音楽、楽器が好きになったのは小林旭さんの影響かも・・・ | 長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

自閉症の長男との暮らし、その思いや日常の出来事を日記として書いてます。

 

 

 

  私が子供の頃、学校から歩いて行ける距離に商店街と映画館があり、私が通ったのは商店街の子供たちが通う小中学校で、映画館は同級生のおじさんが経営者。

 

 それでなのか、学校で定期的に映画の割引券が配られ、封切館ではない2番館の安い料金の割引なので毎回見に行けた。

 

 映画館では小林旭さんの「渡り鳥シリーズ」や「流れ者シリーズ」が上映され、私はギターを持った小林旭さんに憧れて同級生の親の質店で質流れのギターを安価で手に入れた。これが私の楽器との出会いで、後の私に影響を与えた。

 

 

この映画で西部劇にも憧れました

 

 小林旭さんは映画で共演の浅丘ルリ子さんと結婚するものと思っていたが、美空ひばりさんとの電撃結婚に驚いた。だが2年後に離婚し「お相手がひばりさんなのに、もったいないなあ」と思った。私は、ませた子供でしたね。ニコニコ

 

 

 手に入れたギターは音楽雑誌を参考に独学で、先ずはハーモニカで弦のチューニング。音階を繰り返して運指の練習、指先が硬くなった頃に3本の指でコードの練習。基本のC、F、G、Amなどのコードを覚えたら簡単な曲の弾き語りができるようになった。

 

 だが自己流で基礎ができてなかったせいか、ほどなく行き詰まりギターはそれ以来、全く上達しなかった。

 

 

 その後、入学した高校で、週一だけの国立音大の教授による「音楽」が選択教科にあると知って申し込んだ。

 

 教授はオペラ歌手活動もする声楽専門で、コールユーブンゲンで楽譜を読み取る基礎訓練、正確な音程とリズムを取れる基礎訓練、作曲、クラシック音楽、オペラの構成など、音楽の基礎を3年間学んだ。

 

 当時ビートルズなどポップスに夢中だった私は、授業でそれを見破られ容赦なく叱責をされ、成績が悪くても楽しく学べた。

 

 

 その後、短期間だったが東京上野文化会館が本拠地のアマチュア交響楽団で団員として活動できたのは、あの教授の熱く厳しい教えの成果だと感謝している。

 

 

 コロナ禍とインボイス制度を機に仕事がおかしくなり、今後が不安になって後悔したり落ち込んだり。震災後に発症した「うつ」と同じような感覚で嫌だ。

 

 でも、それは誰のせいでもない、自分で解決するしかない、と腹をくくって過去の自分を思い出しモチベーションを上げようと「熱き心に」をアップして聴いた。当然のようにヴァンへーレンのJumpもアップ。

 

 さらに、魚肉ソーセージを丸かじりすれば、もっとテンションョがあがるかも、と冷蔵庫を探した私の昼休みでした。

 

 

 

♪Jump

 

 

♪ワン・ツー・スリー 何事も基礎が大事。

 中学生の頃レコードを買って歌詞を覚えて歌ってました。今でも歌えますよ。すごいでしょ。

動画の右後ろ上段の女性のダンサーが、おもスゴイ。恥ずかしいけど、見てけさいね。爆  笑