デジモンアドベンチャー 太一とヒカリ、ヤマトとタケルの関係の話 | どこかの誰かのメモ帳

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※あくまでデジモンアドベンチャーから分かる事、感じる事で続編などの情報は無視しています。あくまで個人的な意見です。



太一とヤマトも同じ兄です、そして下の子に過保護になっています。しかしそれぞれの思いや考え方はまるで違っていると思います。



八神太一はなぜ過保護なのか?

これは話を見ていれば分かると思いますが、妹・八神ヒカリとの苦い過去がある事も大きいでしょう。

48話で明かされますが、太一は小さい頃にヒカリの風邪が治ったと思い込んで外につれだして一緒にサッカーで遊んでしまった結果、"ヒカリの風邪が悪化して生死をさまよう"事になります。その恐怖と罪悪感からヒカリに過保護になります。

とはいえ、これだけではないと思います。
これは以前の記事でも話しましたが、"太一とヒカリは対照的"だから扱いに慎重になっているのではないでしょうか。

ヒカリが無事退院した時の太一への一言は"サッカーボールを蹴り返す事ができなかった事への謝罪"でした。
太一はヒカリがいつでも相手を優先して無理をしてしまう事を光子郎に話します。

一方で太一は思った事をズバズバ言います。

確かに仲間への配慮が足りない事もありますが、これは自己中心的というわけではなく、感情にとらわれず物事の冷静に判断し、発信して行動にうつす事が適正だと思っているからでしょう。実際に太一は正論が多いです。
ただ問題としては正しいとしても気持ちがどうにもならない事もある、それを太一が考えていない事、これはヤマトからも注意されています。


つまり、太一は正しさを判断してハッキリいう、ヒカリは相手を思って我慢するという対照的な性格をしています。

そもそも我慢して辛い姿を見せないと分かりにくいとは思いますが、太一の場合は性格上なおさら相手の状態や気持ちに気づくのが難しいのかもしれません。


ですから、過去の事のように分からないままヒカリを苦しめたり、危ない目にあわせる可能性があるという恐怖から、慎重に扱っているのだと思います。
それが過保護に変わったのではないでしょうか。

少しのケガや体調不良に見えても本当は我慢しているだけで、本当はすごくひどいのかもしれないと、悪い状態を想定します、それが過剰な労りにかわってしまうわけです。


石田ヤマトはなぜ過保護なのか?

一方でヤマトはなぜでしょうか、ヤマト&タケルは太一&ヒカリとは性格もだいぶ異なります。

もちろん弟である高石タケルを純粋に大切に思っている事も大きいでしょう、幼い頃に両親が離婚して離ればなれになって、辛い思いをしているはずです、そんな可哀想な弟を大事に思うのは不思議な事ではないです。

そして弟が思っている以上にか弱い存在だと思っていたのでしょう、そして成長に気づけなかったのだと思います。

しかし大きな理由はもう一つあると思います、それは自分の価値に対する恐怖。
これも過去の記事でふれてますが、51話ではタケルが成長して離れていく事やタケルが自分よりも太一になついている恐怖や嫉妬を覚えます、これは依存に近いです。
そして自分はダメな人間だと思い込みます。ヤマトはとても仲間思いですし弟思いです、そして人の気持ちを大事にします、それが自分の価値になります。
簡単にいうと"誰かを大切に思う事で自分の必要性を感じられる人"なのでしょう。
言い方は悪いですが、ヤマトにとってタケルはもっとも身近で、か弱くて可哀想な存在ですから、労りやすい存在として尽くす事で自分に価値があると思えたのでしょう。
ですからタケルが成長して離れていく事に恐怖を抱きます。
終盤ではガブモンの応援により、自分は必要な存在だと思えるようになります。そして解放される事でタケルの成長も素直に受け止める事ができました。
これからは純粋に仲の良い兄弟として生きる事ができるでしょう。

そしてタケルにはきちんとその思いは通じていると思います。自分はお荷物なのかと不満を抱く事もありましたが、それは成長した証拠です、それまではちゃんと兄を慕い、信頼していた事でしょう。そしてヤマトが認めてからも支えてくれた事には感謝しています。
ですから52話では絶望の中、自分の成長を認めてくれたヤマトに感謝して諦めずに希望をもてたのでしょう。