長男は自閉症・オヤジの日記、ほっこりと。

長男は自閉症・オヤジの日記、ほっこりと。

 妻と自閉症の長男と三人暮らし。日々の思いを書いてます。元自衛官で筋トレ、射撃が好きでした。音楽、家庭菜園、ガーデニング、旅行、鉄道、絵画、写真、ラーメンも好き。ペットのインコとメダカに癒されてます。

 

●日々の思いをブログで日記として残そう、日記なら自分の思いを正直に出せる、それを読んで頂いた方の反応を参考にすれば、独りよがりにならずに済む、そう思ってブログを始めました。

 

 

♪Love (レターメン)1970年

 

 

●私のブログ開設はYahooブログで、自閉症の長男や家族、仕事に関しての、正に日記で、愚痴めいた記事が多かったように思います。

 

 それが東日本大震災でブロガーさんから届いた支援物資、激励、そして7か月間の入院生活で、人の優しさが心に染み、それからは、ほっこりとした記事を書こうと思いました。

 

 

●Amebaに移行すると、アメブロで紹介され、アクセス数が30,000を超えた日がありました。

 

 

その後、アクセス数は落ち着いたとは言え、6,000前後のアクセスで、ブログ記事のない複数のブロガーさんから、おびただしい数の「いいね」の連打に困惑して、ブログを少し休みました。

 

 

 ●再開後、いいねが 1,049、コメが74の下の記事に中傷誹謗が入り、アメーバー限定に移行して、その後非公開に設定。アクセス数が多いのは有難いが、それも善し悪しだと思いました。

 

 

●下は中傷誹謗で非公開に設定した記事をリメイクして、昨年に再度アップした記事です。

 

 

●最近は、宣伝目的や正体不明のブロガーさんのフォローの削除などで、フォロワー数もアクセス数も、いいね、コメントも少なくなりました。でも、その分、コメントの返事を丁寧に書けるのが幸いです。コメントのやり取りが好きなので、短文でも一言でも、頂いたコメントには感謝しています。有難うございます。下は、今年に入っての平均的なアクセス数です。

 

 

 

●私は、いいねを頂いた方の記事は必ず読み、感謝の気持ちでいいねを押しています。そして、心に残る記事にはコメントを入れ、コメ返に追記で返事を入れたり、長文になればメッセージで送ったりして、見知らぬ方との出会いを楽しんでいます。

 

 入れたコメントやメッセージの返事がないと、後が続かず残念ですが、迷惑だったのかな・・それでも、メッセージのやりとりがきっかけで、昨年は仙台旅行の複数のブロガーさんを私の車で案内しました。初対面はお互いに照れましたが、イメージ通りの美人、いい男でした。(^^)

 

 

●Yahooブログ時代の方との交流が続き、愛媛のみかん農家さんから大量の蜜柑が届き、びっくり!別の複数の農家さんから、それぞれ自家製の桃、メロン。岡山の大手饅頭、富山の月世界、鹿児島のかるかんなどの銘菓も届き、仙台では珍しいので、あちこちに配って喜ばれました。

 

 

 

 私からは、仙台牛タン、萩の月、喜久福、ずんだ餅、笹かま、だて正夢(米)、フカヒレ、さくらんぼ、などを送っています。連絡はショートメールを使用。

 

●こうしてブログをきっかけにできた交流を楽しんでいます。いずれ、ブログは卒業しますが、せっかくできた交流は大切にしたいと思っています。Amebaさん、有難う、です!

 

 昨日、ブロガーさんから届いたお中元を手にして、そんなことを思って、記事にしました。

 

 

 

♪I'm Yours

この曲が好き過ぎて、またアップしましたラブ

 

 

 

●古い書類を整理していると自衛官当時の写真が出てきた。入隊式の集合写真は、みな同じような顔だが不思議と自分の顔と位置は覚えていた。若かったな、あんな時代もあったな、と整理の手が止まり懐かしく、そんな過去の思い出を書きました。

・・・・・・

 

♪抜刀隊(ばっとうたい)

動画をご覧ください。元気が出ますよ。

 私も現役時代に動画と同じ音楽で、普通科部隊の一員として行進しました。

重さ 約4kgの64式小銃に銃剣を装着し姿勢を正し腕を上げての行進は緊張したが、どこか誇らしかった。 なお、動画の1:12付近からの赤いスカーフの隊員が、普通科部隊です。

 

 パレードが近くなると、行進とハイポートと称し銃を持って走る訓練が多くなり、私の苦手な訓練で苦痛でした。下の画像は、苦しそうな私の表情狙いで撮った、と広報の方から頂いた写真です。

 

・・・・・・

 

 入隊当時の我々は「お客様扱い」だったが、所属の班長が決まると状況が変わった。入隊直後は体力検定、知能検査、適性検査が主で、私は体力検定の、50kgの土嚢(どのう)を担いで50mを走ってタイムを計る「土嚢運搬走」が苦手で、やっと合格、のレベルだった。

 

 だが、自慢話のようになって申し訳ないが、知能検査では私は高得点だったらしい。受験勉強をしていて要領が良かっただけなのだが・・ 確認のためなのか、再度の知能検査を監視付きで受けさせられ、その結果が、私にとっては幸運な道へ導かれた一歩だと思っている。

 

入隊式の集合写真より

 

●横須賀での教育隊終了後、市ヶ谷(東京)の普通科連隊に配属、連隊本部で複数の防大卒の幹部候補生と同様の勤務に就いた。私は雑用が主で、私だけ陸士で階級が違い過ぎ緊張したが、候補生は私には好意的で大学受験を気遣ってくれたのが有難かった。

 

 そして大学受験の合格を報告すると、特外(特別外出)許可が出て、退職せずに自衛隊から通学することになった。当時は学生運動が盛んだったので外出は私服、大学では身分を伏せた。

 

これで通学はできないよね

 

 更に連隊長の伝令(秘書のようなもの)に任命された私は「朝雲」という機関紙や広報誌関連など通学に配慮した勤務もあり、臨時勤務で儀仗隊、防衛庁に出向もした。

 身分は普通科隊員なので、富士演習や土浦射撃訓練などで定期的に10日程度は大学を休んだが単位は取れた。給料をもらい、衣食住の心配なく通学させて頂いた自衛隊には感謝しかない。

 

広報誌に掲載用・正面が私

 

 

 その後、民間の仕事に就くため大学卒業1年前に退職の希望を出すと、候補生たちは賛同はしたが残念がって心苦しかった。だが送別会までしてくれたのが嬉しかった。退職後も彼らとの付き合いは長く続いた。

 

日本 私の唯一の自慢・精勤賞

 

 

●先般、立民の女性国会議員が国会で「自衛官は貧しい家の人間がなる、裕福な家の子は自衛官にならない」との趣旨の偏見で失礼な発言があった。小泉防衛大臣の反論で即座に撤回はしたが、それは彼女の言い訳で謝罪でも取消でもない。立民の対応も甘く済ませている。

 

 発言者は日の丸、君が代に偏見と敵対心を持つ日教組出身の元教育者の女性議員で、あの思考回路の人間が福岡県でなぜ当選したのか、と福岡在住の経験を持つ私は疑問に思っている。

 

 ちなみに私の同期の実家は、岐阜の寺の住職、北海道の網元、新潟の土木建設業、群馬の温泉旅館などで、帰省のお土産も楽しみだった。私以外の家は裕福だと思っていたが・・・ 私は心が豊かであれば幸せで、それは家の経済的な貧しさより、大切なことだと思っている。

 

 

●ワールドカップで、森保監督が国歌斉唱の君が代で涙する様子や、FIFAでも世界で賞賛されている日本のサポーターが日の丸を振って応援、顔に日の丸のペインティングが私には眩しくも誇らしくも見えた。それを否定する国会議員の気持ちが理解ができないでいる私です。

 

 

 

♪Ballad of Green Berets

邦題:悲しき戦場(バリー・サドラー軍曹)

 

 

 

♪Yellow River (クリスティ)

ベトナム戦争から帰還の若者の反戦歌

 

 

 
 

♪I'm Yours(ジェイソン・ムラーズ)

日本語字幕付き

 

 
●この季節になると日曜日の仙台と山形を結ぶ国道48号線は、サクランボ狩りに向かう車で大渋滞。普段なら山形の果樹園までは自宅から車で1時間も走れば着くが2時間はかかる。でも朝9時前なら渋滞はまだなので、何とかなる。
 
 私は当時のYahooブログを通し東日本大震災で支援して頂いたブロガーさんに「あの時のお礼に」と、この時期にサクランボを送り、一部の方には10年以上も毎年送り続けている。それだけ、あの時の支援が忘れられないほど有難かった、ということです。
 
 先日「サクランボをクール便で送りました」と関西のブロガーさんに連絡を入れると「サクランボの味のイメージがわかない」とのこと。関西ではサクランボはあまり食べないからだそうだ。私たちがビワの味がイメージできないのと同じかな?
 
●サクランボは一粒づつきれいに並べた贈答用は高価なので、不揃い品、多少の傷、割れ、赤色不足などの、訳あり、バラ詰めの自宅用などの「お買い得」を現地で調達しています。見栄えが悪くても味に変わりはなく、特に佐藤錦は美味しいので問題なし。贈答用は350gの2パックで6,000~8,000円で節約し、お買い得の4,980円を利用したが、別途送料が高くて厳しい!
 
 
さくらんぼ クール便の送料込みで、7,000円弱。
 
 サクランボは選別が厳格で、規格外で出荷できない「はね物」が多く発生するそうです。サクランボ農家さんの倉庫には、そんなサクランボが大量に保存してあり、それを安価で販売したくても「いろいろあって」できないとのこと。いろいろ、って?
 
 捨てる前に漬物にしたり、知り合いに配ったりしても廃棄処分が出ると聞かされ、あ~もったいない、と言うと、無造作にサクランボをビニール袋に入れて頂いたことがあります。はね物でも初夏の味が楽しめましたよ。山形の夏の味の、冷やしラーメンも美味ですよ!
 
 山形の知人が「サクランボは買う物ではなく、もらう物だ」と話していましたが、実際にタダでもらって、本当なんだと思いました。山形の人は心が豊かですね。
 
 
 ●年末にブロガーさんに送っている仙台の牛タンも、かつては庶民向けの安価な食材でした。私のサラリーマン時代の昼の定食の定番でしたが、今や仙台名物になって高額になり、滅多に店では食べられなくなりました。
 
 我が家で牛タンは、近所のスーパーで安価な切り落としの「おつとめ品」を買って食べてます。私はテールスープが大好物。まともな牛タンはギフト用、観光客用になったように思いますが、名物って、そんなもんですね。他の地域の方が喜んでくれて地元民としては嬉しいので、まあ、いいか。
 
 サクランボは、はね物のB級品、牛タンは、切り落としの、おつとめ品、これで十分満足している平和な私です。ニコニコ
 
 
 
 
 

♪ALL RIGHT (クリストファークロス)

1983年

 

 昨日の歯科医院での出来事を妻に話すと「そのお母さんの泣いた気持ち、わかるわ。いいことしたね」と珍しく褒められました。私の妻の「自閉症の子を持つ母親としての言葉だ」と重く受け止め、この記事を書きました。

 

 

♪砂に消えた涙(ミーナ)

 

●老化現象なのか前歯がグラグラするので予約をして歯科院に行った。大人4人がやっと座れる程度の狭い待合室は、5才くらいの男の子が一人だけで、退屈そうにソファーに寝転んで絵本を読んでいた。治療中の親を待っているんだな、と察しがついた。

 

 そして、私に気が付いた男の子は、散らかしていた本や玩具を片付けて、姿勢を正して、絵本を読み始めた。

 

 私の予約時間が20分ほど過ぎた頃、私の名前が呼ばれると同時に、治療を終えた男の子の母親が待合室に戻ってきた。そして、母親はすかさず「いっぱい 待ったわね、いい子にしてた?」と男の子に声を掛けたが、待ちくたびれたのか、不機嫌な様子で返事をしなかった。

 

 なんだろ、気まずいな、と思ったおせっかいな私は「お利口さんでしたよ。本を片付けたり、お行儀よく静かにしてました」とに応えると、母親は「褒められたわよ、良かったね、よくできたわね」と、満面の笑みで子供を抱きしめながら私に礼を言った。

 

 そこで男の子は、やっと笑顔になった。返事どころか、全く声を発せず、几帳面に片付ける動作を見て、私の息子(自閉症)と同じかも・・・と思った。

 

 そして私は母親に「いい育て方をしてますね、子育て上手!」と言葉を添えた。すると「私までも褒められて・・」と男の子を更に強く抱きしめて、笑顔が泣き顔に変わり、何度も何度も涙を手でぬぐっていた。

 

 あの一言で、あの涙は・・・子育てのことで悩みがあるのだろうか、辛いことがあったのだろうか、誰にも理解されず、辛い思いをしているのだろうか、そう思うと、つい、もらい泣きをしそうになった。

 

 そう言い残して私は診察室に入ると、看護師さんに「歯が痛むのですか?」と言われた。涙目だったからだ。「虫歯じゃないから、痛くはないです」と応えると、看護師さんは「我慢しないで下さいね」と優しかった。

 

 

 ●私の一言で、男の子のお母さんを泣かせ、私は看護師さんの一言で、優しさをもらった。さり気ない一言が、こんなにも人の心を揺さぶるものか、と思った。高齢になって気が短くなった私にとっては、よい教訓にもなりました。

 

 

 

♪ウーマン(John Lennon)

 

 

200m走で2着でゴールした中学生に父親が「なぜ1着になれなかったんだ!」と叱責。そこで私が思ったことを書きました。 

 

 

♪スループ・ジョンB 

(ビーチボーイズのカバー曲)

  

 

 ●私は知的障がい者を対象のスポーツ団体で、ボランティアで活動して20年以上になる。主に重度のメンバーのお世話で、彼らは多動で言葉が出なくても、人とのコミュニケーションや表現が不得手なだけ。言われていることは理解していると感じている。

 

 昨年の秋から参加の中等部の男の子は、言葉は全く発せず、制御も予測も難しい多動、列に並ばない、突然、走り回った挙句グラウンドの真ん中に座り込み、靴、靴下を脱いで放り投げ、大の字になって寝る、などなどで、手がかかる。

 

 それで私がマンツーマンで対応することにした。付き添いの母親は、その対応の私に恐縮しっぱなしで、気の毒なくらいだ。たまらず駆け寄って手伝ってくれたりの母親の懸命な様子に私は心を打たれ、力になろうと張り切った。

 

 その成果なのか、彼は私の姿を見るやいなや脱兎のごとく走り寄り、私とハイタッチをするのがルーティンになった。更に、私の手を引っ張り、私の顔を触って、何かを促すようになり、不明だった、その「何か」も徐々に見当がつくようになった。

 

あじさい 庭のガクアジサイ

 

 

●ある日、付き添いが母親ではなく父親で、父親は男の子に熱心に指導をしていた。男の子はいつもと動きが異なり、父親に気を使っているように思えた。

 せっかくお父さんが来てくれたので、と私は遠慮して離れて他のメンバーの世話をすることにした。

 

 そして200m走での彼は、熱心な父親の伴走もあって、真っすぐ走って完走。なんと、あと一歩の差の2着だった。

いつもなら真っすぐ走らず、脱走したり固まったり途中でリタイヤする彼なので驚いた。

 

「おお!真っすぐ走れるんだ、よく頑張った、これは褒めるしかない」と私は近寄ると、父親は男の子に「なぜ1着になれなかったんだ!」と厳しく言葉を投げかけていた。私は他の家の教育方針に口出しをするつもりはないので、そこで引き下がった。

 

 だが、強い口調で言い含めて、他の子と比較したり、できなかったことを責めて追い詰めるより、今回できたこと。完走したことを褒めてあげれば、と私は思った。多動な男の子が立ったまま動かず神妙な様子を見て、不憫(ふびん)にも思った。

 

 

 

●私は些細な事でも彼らを褒めるように努めている。単に褒めるだけでなく、褒めた理由と、その感想と、お礼も言う。それは、人とのコミュニケーションが不得手な彼らに「話ができなくても、君のやってることは、ちゃんと見て、守ってるよ、だから安心していいんだよ」との私なりのメッセージだ。タイミングや相手に依りけりだが、褒めることは、そんな思いからきている。

 

 

 支援員さんや親御さんに「褒め過ぎ、大げさ」と言われたり、子供がパニックになって鬼の形相で親を叩き、制止に入った私が叩かれたり、腕を噛まれたこともある。一筋縄ではではいかない、難しい、余計な事をした、と自信を失うこともある。

 

 私には褒める以外に他に方法が思いつかず、自分では良かれと思って「褒める」ことに徹している。それも完璧ではないので失敗もある。パニックになった彼らを落ち着かせる方法がないものか、と悩ましく思う。

 

 

●子供のことで愚痴をこぼすお母さんに「私の長男は30歳を過ぎた頃から、徐々に癇癪、パニックが収まり落ち着いたので、それまで、地雷を踏まないように、なんとか頑張りましょう」と愚痴話を受けている。我が家では、その通りになったからだ。

 

 だが、それに至るまで妻と私と悪戦苦闘、失敗も重ねたが、試行錯誤でなんとかやってきた結果だとも思う。私は専門家ではないし、自閉症は個人差があり、誰にでも当てはまるものではないので、質問をされると「時が解決します」とだけ応えている。

 

 

 私がお世話をしてる男の子の父親が、父親としての強い責任感で頑張っているのが私には痛いほどわかる。思い起こせば、私もそうだった。あの頃の私は、肩ひじ張って、力(りき)んで、とんがって、若かった、本を読み過ぎた、などと過去の自分を見た思いもした。そして「最も辛いのは自閉症の息子本人だ」と気が付いてから、私は変わったと思っている。誰も悪くはないのだ。

 

 

●仕事の忙しさを口実に、お母さんだけに任せないで、お父さん、がんば!障害のある子を持つ父親としての私の気持ちでした。

 

 

 

♪二人の太陽(Walker’s) 1967年

 

 

 

 

♪カレリア組曲より・行進曲

 

●6月14日まで、日本陸上競技選手権大会が開催。ワールドカップで盛り上がっていますが、アジア大会代表取選考をかけたこの陸上大会にも注目して欲しいと思い、記事をアップしました。

・・・・・・

 

 

●私は、長男(自閉症)が参加している知的障がい者のスポーツ団体で、多少の経験のある陸上競技のお世話のボランティアとして、20年以上になる。

 

 支援学校を卒業して「学校という傘」から離れた彼らは、周囲との関りや体を動かす機会が減り、運動不足にもなりがちです。それで肥満防止、ストレス解消、健康維持、ふれあいの場などとして私の長男を含めた数名のメンバーで、およそ30年前にスポーツ団体を立ち上げた。

 

 当時は活動に賛同した支援学校や部活顧問の先生たちが指導に来ていたが、働き方改革などで現役の先生は誰も来なくなり、定年退職の3人の先生がその役を担って活動している。その先生のお子さんも知的障害で、メンバーの一員です。

 

 発足以来から指導に携わる最年長の先生は80歳を過ぎ、多動や行動障害など60名以上のメンバーを掌握するには限度があり、私は、重度障害のメンバーを専門に、お世話係として参加。

 

 

●軽度のメンバーは、市や県の大会の出場という上を目指して、本格的な練習もしている。

陸上の短距離はクラウチングスタートで、スターティング・ブロック(通称スタブロ)という道具を使用。この道具は、スタートで足がすべらないようにするためで、スタブロに足を置いて強く蹴って、飛び出すようにスタートします。

 

ランニング 先ずは、スタブロのセットから。

 

 スタブロの固定から始め、足の置き方やスタートのタイミングなどの練習。手のひらはWの形になるように開いて指に体重を乗せる、などと指導します。みんな真剣です。

 

 

 

 知的障がい者には道具なら何でもいいだろう、と言う人もいるが、ハンデイを持っているからこそ、健常者より本格的な道具を使い、そして本格的だから真剣になれるのだ。スタブロの新品価格は1~2万円。中古品を探したり、親の負担なしで、ギリギリで運営している。

 

 

 

●年会費として保護者から3,000円を徴収して、グラウンド施設使用料、用具代などに充当しているが、最大の支出は、福祉系大学からのボランティア学生への経費です。少ない予算から、彼らの日掛傷害保険、交通費、弁当、飲料代を我々の年会費から支出するのは厳しい。

 

 お弁当学生さんがボランティで来てくれるは尊いが、昼食、交通費は自分たちで用意して頂けると有難い。お願い彼らが昼食を用意せず、何かを待っているようだったので、急きょコンビニに走ったことがある。その昼食を彼らは持ち帰って帰宅準備。「あれ?」と思った私は余計な一言を。そんな私は器が小さいですかね。ちなみに、私の自腹でしたが・・

 

 

●ボランティアとして来るのは、まだ学びの足りない新入生で、指示がないと動かず、単位取得目的なのか1回限りの交代で来るので、正直な気持ち、迷惑にすら感じる。だが福祉系大学などには、メンバーや親が世話になる場合があるので、已むを得ない。

 

 そんな彼らには「何もせずに、何もしようともせずに、できない、なんて言い訳はやめようよね。誰も教えてくれないから、でもないよね。自分がやれることを考えようね。大学生だよね」と言いたい気持ちを押え、彼らにへつらっている情けない私です。

 

●重度のメンバーのお世話は、反応がなかろうが、会話が成り立たなかろうが、奇声を上げようが、多動であろうが、腕を噛まれようが「相手は人」が基本。そう心がけて接している。

 

 そして、重度の子には、あえて用具の片付けなどの簡単な用事を作って、お願いをして、機嫌をとって、心を込めて、褒める。それは子供に「自分は役に立っている」と思わせるためだ。

 

 役に立ったと思えるように「用具を運んでくれて有難う、オジサン年寄りで腰が痛いから助かったよ。ゴミを拾ってくれて有難う、お陰できれいになりました。タオルをたたんでくれて有難う、お陰で整理整頓、スッキリしました」とお礼は必ず言う。

 

 お礼を言われて誰も悪い気はしないはず。それで彼らの口元がかすかにでも歪めば「君の笑顔、気持ちがいいね、それって、いい顔だからイライラしないで笑顔でいようね、いつもそばにいるからね」こんな感じでやってます。会話が成り立たない相手でも、案外楽しいものだ。 何よりも、付き添いのお母さんが、その様子に喜んでくれるのが嬉しいです。

 

 私は2年前の脳梗塞で右半身と言語障害の後遺症が残っているが、手抜きをして、無理せず、まだ、なんとかやってます。

 

 

 

 

 

♪I'll Be There Ther   

和訳:私はいつもここにいる

 

 

 

 

 

♪ライオンは寝ている(Tokens)

くま クマも寝ていて欲しい。

 

 

 ●運転免許証の更新に伴う「高齢者講習通知書」が届いた。受講場所は県内の自動車学校で講習の所要時間は2時間程度。本人が直接電話予約で、混雑してるので早めに予約をとのことで、早速と電話を入れると、1か月後なら、と予約が取れた。受講料は  9,500円。

 

 

 更新を終えた知人にその話をすると、講習の様子を得意気に教えてくれた。そこで気になったのは、高齢者マークは初心者マークと違って、義務ではなく「任意になった」との話だった。

 

 高齢者マークは義務付けられていたが、煽(あお)り、幅寄せ、割り込み、無理な追い越しなど危険運転に遭遇するケースが多発。事故防止のためにも、高齢者マークは付けない方が安全だからだそうだ。警察でも通報が多いので「任意」を推奨してるとのこと。

 

●私は、せっかく高齢者マーク買ったし、とマークを付けて運転してみた。流れに乗った速度だったが、ルームミラーに運転手の顔が大きく見えるほど後続車がピタリ接近、煽られてると感じた。私は車高の低い黒の普通乗用車で、煽られたのは初めてだ。相手は軽だったが、危険を感じて、恐かった。高齢者マークはその日限りにした。

 

 

 そんな状況になっていても、高齢者マークを付けている車は何かの事情があるのだろう、だからこそ、高齢者マークの車には配慮すべきだと思った。

 

●ある日のこと。ショッピングセンターの駐車場で、高齢者と初心者マークを付けた軽乗用車が駐車スペースにバックで入れようとしていた。女性ドライバーで、何度も切り返しを繰り返すばかりで悪循環のスパイラル。私は見るに見かねて手助けをした。

 

 彼女は私にペコペコと頭を下げ「年寄り二人暮しで、夫の介護で車が必要で、この年になって免許を取ったばかりで、運転が下手で、煽られたこともあるけど、親切にして頂いて」と、まくしたてるようにお礼を繰り返した。後部座席にはお爺さんが無言で姿勢正しく座っていた。、

 

 私は「そのお年でよく頑張りましたね」と言うと、彼女は「みんなにも言われるのよ、赤い車にしたのは、目立つ色なので事故防止になる、と営業マンに進められたからよ」と陽気に話すので、何か救われたような気持ちになった。

 

 

 私は老々介護の現実を垣間見た思いがしたが、私もいずれは歩む同じ道だ。自分が世話になる立場になる前に、できるうちに、できることをしておこうと思った。

 

 

●何よりも、高齢者マークの車を見かけたら弱者と思って優しい気持ちで接する心の余裕ぐらいは持つべきで、煽りなんか、もってのほか!誰もが「明日は我が身」と肝に銘じるべきだと思いました。

                                            

 

 

 

 ♪サン・バーナディーノ (クリスティ)

50年前の曲。動画の乗り物は安全ですね。

 

 

♪イエローリバー (Christie)

 彼らの代表曲。徴兵の軍隊帰りの若者の反戦歌。ベトナム戦争時代の歌。


 

 

 

 

 


●私の実家は両親と長男の兄家族4人が同居していたが、兄家族は、子供に手がかからなくなったタイミンに家を出た。

 

 体調の思わしくない父が気になった私は、4人兄弟の末っ子だが両親と同居することにした。妻の実家から「話が違う」と責められて辛かったが、妻の理解のお陰で乗り切った。

 

 その3か月後に父と同行した病院の別室で、父の末期がんを宣告され、即、入院。母と妻と私の3人でローテーションを組み、交代で約1年間、毎日病院に通った。そして父を看取った。

 

 

♪You Raise Me Up (和訳付き)

 

 

●父亡きあと、私は3人の子供に恵まれた。母はその世話を申し出てくれ、私たち夫婦も兄夫婦と同じように仕事に出た。そして、月日がたち、子供たちに手がかからなくなった頃、元気だった母も病弱になり、病床に伏せるようになった。

 

 妻は正社員だったが退職して、時間の融通が利くパート務めをしながら母の介護に尽くしてくれた。その妻を子供たちも見よう見まねで手伝っていた。

 

 私は「みんな、この家で産まれて、ばあちゃんにオムツを替えてもらったり、お世話してもらって大きくなったんだよ、みんなで助け合おうね」と子供たちに話していたことで、子供なりに何かを感じていたようだった。

 

 

クローバー庭の紫陽花、やっと花芽が付きました。

 

 

●ある日、妻の不在中、世話をする娘に母が「若い女の子に汚いことさせて、ごめんね」と詫びると、娘は「汚くなんかないよ、だって、私たち赤ちゃんの頃、ばあちゃんにオムツを替えてもらったんだもの。だから、汚くなんかないよ」と笑顔で応えたそうです。

 

 後日、母に教えてもらった話だが「あんた、いい嫁をもらって、いい育て方したね」と母に褒められた。子供たちに「赤ちゃんの頃、ばあちゃんに世話をしてもらった」と話しておいて良かったと思った。

 

 

●父親の私は話が「くどい」ので、そのたぐいの話は、子供たちは、うるさがっていたが、聞いていないようで聞いている、覚えていないようで覚えている。そう思った。

 

 だから、少しぐらい嫌われても、親として子供には言うべきことは言うべきだ、と改めて思った私です。今日は母の命日です。亡き母を忍びつつ。

 

 

 

 

♪アンチェインド・メロデイ(和訳付き)

 

 

 

 朝は14℃。それでも鉢植えのレモンの花が咲きました。

 

 ●自閉症の長男の通う作業所の親の会の役員は持ち回りで、妻にその順番が回ってきた。さっそく講演会に動員され、会場が遠方だから、と朝食を一人早めに済ませ、私と長男の朝食を用意して家を出た。

 

 妻が出かけて不在の朝、私と長男は二人で黙々と朝食を済ませ、私はリビングに移動して朝刊を広げていた。すると「お父さん、お茶どうぞ」と長男が私にお茶を入れて持ってきた。私は思わず「わお!」と驚いた。

 

 

 毎朝、妻のやることを長男が見ていて、そうしたのだろう。出されたお茶は薄く色が付いた程度で、ぬるくて、お茶の味はしなかったが、美味しかった。自閉の息子が、私のために入れてくれたと思うと、美味しかった。

 

 長男は私がお茶を「飲み終えるのを待機」して、私が飲み終えると湯飲み茶わんと、二人分の朝食後の食器を「洗剤をたっぷり含ませたスポンジ」で大量の泡で洗って片付けた。この行動が、いかにも「自閉症、あるある」だと思いつつ、笑みがこぼれた。

 

 

●ちなみに、今朝の朝食の私は、ご飯に納豆、温玉、豆腐とワカメの味噌汁、梅干し、蕨の煮物、ヨーグルト。長男は、トースト、苺ジャム、野菜サラダ、温玉、シャウエッセン、コーンポタージュ、キーウイなどで、こまごまとした食器が多く、後片付けも大変だろう。それを長男が片付けてくれたので、家に戻った妻が喜ぶだろうと思った。

 

 

 これだけのことですが、どこか幸せを感じ♪I’m Yours (Jasson Marz)を口ずさむ私でした。

記事を読みながらでも聴いて頂いて、少しでも共感して頂ければ幸いです。

 

 

●そして、お茶の味は、その時の気分、気持ち、雰囲気で味わうものだと思いました。たとえ、ぬるくて薄くて色だけでも、美味しく味わえた今朝の一服でした。

 

 

 

 

 

♪Kokomo (ビーチボーイズ)

肌寒い仙台。せめて音楽で夏の気分を。