知的障がい者に優しい商店街が大型店進出で・・・ | 長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

長男は自閉症・オヤジの日記、音楽好きでバンドもやりました

自閉症の長男との暮らし、その思いや日常の出来事を日記として書いてます。

 

 

♪Mr.Tambourine Man 

昭和の若い頃、ギターを弾いて歌っていた曲

 

 

  私の通った小中学校は歩いて行ける距離に商店街があり、ほとんどの店が自宅を兼ねた家族経営で、子供は店番や配達なども手伝っていた。

 

 自分の家の店だけではなくラーメン屋さんが忙しい時は近所の子供に「出前下げ」を頼むこともある。出前下げのどんぶりを持って戻ると、大将がサイダーを出してくれたりで、お互い様だったね。

 

 母子家庭の母親が一人で経営の洋品店では40歳を過ぎた知的障がいの息子さんも店を手伝っている。みんなは彼を「こう君」と親しみを込めて呼んで気にかけて、見守っていた。

 

 その彼は「営業」と称して店を手伝い、独り言や歌を歌いながら自転車で商店街を走り回る人気者だ。

 

 元気がいいので彼に春祭りに「お神輿を担いで欲しい」と商店街でお願いをすると「僕は障がい者で体が弱いから無理」と力仕事を断る口実がうまい。だが普段の元気な彼を知っているみんなは「体が弱い」に爆笑すると、こう君も一緒に大爆笑。爆  笑

 

 世話役さんが、彼にも活躍の場と考え「体が弱ければ軽トラに乗ればいい」と神輿に並走の軽トラに乗って太鼓を叩くことを提案した。彼は「太鼓は小さい時から得意だから」と喜んで引き受けた。

 

 祭り当日、さあ、いざ、軽トラックの荷台に陣取った彼の太鼓を合図に神輿が練り出した。ところが彼の太鼓のリズムは自由奔放で、担ぎ手は調子が狂い難儀したが、事故もなく無事に終了で、やれやれでした。

 

 それでも誰も文句を言わない。逆に彼の不規則なリズムの太鼓のお陰で注意深く神輿を担げたと彼を持ち上げ「こう君、よく頑張ったね」と、ねぎらいの言葉をかけていた。

 

 

母の日に次男からの鉢植え、元気に咲いてます。

 

 

その商店街は私鉄、市電の要所として賑わっていたが、私鉄が赤字経営で、市電は道路渋滞対策で廃止になると人出が減り客足も落ちた。そして、そのタイミングに大型店の進出が決まった。

 

 大型店進出の説明会で「テナントとして優先します」と入店を提案されたが複雑なシステムの上、大型店に有利な条件に思え、受け入れたのは魚屋さんだけだった。親の店を引き継いだ同級生たちは知恵を出し合って頑張っている。

 

 中央から進出の大型店は自社利益の追求が最優先。地域のコミュニティには興味がないようだが、障がい者が地域社会に参加していた状況を維持できないものか、共存共栄のような試みが欲しい・・行政が力を貸してくれたら・・などと思った。

 

 そう思う私だが、何でも揃って便利で楽しく、しかもセール多発で商店街より安価な大型店が重宝だ。近くのスーパーが閉店して不便だったので、大型店の新規開店は有難い存在として私も利用している。

 

 妻は連日のように、廃業した和菓子屋の奥さんと連れ立って大型店でショッピングやランチで、実に楽しそう。

 

 理想や精神論だけでは世の中は回らないもので、私も時代の流れに適応しようと、パソコンやスマホをいじってます。でも毎回「ログイン」で失敗してますがね。レジでスマホをかざして決済している高齢の方を見て、すごい!と思いながら、私はnanacoとWAONをかざして頑張ってます。ニコニコ

 

 

 

 

♪白い雲のように 

有吉さんも純情でさわやかでしたね。誰でも若い時は、そうだったと思うけど。今は・・・

 

 

 

♪悲しき鉄道員

 ショッキング・ブルー、曲調も大型店進出で衰退した古い商店街の哀愁を誘うようです。