「覚醒」と「自己統合」2 | スピリチュアルメッセンジャー Kurumiのブログ

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大切なメッセージをあなたに。

春分の日に、最近受け取っているメッセージとして「覚醒」と「自己統合」と言う2つがあると、書きました。そして、その内の一つである「覚醒」についても書きましたので、今回は「自己統合」と言う事について書きたいと思います。


皆さんは「私って誰?」「自分って誰?」って考えた事ありますか?きっと、このブログを読んでいる方なら、少なからず思ったり、考えたりした事のある方々では無いかと。🤣


実の所、私は良く考えます。🤣

「私とは誰なのか?」

「私は、なんでここにいるのだろうか?」

「なんの為に居るのだろうか?」

「私の価値は?」

「私の使命は?」

「私には、何が出来るのだろうか?」

などなど。考え出したらきりがありませんよね。


「覚醒」の時にも書いた様に

「自分」の信念と固定概念と思い込みによって

「自分の現実」と言うのは、作られています。

何によって「定義」付けされ「自分」がどう言う理由であれそれを認めた事によって「自分の現実」は、作られている。と。


例えば「私は、女性である。」と言ったとして

でも、心は男で、物理的に男性の体にして、戸籍を男にした場合、戸籍上は男性であり、社会的にも男性である。しかし、生物学上、DNAまで変える事は、きっと今の所無理だと思うので「どこまで行っても女性」

しかし、本人が自分自身を「男性」と認め、周りも「そうだ。」と認めてしまえば、社会的には「男性」と言う事になる。

国籍も、日本人で生まれたとしても、どこかの国に移民して、それに沿った手続きさえ踏めば、そこの国民となれる。

年齢さえも、国によっては、時代によっては、生存率が低ければ、確実に生き延びれる事を確認した上で出生届を出す。もしくは、単にサバを読んで、実質の年齢より多くも少なくも出来る。あくまでも自己申請のグレーエリアは、存在する。

だとしたら、今の「自分」も、これからの「自分」も、今までの「自分」も、あくまでも自己申請で創造出来る。特に過去の「自分」などと言うものは、とてもあやふやで、曖昧な存在でしか無い。なぜならば、「自分の記憶がどれだけあやふやか?」と言う事を考えれば、すぐわかる。

たとえ、どんなに記憶力が良くて、その時に「何が起きたのか?」を明確に覚えていたとしても、過去の「自分」とは?と言う答えにはならない。

なぜならば「事象」を変える事は出来ないけれど、その時の感情や思い込み、周りからの刷り込みによって、受け取り方が歪められてしまう場合があるから。

「周りに言われた」「そう言う扱いを、受けた。」それを、「自分」のフィルターで「自分」が、そう受け取った。だからと言って、それが事実と同一であるとは、限らない。あくまでも「自分」がそう受け取り、そう「感じた。」それが、唯一の真実である。

また、記憶と言うのは、脳内で往々にして、自分に都合よく書き換えられる。

未来の「自分」においても同じで、今までの経験値、情報、知識のすべてを集積して、その中で「今」考え得る最高の、もしくは最悪の出来事の憶測であり、予想図でしか無い。だとしたら「どうなってしまうのだろう?」と考えるより「こうなっていくには、何をしたら良いのだろう。」と同じ予想図であっても後者の方が、より建設的である事も、誰にもわかる事でしょう。

しかし、人とは面白いもので、心配事や、不安になる事を考えるのが、好きな習性があるらしい。

それが悪いわけでは無い。危機回避能力、生存能力から来る事も、多いと思う。

しかし「心配だ、不安だ。」と言う人に限って、生命力も強く、常に乗り切って行ってしまう人が多い事も、あったりする。単に言いたいだけ、もしくは気にかけて貰いたいだけの事もあるのだけれど。

先程も書いた様に、心配や不安が悪いのでは無くて、それをどう使うか?と言う事。人の事に対して心配や不安になり過ぎている人は、自分の事に疎かになり過ぎているか、他の人から同じ様に思って貰いたいと言う願望が強いんだ。って事に気がつけたら良いですね。

では、今の「自分」

全ての「自分」を、把握している人は、少ないのでは無いかと、思います。

「自分」てこう言う人よ。って周りに言うと、

周りの「自分」に対する見方とギャップがあったりしませんか?🤣

では、どちらが本当の「自分」なのか?と言うと、

どちらの「自分」も自分です。

周りから見える「自分」とは、何面体にもカットされたクリスタルの様な物で、どの位置からどの角度で見るか?そして、本質であるクリスタルを見ると言うより、クリスタルに写ったその人のリフレクションである事の方が、多いです。ですから、周りから見る「自分」とは「本質の自分」では無いかも知れませんが、あなたに関わる人々にとって必要な「あなた」と言う役での「自分」がそこに存在し得るのです。

だから、どちらも違ってはいないのです。

しかし、自分が作り上げて来た「自分」と言うイメージと違うと、そこでリアクションが起こると言う事です。

この「自分のイメージ」と言う物が、曲者です。

イメージと言うのは「私は、自分をこの様な者だと、信じています。」のと同じだからです。

ここで、時間を取って「自分のイメージ」を、書き出して見てください。

自分が思うもので、周りに言われた事でも、周りが思っているだろう憶測でも、思いつく限り書き出してみてください。

どれぐらい書けましたか?

何ページにもわたって書けましたか?

それとも、ほんの数個ですか?

全体を見た時に、それは肯定的に書かれていますか?

それとも、否定的に書かれているでしょうか?

他の人に見せる事も、話す事もする必要は無いので、

自分の為にしっかりと時間を取って、

書き出して見て下さい。

それが、今の「自分」が知る限りの「自分」です。

合っているとか、合って無いとか、

正しいとか、間違っているとか、

真実であるとか、無いとか、は、

まったく関係ありません。

「今の自分」が、「自分」と言う存在を、そう受け入れ、認め、信じている。と言う事です。

だから、そこにそう書いたのです。

「自己統合」する上で一番大事なのは、

自分の手札が何であるか?と言う事なのです。

人は、往々にして否定的なイメージを嫌い、削除して、無かった事にしたくなります。

しかし、冷静に考えてください。

私たちは、AIの様に割り切った考え方は、出来ません。AIですら、まだ発展途上です。

肉体を持ってこの地球に来た目的は、

色んな経験をして、試行錯誤し、みんなで助け合い、

魂の部分で分離は無いのだと、気づく為です。

エネルギーを受け取るのは、左手です。受け渡すのは、右手です。だから、みんな手を繋いで輪に、和になれるのです。

自分が否定的にイメージした「自分」は、誰かがあなたと繋がる部分です。

そして、あなたが肯定的に取った「自分」は、誰かを励まし、サポートする自分です。

あなたが「完璧であろう」とすると、あなたをサポートして自分の良い所を発揮する機会を、その人から奪ってしまいます。「私は、自分で何でも出来るわ。」って言って腕組みをしてしまったら、誰とも手を繋ぐ事は、出来なくなってしまいます。

なので「出来ない自分」「欠けている自分」「行動が出来ていない自分」「自信の無い自分」自分が否定的に思う自分は、誰かの為の「自分」である事もあります。

先程も書いた様に、ゲームをするにも、まず自分の手札をちゃんと知ってどう活かすか?です。

ババ抜きでジョーカーは、致命傷ですが、7並べなら強敵です。🤣でも、ババ抜きで致命傷であっても、ジョーカーが無ければ、ババ抜き自体が出来ないのですがね。

「どの札を持つか?」より、「その札を適材適所で使えるか?」大事ですね。🤣🤣🤣


後、知っていて欲しいのは「私たちは、魂の存在である。」と言う事です。

言い換えれば、私たちはゲームクリエイターであり、ゲームプレイヤーであって、ゲームの中の主人公が「本質の自分」では無いと言う事です。

つい夢中になり過ぎて、ゲームの中の自分が本当の自分だと思い込んでしまうと、行き詰まったり、道を間違えたりした時に、途方に暮れてしまいますが、自分が魂の存在で「自分の人生」と言うゲームを、創造し、楽しんでいると言う事を知っているだけで、変える事も、見方も変わってきます。

肉体のある「人間」を経験し、どう動かそうか?と頭を使うけれど、魂の自分がそこにいない人が、多い様な。ゲームの楽しみ方って人それぞれだと思います。

肉弾戦で制限バリバリ、なんの情報も無く突っ切るのが好きな人もいるでしょう。

みんなと情報集めながら、助け合いながら、知能戦で行くのもありでしょう。

それと同時に、魂の存在、クリエイターの特権で、マニュアル使って、ガイドにヒント貰って、楽に楽しくプレーするチート能力ありでプレーするのも良いでしょう。でも、選択肢があるのを知らなければ、選択の余地も無い。と、言う事です。

そこに、気がついて知った上でプレーするのが「覚醒」です。

自分の持ち得る情報、知識、経験値、短所、長所全てが、あなたの持ち札になり得ます。

もしも、あなたが思う様に、例えば肉弾戦では無く楽したいと思うのなら、その選択を認め受け入れる事です。そうすれば、それがあなたの手札となります。信じる必要は無いのです。「そうだ」と決めれば良いだけです。

しかし、自分が思っている「世界」とは違う。

と、言うのであれば、可能性は2つです。

今いる「世界」は「自分が望んでいる、」と思い込んでいるけれど、実はそこじゃ無い。

もう一つは「本来自分の望んだ世界」にいるのにも関わらず、周りの期待とか理想と違う世界だから「違う」と、思い込んでいる。

だからこそ、手札をちゃんと知ること。

生年月日、名前、出生地、時代背景、性別、体型、家族構成、興味のある事、どう言う人たちと関わっているか?などなど、ヒントはいくらでもあるんですよ。

「ここまでヒントあげてるよね〜」って言う状況での、受け入れられなければ「上手く行って無い。」って思ちゃいますよね。

それと、今の「自分」がどんなゲームを楽しんでるか?サバゲーなのに乙女ゲー要素持ってこられても?

逆も然りで、乙女ゲー求めてるのに、サバゲーモードじゃ。って事。まっ、両方楽しむのもありだとは思うけど、それもありだとは思うんだけれど。

それでも、今の「自分」に集中出来た方が良くない?

長々と書いて来ましたが「自分」と言うのは、自分が「こう言う者です。」と言った物が「自分」を形成すると言う事。

ポジティブもネガティヴも無く、自分の嫌な所も不必要な物では無く、必要だからそこにあり「そこに存在していて良いよ。」と受け止め、認める事が「自己統合」のキー🔑となる事を、忘れないでいて下さいね。

サバゲーだろうが、乙女ゲーだろうが、どちらが良いなんて無くて、面白いからプレーする。

「自分の世界」も同じ。楽しくプレーしましょ。💕💕💕😆😆😆


長々と書きました。ここまで読んでくれた方、貴重な時間を使って読んでくださった事に感謝です。🙏🙏🙏💕💕💕😆😆😆