どうも、ゆめこです。

 

"ファイトソング"以来ですね

 

その時は曲にフォーカスして書いたので、ブログでは全く近況報告ができていませんでしたが

就職活動も無事終わり、単位もきっと取れているでしょう

あとは3月の卒業式に出るだけ

と、私の大学生活も終わりを迎えようとしています

 

そんな今日は、今現在の私の内面について語りまくろうと思います

その前にもう少しだけ近況を報告しますと、

年末年始ほんとうにメンタルが厳しくてですね

このまま社会人になったら、一ミリも希望が見えない、と

 

精神科を受診しよう

電話は苦手、予約も埋まってるところばかり

オンラインという選択をしました

 

診断書を書いてほしい、と半ば無理やり診断してもらった結果は

双極性障害

 

それも「じゃあ双極性障害って書いとけばいいですか?」

と、私が今まで会ったお医者様の中で一番苦手だと感じた先生に言われたので

本当に双極性障害なのか、私もよくわかっていません

 

うつだの、自律神経失調症だの、なんだかいろいろあって難しいですね

メンヘラ、っていう病気はないんでしょうか、それじゃないでしょうか

(もはや投げやり)

 

 

 

「生きる意味」ってなんですかね

そんなものない、と私は思っています

 

それが楽な時もあれば

ただただ意味のない、無駄なことに思えて

どうしようもなく虚しくなる時もあります

 

今がそれです

 

私には尊敬し、応援している方がたくさんいて

たくさん笑顔や感情をもらって

私自身ピアノやギターで弾き語りをしたり

ただカラオケに行ったり

編み物に読書に手帳に

 

たくさん楽しめる趣味があって

 

 

ただ

 

 

それが楽しめなくなったとき

それがおっくうになったとき

どうしたらよいのかわからなくなって

 

休みなさい、という合図だと頭ではわかっていても

ただ布団に転がっているのもどうしようもなく辛くて

 

 

 

最近この「頭ではわかってる」という反抗期みたいなことが多いです

 

「切っちゃだめだよ」

診断書を書いてくれた先生に言われました

 

「切る前に思いを紙に書いて吐き出してみよう

したらどんな時に辛くなるのかわかってくるから」

 

カウンセラーさんに言われました

 

 

 

つらいつらいつらい

 

でも私はどうなりたい?

 

生きていきたい。

でも生きるのをやめたくなる時がある。

やめたい、が、

やめる、にならないように

 

どうしたらいいんだろう

 

この「頭ではわかってる」の続きは、

まぁ「でもできない」なわけですよ

 

 

 

私、落ち込む自分も嫌いじゃないんだよな

つらくてしんどくて諦めたくもなるけど

私が私でいられるためには私に必要な時間で

 

 

「何が一番困っていますか」

聞かれたら、一応は答えますけど、分からないのが本音

 

 

どうなりたいんだろう私は

 

 

何もできない時

私は何処に居るんだろうって

何処にも居ないんじゃないかって

誰かの中にちゃんと居るのかな

 

 

居ないように思えてきて

それだったら、本当に居なくても何も変わらないじゃんって

どんどん悪い方に考えていきます

 

 

私が好きなこと

それができないとき

私は私じゃなくていいじゃん

何もかもが無駄に思えて

私が愛している感情も言葉も

何もかもが

 

 

家族にも友達にも恋人にも恵まれて

何か大変なことがあるわけでもなく

自分のせい、全部

救いようがないね

辛い

 

けど今の私を消したいわけじゃない

 

 

 

病院も、カウンセリングも、お金がかかりますね

何もできない日も、母が作ってくれたご飯を食べ、ただただお金を消費して

 

 

 

 

感情のまま言葉を綴っているので、まとまりがない文章ですが

今回はこのままブログにあげようと思います。

 

これが今の私です。

 

 

 

 

 

人間に向いてなさすぎる

 遅ればせながら、今日は私のオリジナル曲 ”ファイトソング”について綴っていこうと思います。

 

 私は、音楽に支えられてここまで生きてこられました。その音楽に携わることができる貴重な機会、誰かを支えられるような曲だなんておこがましい、私が支えられるような曲、私が響く曲、私がこれから共に成長していきたいと思える曲をと。

 私が信じられるのは、今までの自分の経験と、そこから形成されてきたであろう自分の考え方でした。

 

 私は言葉が大好きです。言葉があふれ出る瞬間が幾度となくありました。誰かの言葉を綴ることもたくさんありましたが、それもまた私の一部。

 自分に宛てた曲とはいえ、今私から溢れる言葉たちを届けたい人がいました。

 

 高校生の頃の私です。

 

 未来が真っ暗になって、強い孤独と自責と、とにかく絶望を感じていた当時の私。

 今は、いろんな人と出会って、いろんな考え方に触れて、当時に比べたら視野も広くなったと思います。

 でも、実はそんな今の私の中にも、当時の私がずっといるのを感じています。今でも思い出すのは当時の不安な気持ちばかり。当時と比べながら生きてますし、その過去に感謝している一方で、確かにコンプレックスでもあります。

 

 その感情も大切な私の一部です。

 いつだって、自分は自分の味方。それは私にとって、自分の嫌な部分を好きになろうとするという意味ではなく、嫌と思う自分も認めるということでした。

 

 (歌詞を挟んで、もう少し具体的に掘り下げていきます。)

 

 

ファイトソング / Yume

 

何を感じてきたのかな

少し聞かせてくれないか

間違いだとか甘えとか

言わないからさ ありのまま吐き出して欲しいんだ

 

「生きてるだけで偉い」って どこが「だけ」なんだろう

いつか散りゆくのに 問い続けて 暗闇で闘うんだろ

 

孤独な夜でいるのなら 泣き声で想い奏でよう

この世界は敵でもなく そこにあるだけらしいからさ

君が君でいてくれていて 同じ時を生きていて

目の前の景色が煌めいてる

 

自己嫌悪も嘘じゃないし

自分が一番可愛い

諦めたくて仕方ない

感情のまま傷つけて 動けずにいるのかい

 

「そんなこともあるよね」って 「そんな」で片づけんなよ

誰かと同じじゃない この感情を大切に抱きしめたいよ

 

愛せなくても大丈夫 十分闘ってるだろ

世界は敵ばかりじゃない 自分が味方になれなくても

君が君でいてくれていて ありがとうって思うんだ

だからこそ景色が煌めいてる

 

散ることが救いになった 幸せな時がいいって

今ならと思える瞬間が

次はいつ来るのかなって 次こそはと夢見て

笑顔でいられない日も

ネガティブな私なりの応援歌

 

今までのこと全部全部 今日のために必要だったなら

良かったな幸せだって だからこの先も大丈夫

君が君で 私がいて 同じ世界で生きていて

目の前の景色が煌めいて

今度の景色を夢見ていよう

 

 私の中にいる、高校生の頃の私に向けた “ファイトソング”。

 もう少し具体的に掘り下げます。

 

 

「生きてるだけで偉い」

 よく聞く言葉ですが、私はずっと、「だけ」じゃねーよと思っていまして。

 最低限の生きるは、呼吸して寝てご飯を食べればいいわけですが、それだけで生きることができないくらい誰もがわかっていて。それ以上が難しいのに、何が「だけ」なんだよと。

 生きていることが十分すぎるほど偉いだろ、と思います。

 

 

孤独な夜でいる

 孤独な夜そのものが自分という感覚です。

 孤独な夜でいる自分がいるからこそ、表現ができるし、表現したいと思える。それをいつまでも大切にしたい。

 

 

この世界は敵でもなく そこにあるだけらしいからさ

世界は敵ばかりじゃない 自分が味方になれなくても

 私の大好きな「東京喰種」という漫画の受け売りです。

 「この世界は間違ってない ただそこにあるだけだ」というセリフがありまして。大好きな考え方です。

 世界が敵に思えるときがたくさんあります。自分だけが異質で、世界に取り残されたような孤独や無能感。

 でも、私が見ている、生きている世界は、敵でも味方でもない、ただそこにあるだけ。

 その「ただ」「だけ」というあっけらかんとした事実は、妙に説得力があって、結局はすべては自分次第なのだし、世界はそのすべてをただただ受け入れてくれるのだと。

 

 

君が君でいてくれていて 同じ時を生きていて

君が君でいてくれていて ありがとうって思うんだ

君が君で 私がいて 同じ世界で生きていて

 この「君」は、高校生の私でもあり、私の周りの大切な人でもあり、この曲を届けられた方でもあります。

 そのすべてに支えられて今の私がいます。

 

 

散ることが救いになった

 Mrs. GREEN APPLEの「Utopia」というライブで、初めて “僕のこと”を生で聴いたときに、「今死ねたら幸せだな」と思って。そのことがきっかけで、どうせ一度しか死ねないのだから、それは次幸せすぎた時にしてやろうと。幸せな瞬間が訪れるたびに「次こそ」と。まぁ要はそれを繰り返すことができれば当分は死なないのですが。

 なんなら、「明日こそ幸せなことが起こると信じて、明日こそ死んでやる」と思いながら、寿命を延ばしていました。いや、今もそんな日ばかりです。

 

 そんなところですかね。あとは歌詞を素直に読んでいただければそのまま伝わるのではないでしょうか。

 

 最後に、”ファイトソング”というタイトルについて。

 白状しますと、嵐の “ファイトソング”と同じタイトルにしたいという下心(?)もあります。また、中島みゆきさんの ”ファイト!”。あの名曲は、闘いの歌だそうで。

 

 私のこれまでの闘いを認めて、これからも闘っていけるように。

 自分のすべてを抱きしめられるように。

どもども、ゆめこです。

 

 

始めに記しておきますが、これからの文章に、自傷を勧める意図はありません。

むしろやめておいた方が良いと私は思います。

ただ、完全に否定するわけでもありません。

実際ここに綴ることは私の経験談ですし、

命があるなら、それに越したことはないので、

 

また、そんなに暗い話にするつもりはなかったのですが、

どうしても落ち込む時のことには触れてしまうので、

今気持ちが落ち込んでいる方や、気持ちが引っ張られやすい方などは

読まないことをお勧めします。

 

 

 

タイトルでびっくりさせてしまった方もいるかもしれませんね。

一応配信なんかでは触れたことがある話なのですが、

触れるとは言っても、

「見えるかもだけど気にしないでね」ってくらいで。

 

聞いて「ほう、そんな人もいるのか」と思ってくれる人もいるかも・・・?

迷っている人、悩んでいる人に届くかも・・・?

 

と、まぁ話して何か、私のメンタルが変わったりへこんだりするわけではないですし、

今も落ち込んだからこんな話を切り出したわけではないので、

そこはご心配なく。

 

夏になって半袖を着てると

自分目線ではよく見えるんですよね、腕の切り傷が。

少し前にも増えてしまってはいるのですが、

始まりは去年の夏の終わりごろ。

 

ふと冷静に、自分の体が綺麗であることに疑問を抱きまして。

 

「え、そういうのって病んで衝動的にいくもんじゃないの?」

 

んね、私もびっくり。

 

その時の私の思考としては、

「こんなに心は傷だらけなのに、身体に傷がないなんておかしい」

「傷が見えないのが余計につらいのなら、可視化しよう」

 

というものでした。

だからはじまりはすごく冷静でした。

 

切る場所もあまり目立つと生活に支障が出るから、

半袖でも隠れるくらいの位置に。

 

カッターとか、はさみとか試して、結果カミソリが一番切りやすいなと。

始めは力加減が分からず、浅い傷を作っただけでしたが、

そのまま連続していくにつれて痛みが麻痺していき、

しっかり跡がのこりそうな傷を作りました。

 

事前に用意していたガーゼや包帯、消毒液などで処置をして。

 

それから、ふと思い立った時に傷をつけていたら、

落ち込んで感情が昂ったときに、痛みが欲しくなって切るように。

 

そのまま病み期に突入していたので、

その頃は大学でもただ居るだけに徹底していました。

居るだけで単位はとれるんだと言い聞かせて、

ほとんど喋らず省エネで過ごしていました。

 

単位を落とさないように、

欠席の回数を数えながら授業も休みつつ。

でも自傷のこともあって大人に相談した方が良い気がして、

欠席連絡ついでにSOSを発信したところ

話を聞いてくれる先生が。

 

「海外なんて普通の病院の感覚で精神科行くんだよ

探してみたら?」

病院ねー-行ったことが無いわけではないんですけど、

苦手なんですよね。

得意な人もそういないか。

結局調べただけで行ってはいないんですけど。

大学の相談室的なところは、電話で予約をとらなければで。

電話苦手人間、そこで躓きました()

 

そしてその先生ともそれきり話すことはなく。

まぁ忙しいからね、

 

思えば、高校の頃も自傷自体はしていて。

切っていたわけではないですが、昂ってどうしようもないときに

腕を引っ掻いてましたね。

その時は自傷という感覚もなく、傷もすぐに綺麗に癒えてしまいましたが。

 

話が逸れましたねw

戻しましょ。

 

このままではただただ腕に傷が増えるだけで、

それを望んでいたわけではなかったので、

これ以上エスカレートする前にやめなければと。

自分の意思でやめられるギリギリのラインだった気がします。

まぁそれからの葛藤は以前の「夜のブランコ」というブログにも綴りましたが。

 

  (そのブログはこちらです)

 

少し前にも、という話はまた少し心情が違って。

自分でもなぜ切りたくなったのか、わからないんです。

落ち込んでいて昂ったわけでも、

心の傷を改めて認識したわけでもなく。

 

数か月切っていなかったとはいえ、

やはり依存しかけていた部分はあって。

それは自覚もしているので、その影響だったのかもしれません。

 

 

ただ、腕を切ったことは後悔していません。

私の人生において必要なことだったと思います。

これは人に説明のしようがないのですが、

目に見える消えない傷を抱えて生きていくことが私にとって重要で。

 

ふとした時に、というか毎日のように傷跡を指でなぞるんです。

「あ、私生きてるな」って、安心します。

苦しんで、乗り越えて、もがいた。

それは現在進行形ですし、ずっと続いていくことだと思いますが、

その象徴と言いますか、勲章といいますか…。

 

とにかく誰に何と言われようと、

自分を傷つけたことで、私は救われています。

そういった意味でも、完全に自傷行為を否定することはできないんですよね。

もちろん、人が考えていたら決してオススメしませんし、

止めたいです。

 

後悔はしていませんが、

時々やってくる「切りたい衝動」と今も闘っていることには

変わりないですしね。

 

自傷行為をしている、していたことは信頼できる友達は知っていますし、

その中の1人は、ここにも綴った経緯や思いも知っています。

 

その上で、

「ゆめこが気にしたければ気にしたらいいし、

気にしたくなければ気にしなくていいんじゃない?」

という素晴らしき全肯定でいてくれています。

ありがたいですね。

 

見えない位置なので、家族は知らないと思います。し、

知られたくないですね。

心配をかけてしまいますし、

身体を傷つけたことで悲しませてしまうと思うので。

 

 

 

 

私の自傷についての話は以上です。

心配してほしいとかそういうことではなくて、

というか心配されたところで、私自身あまり気にしていないというか、

何なら「必要だった」なんてある意味ポジティブに受け止めているので。

 

そんな奴もいるんだな、くらいで聞いていただけると。

ただ再度言いますが、オススメはしません。

癖になります、ほんとに。

大切な体を傷つけないで、なんて綺麗事になってしまいますが、

人には心からそう思います。

 

傷つけないでほしいなぁ。

どうも、お久しぶりです。

ゆめこです。

 

 

やっっっと書けたよ!!Utopiaのレポ!!

もろにネタバレしていくから、無理な人は自衛してね。

 

 

そもそも『Utopia』って??

 

2020年7月8日

デビュー5周年のタイミングで活動休止を発表した5人組バンド

Mrs. GREEN APPLE

 

フェーズ2となり、5人体制だったバンドが3人体制に。

大きな変化の中、約2年休止した彼らが帰ってきた!!!

フェーズ2一発目の復活ライブ

それが2022年7月8日にぴあアリーナで行われた

『Mrs. GREEN APPLE ARENA SHOW "Utopia"』です!!!

 

有観客で行われただけでなく、

 ・ PIA LIVE STREAMで生配信

 ・ WOWOWで生中継

 ・ 全国の映画館でのライブビューイング

と、とんでもない数のファンが見守った歴史的瞬間なわけです!!!

 

すいませんさっさとレポにいきますねww

 

 

 

 

 

 

〇開演前

  向かいの席の人たちがどの階も同じように見えるのに驚き。

 2階席なのに。てかたまたまスタンド正面席が多かったけど、

 横はこういうものなんかな?

 ビルを見ている感覚だった。

 

  これがUtopia!という感覚が相応しい空間だった。

 映像でもそれは感じられたし、みんなミセスファンなんだ!

 というこの現場ならではの感覚と、

 これから始まる素晴らしいに決まっている時間への期待で高まる感覚。

  いつも応援している絵師さんにも勇気を出して会いに行けたし、

 他にも私がSNSで見ている人たちがこの空間に一緒にいるんだと思うと

 不思議な感覚だったし、すごく嬉しかった。

 

  あの日の開演前のアイスティーめちゃうまだったな。

 中学頃からしばらく飲んでいなかった午後ティーに

 その日きっかけで数年ぶりにハマったし、

 ストレートティーもうまいんやなと。味覚が大人になったw

 会場に入ってライトがつかなくてびびったのも、

 それで友達に出会えたのもいい思い出。

 

  紗幕が下りた!からの3人の登場に歓喜。

 まさかの”InsPirATioN”に、え、Attitude!?

 

①Attitude

  息吸ったぁぁぁ!本当に”Attitude”じゃん…

 エデンでやらなかったもんね…(泣)

 本人の”Attitude”がやっと聴けたんだ…生歌だ…。もう感謝だったな。

  すでに今まで披露してこなかった意味とか、

 このタイミングで披露する意味とか考えてしまって…。

 でも一曲目が”Attitude”であることで一気に安心した。

  てかもっくん黒髪⁉本当は若干違うけど、肉眼ほぼ黒でそれにも歓喜と驚き。

 あぁ、ここからフェーズ2が始まるんだ、一緒に歩んでいけるんだと。

 

②CHEERS

  これは盛り上がるぞー!初っ端からぶっ飛ばすパターンか!

 と安直なワタクシ。この曲だと分かった瞬間跳ぶ気満々やった。

  あー声出せないんだった‼となりつつ全力口パク。

  2サビ前とかエデンでも思ったけど、本当楽しそうだし楽しい。

 ”Attitude”と違って、これエデンで観たやつ!って噛みしめながら、

 てか本当に高音の音圧にびっくり。声量バケモンかよ。

  ライトバンドもポップでキラキラで、この景色嵐ぶりだけど、

 バンドでも味わえるんだ‼の感動。会場でのこの感覚は5×20以来じゃない⁉

 

③L.P

  ええええええええええええ。私が安直でした。

 そうか、これが私の大好きなミセスだったわ。にしても『Variety』ぞ⁉

 そうかフェーズ1か…。

 出会いと別れがあったうえでのLove Personはさ…

 また違ったメッセージを感じてしまうな。

  苦しくなって涙目で聴いてた。でも勢いのある感じとか、

 聴きごたえのある感じ、生音感は冷静に(?)すげぇ…ってなってた。

  こういう苦しい系の感情の込め方えぐいんよな。

 なぜそんなに力強く苦しそうに歌うんだ。歌えるんだ。

 

〇MC1

  いやいやいや、”L.P”の後の切り替え~~??タイムタイム。

 しゃべるんね⁉しゃべるんね!?あ、手振ってる…

 みんなのしゃべり声に安心しつつ、感動しつつ、情緒と格闘。

 岩井ネタが分かる自分が嬉しかった。全力拍手任せとけ!!

 

④アボイドノート

  ライブでは初めましてぇぇ!!大好きな曲。

 疾走感とか雄大さとか。パワフルすぎた。楽しすぎた。

 低音と高音が…もっくんにしては全体的に低音か。

 楽しめたし、それぞれのトリッキーな動きも味わえてテンション爆アゲ。

  この曲はこんな景色が見れるんだ…と初めての景色に感動。

 

⑤StaRt

  もうノリ方はしっかり予習済みなんで完璧っすよ俺。という気持ちで臨めた。

  駆け回るメンバーが愛おしい。

 でもラスサビ前の手拍子の前にウェーブがあるって初めて知った。

 そんな文化もあったのね。初の手によるナミナミは最高に楽しかったし、

 景色がきれいだった。

  ライブならではの曲のテンションの上がり方いいよな…(しみじみ)。

 

⑥道徳と皿

  ENSEMBLEツアーのDVDがよみがえる!

 かと思いきや、衝撃でそれどころじゃなかった。

 めっちゃ『Variety』の曲やってくれるやん…。この曲にも何度も救われた。

  <こんな世界をまだ憎めないのは何故か/気づいてるよ わかっては居るけど> 

 がラスサビで

  <こんな世界でずっと、生きてゆこうと思うんだ/温かいモノを忘れないこと> 

 って歌って、

 <どうか どうか諦めず/さぁ 笑え>

  と締める希望の曲。

 こんな世界でもこう歌う人がいるという事実でまず救われる。

 

⑦PRESENT

  え、え、え、英語だー!気づいたら日本語でも歌ってたし。

 どっちver.でも、大森さんにかかれば

 すべての歌詞が歯切れの良いリズムになって、

 声が楽器として心地いいから(すごく褒めてる)、

 行ったことないけどディスコだった。

  ゆらゆら身体を揺らしながら浸った。

 

⑧嘘じゃないよ

  あ…MCでも言ってたけど、

 本当に今日情緒がジェットコースターなセトリなんすね…。

 体調気を付けてとまで言われてたけど、こりゃ体調崩すわ。

 一緒に行った隣の友達はすでに号泣だった。

  ささやくようなゆったりとした入りなのに、

 サビは苦しそうに伸びやかに(?)歌うからさ。

 訴えかけるような張り上げ声というか。

 歌詞とか噛み砕く暇も与えず、歌声だけで問答無用に泣かせに来るような。

 私もしっかり涙目でした。でも、こんな苦しい曲で涙目だから、

 この時の私は「今日は泣かないだろうな~」なんて思ってた。

 

〇MC2

  あ、今回こういう情緒にくる曲の後にMC来る感じなんすね。

 驚くほど心が整いません。

 でもちゃんと、

 もっくんがりょうちゃんの髪色を「深海魚」っていじってるところで笑えて、

 あ、私大丈夫かもなんて。

 

⑨In the Morning

  この曲までやってくれんすか!?

  勢いだけのエール曲というより、大きくて広い曲なんだなって。

 みんなで手を上げている景色を見て、改めて感じた。

 諭すような歌詞があったり、光を歌うために陰を歌うんだけど、

 しっかり前を向かせてくれる。ミセスの優しさ溢れる応援歌。

 今日の光景と合わさって、みんな仲間なんだと思わせられる。

  <頑張って頑張って/創りあげたモノが/簡単に簡単に壊れても

  /笑える朝でいたいな/笑える人でありたいな>

  の歌詞は、いつかきれいな大人になれるかなって感じ。

 (“WanteD! WanteD!” の歌詞を急に出すやつ)

  今の私じゃ考えられないくらい寛大な歌詞だなっていつも思う。

 

⑩ブルーアンビエンス

  asmiちゃん…!asmiちゃん…!

 あなたDVDでも思ったけどほんと可愛らしいわね!?

 片足上げながら舞うようにふわふわと歌うのに、

 あなた方が歌ってるその曲どちゃくそ速い曲よ!?その余裕は2人ともどこから?

 ってくらい楽しそうに時折目を合わせながら歌ってて、

 ただただ楽しいし癒された。

  声の相性も良すぎて、2人とも歌唱力…!そしてパフォーマンス力‼

 

⑪月とアネモネ

  ピンクの月の映像と幻想的なこの曲。すごく雰囲気があった。

 でも、私の中ではもともと水色のイメージで、

 そうかこういう曲だったんだと。

 ライブで印象が変わる曲って私あるあるなんだけど、より曲の良さに気付いたり、

 味わい方が変わって楽しいよね。

 でもこの曲を一緒に歌うのがあやちゃんの声じゃなくて…。

  この曲自体のしっとりさや曲の寂しさと合わさって感傷的にもなりつつ、

 バンドの音が鮮明に楽しめる曲でもあるからそこも味わいつつ。

 不思議な空間だった。

 

⑫延々

  緑の炎が激アツで、こっちのボルテージも急にぐっと持ち上げられて。

 大森さんの低音やバンドの勢いでソワソワゾクゾクと…。

  <バイバイ> の爆発がすごくかっこいい曲だし、

 とにかく考える隙を与えない猛攻撃で気が狂う。

 熱いだけじゃないゾクゾク感がたまらないよね。

  インフェルノを彷彿とさせるアウトロも味わって大満足。

 

⑬君を知らない

  ここでですか…。『Unity』が続くんですね!

  この曲、初めのサビに入るまでがあっという間なんよ。

 Bメロがないというか。

 語りかけられるAメロを抜けたら、

 裸の心を直接握られるような苦しい苦しいサビ。

 大きすぎる、寂しすぎる願いが込められた重たいサビ。

 嘘偽りない大森さんの気持ちがそのまま詰まってるような。

  “嘘じゃないよ”や今日のセトリにはなかったけど、

 エデンで披露された”Soup”や”クダリ”のような、

 ぐっと気持ちを声に込めたような、

 高音を思い切り掠れた地声で叫ぶ感じが…。裏声と地声の使い分けも秀逸で…。

  <でももはやこれは素晴らしい/そう信じなきゃ やっていけないな> 

 辛くてたまらないのに諦めてくれないのがミセス。

 大好きな考え方だし、だからこそ救われるんよな。

 

〇MC3

  「おしゃべりの時間です」いやもっくん、

 無理よ?どこにそんな余裕のある心が…。

 あ、意外と何とかなるもんなんですね強制的に無理やりw

  休止中にも曲を愛してくれてって話で、

 なんだかほぼ休止中にファンになった私としては嬉しすぎる言葉の数々だった。

 

⑭僕のこと

  そんな嬉しい言葉から人気曲を披露していく流れだ!

 とはなったが!!!この曲から⁉

  過去のミセスとの出会い的なブログにも書いているんだけど改めて語りますと、

 私とミセスの出会いの曲がこの”僕のこと”なんですよ。

 

 (その時のブログはこちらからどうぞ)

   https://ameblo.jp/usagi-yumeko/entry-12716842640.html

 

  今日来れただけでもちろん幸せだったんだけど、

 欲を言えばこの曲を生で…ってずっと夢見てて…。叶いました。

  光景なんて覚えていません。

 ただただ「そんなに水分あったんか私」というほどの流れ続ける涙と、

 今までの辛かったこととか、

 この曲を聴いて泣きじゃくった夜の気持ちを思い出す苦しさと、

 ライブで嗚咽って出るんだと驚くほどのこらえきれない自分の声と

 ミセスへの感謝の気持ち、愛。

 ライブ前に飲んだアイスティーの水分、多分全部出た。

  冗談抜きで、「今死んでも良い」「今死んだら幸せだ」とすら思った。

  もはや歌詞だの音だのは

 自分の中でいつでも再生できるくらいにインプットされてて、

 そんなんじゃなくもはや想いでしかなかった。

 この日の”僕のこと”は。なんというか、もう五感の話じゃなくて、

 感情だの心だのっていう。

 見えも聞こえもしないもの。けど確かに感じるそれらのやり取りだった。

 この曲の間は。こんな感覚ってあるんだと。

 

⑮青と夏

  この曲も聴きすぎたし、歌いすぎたね。大好き。

 でも私”僕のこと”で壊れすぎて、

 最高に笑顔で楽しんでたんだけど涙が流れ続けてて、

 そういう曲やないやろ?ってなりながら楽しんでたw

  ミセスと過ごす初めての夏が始まるんだな

 っていう喜びを感じたのは覚えてるな。

 

⑯インフェルノ

  “延々”があったから勝手にないと思ってた!こんな贅沢な。

 今度は赤い炎!熱いねぇ!!

 こう改めて聴いてみると、”延々”の方がえぐみがあって、

 よりゾクゾクするんだなと。

 ” インフェルノ” は曲もそうなんだけど、歌詞がかっこいいよな。

 難しすぎるけど、ひたすらにかっこいい言葉が並んでて好き。

  ”インフェルノ”も“延々”も「炎炎ノ消防隊」の曲だけど、

 これだけ”延々”でえぐくなってて、

 物語の内容知らないんだけど、一体何があったんだ…と心配になるレベル。

 

⑰うブ

  ここで‼いいんすか⁉跳んじゃうよー!!

 こんなん体全体でノリにノって楽しむしかないやんか‼

 生で聴くのもより高揚感があってえっちぃな…。

 理性が吹っ飛んで何も気にせず楽しいだけの空間。

 キめたことないけどこんな感じなんかな(おい)。

 みんな頭おかしかったと思うあの空間。

 

⑱ロマンチシズム

  ハッピーな曲きたー‼てかステージ、ベルトコンベアになってたの⁉

 いやぁ、演出が豪華すぎて驚かされたし、幸せすぎた。

 何よりミセスが楽しそうすぎてさ。

 見てる側も楽しいに決まってるやん。

  <愛を愛し 恋に恋する> のところはみんなはやってなかったんだけど、

 個人的にもっくんが横揺れでクラップしてる印象が強すぎて

 勝手にそれ楽しんでたら、

 両脇も参加してくれて最高に楽しかったなー!

 

⑲ダンスホール

  お、幸せな曲続くな!もう警戒心とかどっか行ったよ~!端からなかったけどw

  一曲通して手拍子を全力でして、会場の一体感とソロ回し、

 ダンスを一度に味わえるというね。ファンの喜ばせ方を知ってんなー!

 バンドを観に来たというより、

 ミセスっていうエンターテイナーのパフォーマンスを観に来た感覚。

 ショーだったな…。

 キラキラとした音楽に夢見心地で、ただただありのままの姿で身を任せられた。

 

〇MC4

  来ました。来るとは思ってました。お別れの話。

  『Unity』の曲を聴いた時点で、

 ミセスの心は決してスッキリ納得しているわけではなく、

 ファンの心と似た位置に…なわけでもなく、

 ぶっちぎりで一番苦しんでたことが散々伝わっていたんだけど。

 なんだかこのMCで、ミセス、大森さんが

 より素に近い姿で帰ってきたんだなって。

 ファンへの信頼みたいなのも少しはあるんだろうけど、

 休止を経て柔らかくなって帰ってこれたんだと安心したし、

 寂しくて、悲しくていいんだ、

 一緒に寂しがってくれるんだって思った。

 

⑳Theater

  初めて出会った新曲であり、唯一リアタイできた思い入れの深いこの曲が

 「青春ソング」と紹介されたことには驚いたけど、

 温かさを詰め込んだようなこの曲は、

 ちょっぴり感じる…嘘だめっちゃ感じる寂しさもあって、

 確かに青春ソングだった。

  MVもあってフェーズ1の思い出が一緒に脳内再生されるし、

 休止する寂しさだったものが、戻ってこないフェーズ1、

 5人への寂しさも加わって、涙が溢れた。

  どうしても手に入らない、戻ってこないものってあるよな。

 人生の中にたくさんあるはずなのに、

 一向に慣れないし慣れたらいけない気がするから、

 全力で抱きしめたいね。そして今ある大切なものも全力で抱きしめなきゃ。

  <振り向けばそこにはただ> からは全てが報われるような多幸感があって、

 余計にダメだった。気持ちが溢れてどうにもならないね。

  あの場にいた全員が最後心の中で「ラララ」を歌ったであろうことよ。

 

㉑Part of me

  大森さんの孤独がこれほどかってくらい伝わってきて、

 光の柱に囲まれてたった1人、

 ギリギリで立って独白をするような姿が苦しくて。

 でも圧巻で。確かに寄り添うバンドメンバーやファンの姿が、

 この場で視覚的にも音楽でもわかることに安心しながら。

  あ、この人生きてるんだって。こんな世界を、

 私も生きてる同じ世界を生きてる人なんだって思った。

 アルバムで聴いた時から

  <今日のこの倖せだけは/何にも変えられない奇跡だと> 

 の「今日」はこのライブの日のまさに「今日」だって思ってたけど、

 そこに立ち会えた奇跡と、

 歌詞の「今日」が「今日」であることが確信に変わるほどの、

 確かにあるこの倖せを感じられたことが、

 本当に私にとってかけがえのない希望であり救いだった。

  消えそうな大森さんの姿が印象的だったな。

 

En 1 我逢人

  DVDでみた、アンコールでスマホのライトを点けるって

 憧れの景色に参加できたことが嬉しかったし、綺麗だった。

 そしてアンコール一発目に”我逢人”をもってくるという驚き。

 ここにきて出会いの素晴らしさをミセス全員でかき鳴らしてくれるのかー!

 ていう。

 私の大好きなミセスだ…。

  今日という日のいろんな出会いにも想いを馳せながら。

  ラストのイメージもあって、いつもは「感動のフィナーレ!」って感じだけど、

 このタイミングの”我逢人”はいつもよりさわやかでハッピーだった。

 

〇MC5

  まさかのここでお知らせ!ハッピーすぎるだろ‼ え、次の約束してくれんの⁉

 いやぁ、散々「今死んでも良い」なんて思ってたけど、

 また「今死ねたら幸せ」って思える日が来ると信じて生きなかんか、って。

  3人が互いに寄り添い合って支え合っていることが分かって安心したし、

 そのことや、より等身大で帰ってきたもっくんが、

 ステージ上で初めて涙を流したこと、

 素晴らしい日に立ち会えてそれがもうすぐ終わること、そして始まること。

 温かい気持ちになった。人との別れは寂しいけど、

 人は他の人なしには生きられないから。やっぱり人が好きだ私は。

  「毎日生きるのが大変な人の味方でありたいし、味方でいてほしいです。」

 また私は彼らの言葉に支えられるんだろう。

 

En 2 ニュー・マイ・ノーマル

  コロナやバンドの変化を感じるこのタイトルは、

 前向きでありながらも新しい普通として、

 今までの大切なものを置き去りにしていくような感覚もあった。

 でも曲を聴いて、今日このライブを観て、置き去りにするわけではなく、

 そのこともしっかりと抱きかかえて進んでいくのだという前向きさを感じた。

 ライブとしては最後の曲だけど、

 ここから始まるんだという希望溢れるはじまりの歌。

 こんなに幸せで華々しく、楽しい空間があるんだ。

 気持ちよさそうに伸びやかに奏でる3人の姿をみて、

 改めてこれからリアルタイムで追える喜びを噛みしめた。

  最後のアレンジはライブ感増しましで、

 ほんっとうにかっこよかった!!!

  さらにパワーアップしたミセスとの時間が楽しみで仕方がない!!!

 

 

 

 

 

 

 

お疲れさまでしたぁぁぁ!!!

くそ長レポを読み終えた猛者はどれだけいるのだろうかw

尊敬します。感謝します。ありがとうございました。

 

初の横浜遠征、ミセスとの対面はすごくドキドキでしたが、

大切な大切な思い出になりました。

 

ありえないほどの奇跡に感謝…!!!

 

 

今回のブログはここまでにします。

ではまた~~

 

 

 

どうも、ゆめこです。

 

 

今日は本当にのんびりしていました。

 

 

相変わらず休みの日は遅起きで

9時半に起きてゴロゴロして

活動開始は10時半。

 

 

素敵な休日です。

 

 

遅めの昼食後、ゴロゴロタイムに外を見ると雨が。

どおりで空が暗いですね。

 

 

少しだけ気持ちにも影が生まれたところで、思い出し事です。

 

 

 

 

タイトルにもあります、夜のブランコ。

去年の誕生日後なので二十歳になりたてですかね。

ふとブランコを漕ぎに行こう、と思って家を出ました。

 

 

時間は日付をまたぐ少し前でしたかね

 

もはや細かいところは覚えていませんでしたが。

とにかく、部屋から、家から出たい。外の空気が吸いたい。

 

 

このままではまた悶々とした気持ちのまま、

自傷でもしてしまう。

これ以上エスカレートしてやめられなくなる前に、

それは避けたい、と思い始めていた時期でした。

(あ、一応やめることには成功しています。)

 

 

でも時間も時間ですし、ましてや一人。

 

 

導き出されたのが公園です。

 

 

夜中に仮にも若い女が一人で外。

危ないよなぁとも思いましたが、

そんな危ないことがまさか自分に…が半分、

もうどうにでもなれ!が半分。

 

 

場所は、家の近くの自販機がある公園。

夜中にそこの自販機に行くことは日常茶飯事。

家族は寝ていたと思いますが、

仮に起きていてもなんとも思われません。

 

 

スマホに鍵、財布とワイヤレスイヤホンを持って

上着を着ていざ出発。

自販機で暖かいココアを買い、

念願の(?)ブランコへ。

 

 

人目もはばからず、思い切り大きく漕いでみたり、

ただただ座ったりしながら、

ネットフリックスで2度目の「脳男」を見ていました。

 

 

そこまで気にはならなかったですがやっぱり寒く

2・3回自販機でココアを買い

しばらくカイロ代わりに手を温めた後飲むを繰り返しました。

 

 

そんなこんなで、私なりに夜中のブランコを堪能しました。

昔はよく友達や兄貴と来ていた公園。

昔からブランコが好きでした。

 

 

でも大きくなってからめっきり機会がなくなり、

というか昼間のブランコは子どもたちの物です。

悲しきかな、私が昼間に一人で漕いでいたら変質者ですし、

遊びに来た親子に合わせる顔がありません。

 

 

だから、夜中に。と思ったんです。

あの頃とはまた違う景色で、身近な非現実を。

 

 

 

 

1時間ほど楽しみましたかね。

 

 

パトカーが停まり、警察官が3人出てきました。

 

 

いやぁ、案外冷静に「まじか」と思いましたね。

 

 

 

あいにく公園は電灯に照らされ明るく、

夜中でもちょいちょい通行人・車が通る道沿い。

どうやらそのうちの誰かが

家出少女が公園にいる、と通報したようです。

 

 

…心当たりが多すぎる。

 

 

一応警察官には、「家に居たくない理由があるのか」と聞かれましたが、

ひたすら「たまたまです本当に気分で」と貫きました。

 

鍵と一緒に学生証を持っていたので、

どうにか成人していることは証明できましたが、

通報されてしまっている以上、帰ることに。

 

警察官2人に家まで送っていただきました

送るだけで親と話を、なんてことにならなかったことに心底安心しつつ。

 

 

 

あの時の警察の方、本当にお世話になりました。

お勤めご苦労様です。

 

 

いやーーーー。さすが日本。

平和ですね。本当に…。

 

 

 

おかげで、同じような気分の夜であっても

夜中のブランコ

という唯一といっていいほどの答えが浮かぶたびに

ダメだ、と自分にストップをかけなけらばならなくなりました。

 

 

 

いまだに恋しくなります。

 

 

それほどまでに、手っ取り早い非日常で、

自由だったのです。

 

 

でも、残念ながら、

夜中のブランコは大人の特権ではなかったのです。

 

寂しいですね。

他を探すとします。

 

 

 

 

皆さんは好きな場所がありますか。

そこには夜中でも行くことができますか。

苦しくなった時にはいつでも行くことができますか。

 

 

どうも。

ゆめこです。

 

 

今回は私の幼少期についてです。

 

私はメンタルが弱いです。

ネガティブで、

心配性で、

すぐいっぱいいっぱいになります。

何もできない時も多くて、

自分のことが大嫌いです。

 

まぁ、今は

そんな私が私だと

中村倫也さんの言う「やんごとなき」私であると思っています。

 

 

今ではこんなですが、

幼少期はすごく自分のことが好きでした。

勉強がそこそこできて、

友達もたくさんいて、

人に優しくできていると思っていて、

自信がありました。

 

 

という割には、

人見知りであったり、

自信があるからこそ、叱られることを怖がったり。

ちゃんと今の私に通ずるところもありました。

 

まぁみんなそんなもんだと言われたら

それまでですが。

 

 

とにかく、

まっとうに生きたい。

人のために動きたい。

優しくありたい。

困らせたくない。

迷惑をかけたくない。

そして、褒められたい。

 

そんなことを思っていたと思います。

 

 

私は人生の節目ごとに、

未来の自分に手紙を書いているのですが、

それを始めようと思った小学5年生から、中学1年生の自分への手紙。

 

「反抗期になってない?」「家族に迷惑をかけてない?」

「指しゃぶりはちゃんとなおった?」

 

そう、私、小学5年生まで睡眠時の指しゃぶりが取れなかったんです。

 

 

 

ってそこじゃなくて、

 

 

 

良い子でいよう、未来の自分も良い子でいてほしい。

そんな思いが伝わる手紙でした。

 

 

今の私がこんなことを思っている小学生に出会ったら、

きっと「そんなこと気にしなくていいのに」と思うでしょう。

 

子どもは子どもらしくいてくれ。

まだそんなこと考えなくていいんだよ。   と。

 

 

 

そんな子どもだった私ですが、

年々自分の弱さを知っていって、

気づかないうちに誰かを傷つけていることに気付き、

自信がどんどん失われていき、

 

いつの間にか

自己顕示欲・承認欲求の強い

ネガティブな人間になっていました。

 

 

 

自分に自信があった頃の私は、

それが正義であると思っていましたし、

何も悪いことではない。

自己犠牲は美しい。

そう信じていました。

 

 

 

 

 

 

昔の私を今は

ただただ強く抱きしめたいです。

 

そして、その頃の私に

今の私が抱きしめられたいです。

 

 

 

 

 

 

 

保育について学ぶ中で、

幼児期の大切さを嫌でも知りました。

 

 

そして、考えれば考えるほど、

自分は普通の家庭で大切に育てられてきたのに、

どうして、と思います。

 

 

今苦しい理由を、幼児期に求めようとしてしまう。

それは、家族や周囲の人間を責めることに繋がります。

 

 

そしてそれが嫌になって

自分が悪いんだと、考えるのをやめる。

その繰り返し。

 

 

理由なんて、いくらでもこじつけられてしまいますしね。

 

 

 

とここまで、相変わらずネガティブな文を書き連ねてきました。

 

 

 

 

少しずつでいいから、

ちょっとでも身軽になれる時間を増やしていけたらいいな。

 

幼少期の自分を力強く抱きしめて、

その頃の私の分まで、

等身大でいられたら。

 

 

 

 

 

文章を打ちながら、読書も少し挟んだおかげか、

ちょっぴり現在の私の心も軽くなりました。

 

 

 

今回はこの辺で。それでは。

どうも、ゆめこです。

 

 

丁寧な暮らしって、どんなものでしょうか。

何を思い浮かべますか?

 

 

朝早起きして、いわゆる「朝活」とやらをして、

朝活…ジョギング・ウォーキング?カフェ?読書?手帳?

朝ごはんをしっかり作って食べるとか、

朝から掃除機かけるとかですかね。

 

アフタヌーンティして、デトックスウォーター飲んで、

ヨガでもしますか。

 

なんて妄想だけははかどりますね。

 

何が言いたいかって、

私には到底できませんw

 

すっごく憧れていましたよ、丁寧な暮らし。

 

でも私、朝にめっぽう弱いんです…w

 

 

まず早起きができないと、

それだけでもう丁寧な暮らしではない気がして、

1日を通してのやる気も…なんて。

 

 

時間を有効活用するとか、

効率も、大切だと思います。

 

逆にゆったりする時間もね。

 

 

私はTo Doリストを書いたり、

スケジュール帳に予定を書き込んだりします。

 

それは丁寧な暮らし?

 

いやぁ、ただ、忘れっぽいだけなんです。

 

 

ちょっと話が逸れます。

 

 

自分がいっぱいいっぱいな時や、

気分が落ち込んでいるときは特になのですが、

 

いま私はいつまでに何をしなければならないのか、

それをただ悶々と考えて、

あれもしなきゃ、これもしなきゃ。と

 

 

でもいっぱいいっぱいな時ほど手につかなかったり、

精神的にタスクがこなせる状況ではなかったり。

 

 

焦ります。すごく。

焦りますし、できない自分が嫌になります。

 

そういう意味で、自分の特徴を踏まえることができないですね。

 

そんな時は、複数のタスクが果てしなく思えます。

 

でもそんなことはありません。

何を優先すべきなのかを冷静に考えて、

落ち着いて一つ一つに取り組んだり、

今はゆっくり休む時だと割り切ったり。

 

そんな余裕が大事なんでしょうね。

 

 

逸れた話を戻します。

 

 

丁寧な暮らし

とても素敵だと思います。

 

でも、丁寧な暮らしに憧れて、

リラックスできる時間に自分を縛ってしまうと

きっと本末転倒ですよね。

 

毎日丁寧にできなくても、

たまに丁寧にしてみるのも良い気分転換だと思います。

 

すべて完璧にできなくたって、

憧れの、尊敬してるいつも完璧なあの人になれなくたって、

自分とじっくり向き合う時間さえ忘れなければ

それはきっと、人それぞれの丁寧な暮らしなのかな。

 

 

ほぼ自分に言い聞かせていますw

 

 

私は、私のことが好きではありません。

 

いや、好きも嫌いも事実です。

何も持っていないように思えますし、

生きる価値がないとも思います。

 

 

それでも、

私が考えるこのいろいろなことが、

自分でも面白いですし、

総じて楽しいです。

 

 

それでいいかな、と。

 

 

 

どうか、丁寧に暮らせないと自分のことを嫌わないでね。

人は、案外私の事を見ていない。

 

 

そう思っていれば気も楽だし、

人が自分を見てくれていたとき

すごく嬉しく思えるんじゃないかな。

 

 

最近大きな落ち込みの波があります。

その波が少し軽くなった今、

バイト終わりの疲れた体で、

 

そんなことを思いました。

 

 

 

それでは今回はこの辺で。

私のように、気にしいな方に届きますように。

どうも、ゆめこです。

 

ブログ上では、1月も終わるんですね。

相変わらず、こちらは12/21

クリスマスもまだです。

 

とりあえず書き溜めたものを、

毎週火曜日の21時公開で並べてみました。

また変わるかもですが…。

 

 

そんな事情は置いておいて、

今回は、高校の話の続きです。

(1)を見ていない方は、ぜひそちらから。

 

 

 

前回は、高校入学から、2年生の秋に不登校になるまでをお話ししました。

 

 

 

不登校になり、初めは何もしませんでした。

昼に起きて着替え、洗濯をし、夕食を作る毎日。

料理は全くできないので、季節柄ほぼ鍋でした。

母が買ってきた食材を、切って突っ込むだけですね。

 

 

母に勧められて、心療内科を受診しました。

当時なかなか寝付けなかったので、眠れる薬をもらいました。

 

 

この頃問題になるのが、

高校に復帰するか?転校するか?の2択。

いつまでも不登校しているわけにもいきません。

 

保健室登校という選択肢もありましたが、

私は1年半の間に保健室の先生が苦手になってしまい。

その選択はありませんでした。

 

そして、私は新しくやり直したかった。

自分のことを知らない人たちしかいないところで、

新しくやり直したい。

 

その思いが強く、転校することに。

 

 

母が取り寄せた、通信制高校のパンフレットとにらめっこし、

見学に行った1校目。

 

 

ここだ、ここが良い。

パンフレットの時点でだいぶ絞れていたこともあり、

一発で決めましたね。

 

 

そして12月、私は転校しました。

 

 

 

通信制高校ってどんなだ?と

私も分からなかったです。知っている人も少ないですよね。

 

私も他を見ていないので、私が通っていた通信制高校しか分からないのですが、

色々な選択肢のある高校です。

 

私は友達と過ごす青春を諦めたくなかったので、

通学できるコースを選びましたが、

自宅で自分のペースで学ぶこともできます。

 

授業もありますが、

単位はスクーリングで取るため、出席は自由です。

 

スクーリングは、本校に数日間泊りがけで行われる、

授業と試験のことですね。

 

大学進学を考えた授業もありますし、

友達もできましたし、

何より先生方との距離が近く、

辛くなったら学校を休むこともハードルが高くなかったので、

転校してからの生活は穏やかなものでした。

 

どのくらい休むことへのハードルが低いかというと、

同じ大学・学科に進学した友人は1か月全く登校してきませんでしたね。

仲の良い友人でしたので、

先生に「連絡しといてねー」と頼まれていました。

そんな私も、通信時代1週間休むなんてことも。

1週間ぶりに顔を出すと、

 

「久しぶりだね、どしたのー?」

「病んでた!!」

「病むよなーー」

 

先生との会話です。

とにかく話しやすかったですね。

小中の先生よりも話しやすかったです。

ゆめこ談なので、なかなかイメージしづらいかもしれませんが。

私はあまり先生に心を開くことのできるタイプではなかったので、

そんな私がこんな会話ができるレベルには、

先生との距離が近かったです。

 

転校して本当に良かったです。

 

 

ただ、無事に大学に進学して、

あの頃はよかったなぁなんて。

 

やっと「普通」に戻った気でいますが、

普通に生きるって難しいですね。本当に。

 

周りと同じこと、やろうと思えばできるんです。

でも、人一倍疲れている気がして。

疲れが溜まって、溜まって、

一度自分なりに休まねばと。

 

そんな大学2年の冬です。

 

その疲れとの付き合い方、向き合い方。

探し中です。

 

 

ということで、長らく私の高校時代の話にお付き合いくださり、

ありがとうございました。

 

今回はこの辺で。それでは。

どうも、ゆめこです。

 

高校生。青春ですね。

キラキラしていて、恋愛なんかもしたりして?

部活に、勉強に、友達に、一生懸命で。

 

 

私の高校時代は、大きく2つの時期に分かれます。

 

公立自称進学校時代と、通信制高校時代です。

 

 

小中と普通に過ごし、普通に公立高校に進学しました。

高校1年生では何事もなく。

 

大人になるまでに3つ楽器ができるようになりたい!

当時そんな夢がありまして。

 

6歳から習っていたピアノで1つはクリアだと。

そして高校進学前の春休み、アコギを買ってもらいました。

 

後は、部活で楽器を演奏すれば、コンプリートだ!

 

 

ブラスバンドに入り、フルートを始めました。

 

 

真面目な高校でしたね。

自称進学校でしたし。

部活も、真面目でした。

 

中学から吹奏楽部でした、という部員が大多数の中、

初心者で入部した身。

ゼロからのスタートです。

 

それはそれは頑張りました。

何より、楽しかったです。

 

 

高校2年になり、私は文系の特進クラスに入っていました。

小中の頃ほど成績が良かったわけでもなく、

特進の底辺です。

 

通常クラスよりも早い授業、

多い課題、

部活では後輩ができ、

責任と考え事も多くなりました。

そして、私はフルートが下手でした。

 

後輩や周囲と比べられ、

自分が下手で全体に迷惑をかけている。

後輩の方が上手い。

恥ずかしくないのか。

やる気があるのか。

教える身にもなれ。

 

と言われる毎日。

 

朝早く起き、

朝練に参加し、

予習必須の授業のノートを友達に見せてもらって写し、

業後の小テストの勉強を合間にし、

小テストに落ちてしまったら、再試です。

合格するまでです。

部活の時間が始まった、

部活に迷惑をかける…と思いながら受け、

終わったらダッシュで部活。

 

いつ怒られるだろう、とびくびくしながらも、

先輩らしく、アドバイスもしなきゃ。

 

でもこんな下手な先輩からアドバイスだなんて。

後輩に申し訳なりなくなりながら。

消去法でパートリーダーというものになってしまった私。

 

こんなに下手なのに。

せめてもっと上手になれば。

 

 

自分を責めながら、帰宅し、夕食、入浴してすぐに就寝。

翌日の課題、予習、小テストの勉強なんて余裕はありませんでした。

 

 

高校2年生の夏ごろから、ちょくちょく学校に行けなくなりました。

2学期が始まり、中間テストは受けた方が良いと、

母の車で送り迎えをしてもらいながら、中間テストを受けました。

 

そして、中間テストが終わった瞬間、一切行けなくなったのです。高校に。

 

 

中間テスト勉強期間中、1年半お付き合いをしていた、

幼馴染の彼氏に振られたこととか、

正直どうでも良いくらいには壊れていました。

 

 

今でも鮮明に覚えています。

泣きながら制服を着て、

泣きながら車に乗り、

道中ずっと泣いていて、

母は無言でした。

 

このまま直進で校門だという時、

泣きはらした目で教室に入らなければならないのだと

絶望した瞬間、

車が急に左折。

道端に車を止め、私に何も言わず、母が欠席の電話をしていました。

 

 

そのまま無言で帰宅。

 

「学校行かなくていいから、主婦になって」

と言われ、母と祖父と、お茶とお菓子でティータイムを過ごしました。

 

 

これが私の不登校1日目です。

 

 

長くなったので、続きはまた次回。

それでは。

ブログを書き始めた1年半前、18だったんですね、私。

 

どうも、ゆめこです。

 

 

1年半ぶりにこのブログに帰ってきて、

ハタチになっていました。

 

 

でも私、ハタチになるのが怖かったんです。

分かるという人もいるのでは?

そんな人の声をきいたことがあります。

 

 

2人兄妹の末っ子。

自分に自信が無く、度胸が無い。

人見知り。

人に嫌われるのが嫌で、臆病で、不器用。

レジに行くのが怖かった幼少期、

一人暮らしなんて、できるわけがない…

 

そんな自分を知っているから、

責任だとか、成人だとか、ひいては大人だとか、

自分がまさか。

 

怖くてたまりませんでした。

 

それでもいざハタチになる直前、

私は自分に言い聞かせるようになります。

 

 

「数字に惑わされるな」

 

 

私は、私だ。

臆病な私を今すぐ変えなければならない訳ではない。

ハタチなんて、ただ生きてきた期間を表すだけの数字で、

私の内面を表す数字ではない。

 

 

 

 

逃げのように思われるだろうか。

でも、その考えで少しは救われたんです。私は。

 

 

私は、私らしくいればいいじゃないかと。

みんな得意不得意があるのですから、

私にもきっと良いところも。…きっと。

 

 

 

 

 

ハタチになるのが怖かった私へ。

 

今も正直怖いです、少しは。

でも、ハタチという数字だけにとらわれないで。

 

もう20でしょ?なんて言う人もいるでしょう。

自分でも自分に言うでしょう。

 

それでも、そんなものはただの数字だと。

割り切って軽くなったっていいじゃないか。

 

 

それで生きていけるなら、いいじゃないか。

 

 

そう、私は思うのです。

 

 

 

 

今回はこの辺で。それでは。