春爛漫な模様
暖かいですね。
最近はすっかり春めいて、冬のコートなど脱ぎ捨てて、みんな春の装い。
寒さで引きこもっていた人たちも続々と外に出てきているように感じます。
町にはきれいなおねいさんがひしめいていて、見ていて幸せな気分になりますね。
ここ最近、おねいさんたちがみんなきれいで、もう飽和状態なんじゃないかなと思ったりします。
しかし、現実は厳しく、僕のほうには誰一人歩み寄ってくれない。
多分もこみちとかそんな感じの人のほうに流れているのだろうと予測できます。
なるほど。これが格差社会か。
これは早いところ安部氏に法改正をしてもらい、国民に均等におねいさんが行き渡るようになるといいなと。
まぁこんなこというとフェミの人に怒られるかもしれないので、ほどほどにしときます。
なぜ女性がみんなきれいになっていたのか。
それは単純に、美の志向が変わってきたからだと思います。
よく知りませんが、昔はきっとカバーする手法できれいになろうとしていたと思います。
つまり厚化粧。
それできれいに見えればいいのだ、というシンプルで即効性のある手法ですね。
しかし、最近では世の健康志向のせいか、肌を若返らせてきれいにする方向に進んでいるように感じます。
化粧品もカバーするというよりか、肌への影響を考えたものが多いような。
スキンケアも技術的向上のおかげで、高級ではあるけど、目に見えて実感できるほどの効果のあるものがたくさんあります。
でまぁこの話にオチをつけるなら、最近ではなぜか年下のおんなの子も許せるようになりました、という感じ。
でも、二十歳くらいまでだよ。それ以下はちょっと、ね。
パソコンを再インストール
なんだか処理が遅くなったのでパソコンを再インストールしました。
快適です。
あとメガネを買いかえました。
あとは特に変わった様子はないようです。
文章を載せようか迷い中でもあるみたい。
うっひょー
あけましておめでとー!!!イエーイ!!!
いや、ごめんなさい。
ちょっといろいろありまして。
なんか体重も55キロを下回る感じです。
しんちょうは180センチくらいです。
なんていうかすみませんでした。
そういえば、最近文章をちょくちょく書いているので、なんか載せるかもわかりません。
デジカルビってなんだっけ
コンクリートに鉄の棒を通したものを鉄筋コンクリートと言うが、コンクリートを鉄筋で強化することと、鉄の酸化をコンクリートのアルカリ性で防いでくれ、これには二つの利点がある。このようにコンクリートと鉄が作用して生まれる効果のことを、デジカルビ効果と言う。
ルドル・フォン・デ・ジカルビー氏の制作したティアラが、イギリス王妃に献上され(以下略)
あなた、ご飯にする?お風呂にする?それともデジカルビ?
クリスマス
B「クリスマスかぁ」
A「もうそんな時期かぁ。昨日まで11月中旬だと思ってたのに、月日が経つのは早いなぁ」
B「まぁまだ11月中旬だけどね」
A「なんだよ。だまされたよ。ケーキとか用意しちゃったよ」
B「どういうことだよ。なんで突然用意できてんだよ」
A「まぁいいや。ケーキ好きだし」
B「あ、そう」
A「なんだよ。いやに冷たいじゃねぇか」
B「最近寒くなってきて、なんか憂鬱になってきたよ」
A「なんで?冷え性?」
B「冷え性じゃないけど、クリスマスを考えちゃって」
A「そんなの考えたってしょうがないだろ。お前が考えたところでクリスマスの日にちが変わるわけでもねぇし」
B「そんなの知ってるよ。変わるかよ」
A「どうせ八月とかの暑い日にやってほしいとか思ってんだろ。バカだなぁ……はぅあ!」
B「なに、突然。はぅあって」
A「お前南半球行けよ。クリスマス、夏だぜ。暑いぜ」
B「もう暑さとかどうでもいいよ。そんなんじゃないんだよ」
A「なんだよ。クリスマス嫌いなのかよ」
B「嫌いだよ」
A「なんでだよ。ケーキ食えるじゃねぇか。あとは木とかあるし」
B「木とかどうでもいいよ」
A「木じゃなかった。トゥリーだった」
B「やけに発音いいし」
A「とにかく、木とかケーキとかトゥリーとか、いろいろたのしいじゃねぇか」
B「木とトゥリーがかぶってるけど。たのしくなんかないよ」
A「なにがあったんだよ。どんなトラウマ抱えてんだよ。あ、ちなみに、サンタクロースの赤は血の赤じゃないぞ。そういう生地だぜ。そんなの気にすんなよ」
B「どんだけブラックなサンタだよ」
A「サンタはブラックじゃない。レッドだ」
B「もういいよ。めんどくせぇ」
A「なんだよ。おじちゃんに話してごらん」
B「君は、今年のクリスマスはどうやって過ごすの?」
A「俺はねぇ、友達と過ごすよ。毎年そうしてるし」
B「そっかぁ」
A「なんだよ。お前はどうしてんだよ」
B「世間では聖なる夜とか言ってカップルでいちゃついてんだよね」
A「お前、聖なる夜と性なる夜をかけてんのか?つまんねぇぞ」
B「べ、別にそんなこと考えてないよ」
A「そっか」
B「僕なんか彼女いたことがないから」
A「そんな気にすんなよ。友達とかと過ごすのもたのしいぜ」
B「いや、友達もいないから」
A「あ、なるほど」
B「だから毎年家族と過ごすんだよ。変なとんがった帽子かぶってさ。ケーキ食べてさ」
A「いいじゃねぇかよ、とんがり帽。かっこいいじゃねぇか」
B「いや、もうなんかいい年こいてさびしいよ、家族と過ごすなんて」
A「いいじゃん。アメリカとかだと普通そうなんだろ。あ、欧米か!」
B「もうそんなテンションじゃないよ」
A「なんだよ。あ、わかった。なんなら俺の友達と一緒にクリスマスを過ごすか」
B「誰がいるの?」
A「まず俺だろ。あとは、たけしとたかしとたけるとたけお」
B「覚えずれぇよ。なんで名前似てんだよ」
A「そんなのは親に聞けよ。俺は知らねぇよ」
B「まぁそうだけど。でも遠慮しとくよ」
A「なんでだよ」
B「だって僕、そういうのなじめないタイプだから。知ってるでしょ?」
A「そういやそうだな。じゃあ仕方ないな」
B「うん。断ってごめんよ」
A「うん、仕方ない。今年はお前と二人で過ごすよ」
たまには、ね
たまにはまじめな話をしよう、と思ったのは、なんか新機能がついたから。ただそれだけ。
ということでいじめについて。
最近はいじめを苦に自殺をする小学生がいるらしい。それがニュースになっているからそう思うだけかもしれません。
とりあえず、いじめを苦に自殺する小学生が多いという前提は認めて話を進めましょう。
いじめという現象が起きたとき、その瞬間の悪は当然いじめる側です。
いじめられる方にも原因がある、などという論理があるようですが、この場合原因は関係ないでしょう。
この場合の原因は、別に何でもよさそうです。
要するに他人より劣る欠点を攻撃しているだけなわけです。太ってるとか、足が遅いとか。
そんな欠点は誰にだってあります。いじめは、ただ単にそれが偶然いじめをするような人間に目をつけられたから始まるのです。
だからいじめられる側に原因があろうがなかろうが、非はまったくないはずです。
しかし、いじめを苦に自殺する、という場合、話は変わってきます。
先ほどの論理を適応すると、いじめという原因はあまり関係なくなります。
誰にだって死んでしまいたいと思うことがあると思います。たぶん。
その原因が何であれ、死んでしまってはいけない、死んだって仕方ないと思うから、僕らはこうやって生きているわけです。
でも自殺してしまう人はいます。それはいけないことなのです。
自殺とは、文字通り自らを殺すこと。つまり殺人です。
殺人はいけないことです。だから自殺もいけないことなのです。
いじめという原因など関係なく、自殺した人が完全に悪いはずです。
それは、いじめられたからいじめたやつを殺すのがいけないのと同じことです。
しかし、僕らはどうしたっていじめられて自殺した小学生の肩を持ちたくなる。
死んでしまったのは悪いことだけど、いじめたやつにだってやっぱり原因があるから非がある、と思いたくなってしまう。
そう、ここからが重要。
弱い人間を守りたくなる気持ちは、非常に動物的です。
論理を守ることが人間的だとしたら、その逆。
人間であると同時に動物である僕らには、慈悲の心があります。
いじめが悪いのは確かだから、そこに付け入りたくなる気持ち。
いじめた側だけを攻撃したくなる気持ち。
これが重要なことなのです。
僕は、この感情には先ほどの論理と矛盾する点があると思います。
矛盾するというジレンマを、運命的に抱いて生きているわけです。
いじめはいけないことです。それは卑怯だから。
大勢で弱いものを攻撃することが卑怯だから。
卑怯なことをされたから自殺してしまうことは残念なことだけど、でもやっぱり卑怯なことはいけない。
それを子供に教えなければいけません。
大人が卑怯だからそれがなかなか難しい。
しかし、それができないわけではないはずです。
人間は矛盾があっても生きているから。
ある程度全体的に見る余裕があればいいのですが。
僕は超がつくほど平和主義で、自分の利益より他人の利益のために動くようなところもあります。
だからいじめる人間の気持ちはよくわかりません。
だからえらそうなことは言えません。
だから言えることはこれだけです。
いじめは卑怯だからやめてほしい。
自殺をする前に、誰かに相談してほしい。
相談されたら、応えてあげてほしい。
それだけです。
エビちゃんとうなじ
最近テレビで見ない日ない、エビちゃん。
見ない日はないは言い過ぎたけど、三日に一回くらいは見る、エビちゃん。
やっぱり一週間に一回くらいは見る、エビちゃん。
人気があるらしいけど、僕はあまり好みじゃないんです。
なんていうか、ニューハーフっぽいし。
でも、おねいさんとかが突然エビちゃんの話をしだしたら、僕もまぁ、好きですエビちゃん、みたいな事言っちゃうしかないわけです。
これはもう仕方ない。
エビちゃんはともかく、おねいさんが好きだから仕方ない。
あ、ちなみに、エビちゃんはおねいさんの範疇に入りません。なぜか。
それでもやっぱり、あまり好きじゃないエビちゃんだけに、会話も多少ギクシャクするわけです。
おねいさん「エビちゃんかわいいよねー。うさぎさんはどう?」
うさぎさん「もちろん好きですよ。あの透明感は大人気ないですよね」
おねいさん「それは伊藤美咲ちゃんよ」
みたいな。
そんなちょっと前のCMなんかおぼえてないっつー話ですよ。
で、もしエビちゃんに告白されたらですよ、問題なのは。
まぁそんなこと問題にしている時点で僕のこの気持ち悪さが伝わっちゃってると思いますが、気にしないぜ。
エビちゃん「好きです」
うさぎさん「あの、男性の方はちょっと……」
みたいなこと言うしかないわけです。
エビちゃんってちょっときれいなニューハーフですからねぇ。
だいたい、エビちゃんの本名知らないし。
なんか蝉と暇を足した感じだったかしらん。
素直にエビって変換したら出た、蝦。
つまり、僕の言いたいことは、おねいさんは僕にうなじを見せてくれたらいいじゃないか、ということなのです。
これはいやらしい意味ではなくて、僕は普通に学問としてうなじを学んでいる身ですから、見ないことには勉強にならないというわけです。
皆さんご存知の通り、僕はうなじ性格診断のパイオニア的存在です。
パイオニアもクソも、僕しかいないんですけどね。
女性のうなじを見たら、だいたいその人の性格がわかるんです。
でも、占いとか性格診断みたいなのは、しょせん統計学です。
僕はあまり女性のうなじを見る機会がないので、完全に性格を言い当てることができません。
つまり、サンプルとして女性のうなじが見たいわけです。
けっしていやらしい意味ではないんです。
ふひひ。