫌だった。

 

 

 各駅停車に繰り返し乗っているうちに東北本線、大船渡線は駅名どころか乗り継ぎや乗り換えも覚え、駅員さんに褒められたことで鉄道が好きになりました。

 

 預け先では子供心にも自分が役立たずで迷惑な存在だと感じていたので、汽車を見て夕方まで駅で一人で過ごし、鉄道の廃線を見つけるとワクワクする変な子供でした。

 

 

一時、カラオケで気持ち良く歌っていた曲

 

 

 その後、学生時代に周遊券や国鉄バス、ヒッチハイクなどで日本各地を一人旅。宿泊は国民宿舎やユースホステルを利用して初対面の人との交流を楽しみ、四国一周の旅では私が一人旅と知った見知らぬ人からの親切も受けました。四国、最高でした!これらの体験が今日の私に良い影響を与えたと、今も大切に胸に残っています。

 

 

 六角精児さんの誕生日から話題が飛躍しましたが、そんな訳で、みなさんのブログを拝見し、音楽や鉄道、一人旅、旅行した場所の記事があるとほっこりして「いいね」を押したくなる衝動にかられています。

 

 

 私の今は厳しい状況に置かれて気持ちの余裕がなく、ブログは少し休もうと思いますが、自分はみなさんのブログに元気をもらってるし、もう少し頑張ってもいいのかも・・・そんなとりとめもない気持ちで書きました。失礼しました。

 

 

庭のアジサイとユリが見ごろです

 

 

 

 

 

♪悲しき鉄道員

若い頃、好きだった曲

 

 

 

 

 

 

 

♪夏の日の1993   

 

 

 

  私が関わっている障がい者スポーツ団体に昨年10月、新しく中学生の男の子がメンバーに加わった。男の子は行動障害で過度な多動、言葉が出ない自閉症で、若いボラさんの手には負えないと思い私が担当することにした。

 

 まず私は彼の顔を見て「よろしくお願いいたします」と帽子を取って頭を下げ挨拶をしたが彼は私とは目を合わさず遠くに走り去った。だが無理に引き止めずに彼の名前を呼び、こちらに来るように促したが来てくれない。

 

 そこで私が彼の元に駆け寄って再度「よろしくお願いいたします」と挨拶をしたが、無言で脱兎のごとく遠くに走り去った。私は、うるさくしたのかなあ・・・と反省。

 

 毎回、これの繰り返しだが典型的な自閉症の行動なので、それまでの私の経験が生かされる、根気よくやれば何とかなるはずと自分を鼓舞。他人様のお子さんは詳しい状況がわからず、大変は大変だが、とにかく逃げずにやってみようと思った。

 

 

東京の次男から、父の日のプレゼント

 

 

 走り回る時の彼の表情はどこか楽しそう。そんな彼の楽しみを奪う権利は誰にもない。私は行動障害で多動でも必ずどこかで止まるものと思っているので、無理に追いかけず危険がないか様子を見守るだけにしている。止まった時の大体は座り込んで落ち着いて何かをしている。

 

 私が止まった場所に近づくと、彼は靴下と靴を脱いでいた。そして私を見るなり裸足で逃げるように走り去った。私は脱いだ靴と靴下を拾って持って歩くだけ。そのうち彼は裸足で足が痛くなって靴を求めに来るだろう。実際にその通りになったニヤリ

 

 多動で走るのはその先に目的があるからで目的を達成すれば戻ってくる。彼の今回の目的は靴下と靴を脱いで走ることだったのだ。自閉症の子はコミケと表現が不得手なだけで言われたことは理解してる。私はそんな賢い彼らと向き合っている。

 

 彼はフィールドのミニハードルを蹴ったり、かじったりもするが私は注意をせず黙って並び替える、を繰り返すだけ。その様子にたまりかねたのか母親がグラウンドに走り悲壮な表情で私に詫びを入れるが「誰に危害を加える訳でもない」と笑顔で応じる。

 

 私は付き添いのお母さんの悲壮な顔、絶えずお詫びをする姿を見るのが最も辛い。切なくて不憫だとも思う。誰も悪くはないのに母親は全てが自分の責任のように世間にも気を使っている。

 

 その反動だろうか、あえて明るく振る舞うお母さんが多い。それで私は休憩時間にお母さんたちに遠まわしに「自分だけで荷物を背負わないで」と冗談を交えて話すこともある。

 

 そして嬉しいこともある。あの中学生君に変化が見られたのだ。彼が集合地点から遠くに走り去り、私はいつものように追いかけず広げた両手を上げて立っていると私めがけて走って来くるようになった。今まで私の「空振り」で格好が悪かったがハイタッチまでするようになってお互いにテンションが上がった。

 

 活動の終了時に、彼が蹴ったミニハードルを1本だけだが用具室まで持たせ「お手伝い有難う」と丁寧に収納してお礼を言うと彼は「あああ」と声を発して笑顔を見せた。

 

 何か月もかかったが初めて彼の声を聞けて嬉しかった。その後、彼が用具を蹴ることがなくなったのは、用具は大切なもの、そして片付けを依頼されたことで自分が認められたと感じたからだろう。

 

 私は自分の仕事や今後のことで落ち込んでいたが、彼らと接していて、何とかなるさ、とそんな気持ちになった。だったら私はもっと前向きに考えなくては。夏の日は水分補給に心がけ熱中症に気を付けて、シニアの私だが陸上ももう少し頑張ります。みんな有難うね。

 

 

 

♪母と子のきずな